【25】遠回り(2)

「本当、手がかかるよ。僕がここまでしないと動かないんだから」

「えっ……? ゼニス、どういうこと?」

「それは、本人に直接聞いてよ」


 やれやれ、と、り固まった肩を解すような仕草をしながら、ゼニスはドアの方へ向かった。ノブを掴んで開けると、部屋の外にはライルが立っていた。


「それじゃあ、後はよろしくね」


 外へ出て行くゼニスと入れ代り、しかめっ面を顔に貼りつけたライルが部屋に入ってきた。

 私はとっさに背を向けていた。気まずいやら腹立たしいやら。感情が複雑に混ざり合って、どんな態度をとればいいのかわからない。まともに顔を見ることすらできなかった。いっそのこと、私が部屋を出て行きたいくらい。


 あたふたしている内に、足音が背後から近づいてくる。

 コツ、コツ、コツ。

 一歩ずつゆっくりと、確実に距離を詰めてくる。となりに並んだところで、ライルは足を止めた。気配を感じていても、やはりライルの方へ顔を向けることはできなかった。


「……何しに来たの?」


 沈黙が気まずくて、取りあえずたずねた。返事を待ったけれど、反応がない。

 気になったら負け。反面、見てはいけないと思えば思うほど気になるもの。ついちらりと横目で見てしまった。すると、ちょうどライルもこちらを見たところで、偶然にも目が合ってしまった。


 ライルは苛立った様子で小さく息を吐き、気まずそうに頭をかく。その度に、つやのある長い黒髪がサラサラと揺れる。


「……“一生帰って来るな”は、なかなか効いた」

「それを言うなら“足手まといだ”っていうのも、なかなか腹が立ったけど?」


 言いたいことを言って、どちらからともなく目を合わせた。

 不意に逸れたかと思うと、ライルは上着のポケットから救世の鍵アナスタシスを取出し、私の手にそっとはめた。その行動の意図が読めなくて、私は首をひねった。


「我ガ名ニオイテ、汝ヲ守ル盾トナレ」


 空気がピリリと震え、手首へと収束したのがわかった。そのとたん、救世の鍵アナスタシスがカタカタと震え始めた。おそらく、ライルの言葉に反応したのだろう。救世の鍵アナスタシスがキュッとちぢまり、私の手首にぴったりとはまってしまった。


「えっ! やだっ、どうしてまたっ。ライル、どうなってるの!」

「どうもこうも……もともと、これは俺がかけた術だ。暴発でも予想外の事態でもない。俺が仕込んだんだ」

「……っ!」


 自嘲気味じちょうぎみに含み笑って、ライルは私の唇を奪った。

 強引で、荒っぽくて、己の存在を刻みつけるかのようなその行動に、何も考えられなくなる。立っていることすらできない。足の力が抜けてフラつく私を抱き留め、ライルもその場に座り込んだ。

 ライルの鼓動を間近に聞いて、それに呼応するように私の鼓動も跳ね上がる。


救世の鍵アナスタシスがルディを守るっていうのは本当だが、理由は半分ずつ違う」

「半分……?」

「万が一、救世の鍵アナスタシスを狙う者が現れた時のために、それを察知してルディを守るように施した防御の魔術。残り半分の魔術は……俺の嫉妬しっとだな」


 自信がなさそうに笑うライルは初めて見た。もしかしたら、それが本当のライルの姿なのかもしれない。我がままでも、強情でも、天邪鬼でもない。自分を守るための仮面もつけていない、本当のライルのような気がした。


「逃亡してる間に、ルディが他の男にうばわれるんじゃないかって、想像しただけで死ぬほど嫌だった。だから、俺とゼニス以外の男が近づくと攻撃するような術を施した」


 腕を解き、ライルはまった救世の鍵アナスタシスを苦々しく見つめる。上目遣いに見つめられ、思わず息をんだ。

 どうすればいいのかわからない。そんな戸惑う声が聞こえそうな、どこか甘えの混じる目に、抱き締めてしまいたいという衝動に駆られた。


「何度お見合いしても、救世の鍵アナスタシスが激しく反応していたのは、そのせいだったんだね」

「効果は抜群だったみたいだな。おかげで、ルディを取られずに済んだ」


 真っ直ぐに見つめられて恥ずかしくなって、あからさまに視線をらした。

 いつもなら嫌味の一つでも言うのに、こんな時ばかり真剣な顔をするのは卑怯ひきょう。そういうところが、本当にずるい。


「でも、どうしてゼニスはいいの? だって、さっきゼニスは……」


 キスをしようとしていた――幼馴染だから言い寄らないと信用して、たかくくっていたのだろうか。


「あぁ、さっきのか。あれはゼニスの演技だ。素直じゃない俺と、ルディの背中を押してくれたんだよ」


 ライルはククッと、おかしそうに喉を鳴らした。


「え、演技?」

「あいつ、子供の頃からレイディアのことが好きだからな。ルディのことは、大切な幼馴染としか見てない」

「えっ!」


 知らなかった。そんな素振り、一度だって見せたことはない。

 ふと、脳裏を過ったのはゼニスの隊服姿。エルディアを出て、次に仕える先に選んだのはセントアデル。無数に存在する国の中から、あえてセントアデルを選んだのはなぜか。それもレイディアが仕えている国だからと考えれば説明がつく。


 まさか、ゼニスがレイディアを想っていたなんて。ずっと家族の様に傍にいたのに気づけなかったのが、少しだけ寂しかった。


「なんなのよ、皆で私をだまして……この救世の鍵アナスタシスだってそう。ライルがかけた術ってことは、簡単に外せたってことよね?」

「あぁ、言葉一つで外れる。最初から、外す方法なんて知ってたよ。ただ、はまっていた方が俺には都合がよかったからな」


 少しくらい申し訳なさそうにしてもいいのに、ライルは悪びれる様子もなく、むしろ安堵あんどの混じる苦笑いを見せた。


「4年前、これを預けた時に決めてた。必ず、ルディを迎えに行くって。だから……かけた術が暴発して救世の鍵アナスタシスがはまったってことにしておけば、ルディも一緒に連れていける。その口実を作りたかったんだ」


 再び、ライルは私を強く抱き寄せる。まるで、大切にしていたぬいぐるみを抱き寄せる子供みたいに。甘く、優しく、温かい雰囲気に呑まれていく感覚が心地よかった。


「ごめん……足手纏いなんかじゃない。本当は、ずっと傍に居て欲しい。もう、これ以上離れるのはごめんだ。でも、ルディを危険な目にわせるくらいなら、傍に居ない方がいい、そう思って……」

「……本当、勝手だよね」


 そう、本当に勝手すぎる。私の気持ちも知らないで。

 行き場を失っていた腕を、そっとライルの背中へ回す。もう躊躇ためらうことなんてない。私は、ライルと同じように抱き返した。


「私、小さい頃からライルが嫌いだった。自分勝手だし、強引だし、すぐ問題に巻き込むし。嫌いだって思ってたのは、それが理由だと思ってた。でも、違ったの」

「違う?」

「心配させたくないからって肝心かんじんな事は言わないし、全部一人で背負い込むし、妙なところで優しいし。だから、傍に居て助けたいって思うのに、ライルはそれをこばむみたいにいなくなるんだもの」


 背中に回した手に、無意識の内に力がこもった。


「4年前も、今もそう。ライルが私を置いて行くこと、わかってた。だから嫌いだった。大嫌いだった……」


 愛情の反対は無関心。本当に嫌いなら関心など抱かない。私が嫌いだと言いながらもライルのことを気にしていたのは、心の底から好きだったから。それが全ての答え。

 嫌いだと口にする度に、ライルを好きになってしまっていたのだと、今ならはっきりと言える。嫌でも思い知らされた。


「ルディ、俺……」


 その時、まるで地を引き裂くような雷が鳴り響いた。

 私とライルは反射的に振り返る。ほんの少し前まで雲一つない晴天だったのに、いつのまにか雨雲が空に広がって、夕立が降り始めていた。


 ゴロゴロとうなる雨雲と、降りしきる明るい雨を食い入るように見つめた。


「ライル、今の聞いた? 凄い音」

「そういえば……ルディって、小さい頃から雷好きだったよな。まだ好きだったのか?」

「もちろん。夜に鳴ってる時は、部屋の明かりを消してじっと見たりするよ」

「変な奴だな」


 呆れたように噴出して、ライルは激しさを増した雨をただじっと見つめていた。

 ゴロゴロッと鳴る度にライルは「うおっ」と情けない声を上げる。鳩尾みぞおちに響く凄まじい音に喜んでいたけれど、その度にライルは変だと連呼する。


 変じゃない、そう強く言い返して顔を上げると、ライルはじっとこちらを見つめていた。その瞳があまりにも真っ直ぐだったせいか、目を逸らすことができなくなった。


「ライル……私、ライルと一緒に居たい。迷惑かけないように、自分の身は自分で守るから」

「迷惑じゃねぇよ。つーか、シスターのところに帰して、今なにしてるのか、他の男に言い寄られてないかって心配する方が嫌だし、迷惑だ」


 自分で言っておいて、その光景でも想像したのだろう。とたんに不愉快そうな顰めっ面になって、戸惑った顔で私の頬に触れた。


「もう迷わない。ルディは一生俺が連れまわす。手放すつもりはないから覚悟しろよ」


 うなづいて、頬に触れているライルの手にそっと自分の手を重ねた。すれ違っていた想いが遠回りをして、ようやく巡り会えたような、そんな気がした。


「ライル、私ね。ずっと好――」


 その先をさえぎるように、ライルの手が口元に突きつけられた。首を傾げる私を、ライルは照れくさそうな顰めっ面で見据えながら、ゆっくりと距離を詰める。私は期待に胸を高鳴らせ、そっと目を閉じた。


「ルディ、好きだ」


 重ねられた唇が全てを食らい、奪って行く。

 もしかしたら、速くなった私の鼓動がライルに聞こえるかもしれない。もう少しだけ夕立と雷が止まないように、心の中で密かに祈った。

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