【24】遠回り(1)

 エルディアにいては追手がかかると心配したレイディアが、セントアデルの女帝リリーティアに頼み、ライルをかくまってもらえるよう説得してくれたのは、今から3日前のことだった。

 

 国内での滞在が正式に許可された私とライルは、レイディアのやしきに身を寄せた。

 これでしばらくは命を狙われずに済むと、ライルとゼニスは喜んでいたけれど、私は全く別のことを考えていたせいで、素直に喜べずにいた。



 ――ライルの力は弱っておる。追われている途中で派手に魔力を使えば、体に障る



 エルグさんが打ち明けた、ライルの体のことが気になっていたからだった。

 長い年月をかけて刻印に蝕まれたライルの体は見た目以上に弱っているらしい。刻印は消えたものの、傷が完治するまでに数年か、あるいは十数年か……。いつ完治するのかも定かではないと告げられた。

 そんな状態にもかかわらず、ライルはこれから自分がどうすべきなのか、勝手に決め始めていた。


 エルグさんが刻印を消すために存在するサロの禁書だとわかると、自分のように罪もなく刻印を刻まれた人を救うために、逃亡しながら世界を回ると言い出した。

 当然、エルグさんは必要不可欠だから連れて行くらしい。セントアデル城に仕えている身であり、世話になった女帝リリーティアに迷惑をかけるわけにはいかないと、最初は嫌がっていたものの、ライルが強引に丸め込んで「ついて来い」と押し切られたようだった。


 レイディアは相変わらず古語オルド・スペルの研究に没頭している。エルグさんより優れた夢読士になるんだって張り切っていた。どうやら、エルグさんが城を留守にしている間に、上官の地位をうばってやろうと企んでいるみたい。


 それからゼニス。今回の一件で一通りの片が付いたからと、ゼニスは仕えていたエルディア城から密かに去り、国から姿を消した。“僕もファローや皇帝に立ち向かってみる”と、何か企んでいる様子だった。

 それぞれが目的を見つけ、次へと踏み出している中、私だけが何も見つけられず、踏み出せずにいた。ただ一つ確かなことは、ライルと離れることが途轍もなく不安で、嫌なのだということだけだ。


「……このまま悩んでいたって、答えなんて出ないよね」


 その日も客間に閉じこもって考えていた。

 自分がどうすべきなのか。ライルとの約束通り、シスターのもとへ帰るべきなのか。そうすることが最善なのはわかっていた。どうしてもその選択だけはしたくなかった。

 今、ライルのそばを離れれば後悔する――そんな気がしてならない。少しでもライルの傍にいたい。この想いに、素直になってもいいはずだ。


「ライルと……ちゃんと話さなきゃ」


 そばに居たいのだと、ちゃんと伝えよう。

 部屋を出て、向かったのはライルのいる1階のリビング。階段を下りていくと、なにやら話し声が聞こえてきた。


 部屋の中央に置かれているテーブルを挟み、ライルとエルグさんが向かい合って座っていた。間には世界地図が広げられている。セントアデルを離れた後、初めにどこへ向かうのか、目的地を決めているようだった。


「邪魔してごめんね。少し、いい?」


 声をかけるとエルグさんが振り返り、ニコッとほほ笑んだ。


「おぉ、ルディちゃんか。どうかしたのか?」

「ライルに話したいことがあって」


 落としていた視線を上げ、ライルが私を見上げる。目を合わせてくれたのはほんの一瞬で、すぐに地図へと戻ってしまった。


 シスターの元に帰すと言った翌日から、ライルの態度が冷たくなった。エルグさんは〝優しくすると別れ辛いのだろう〟と言っていたけれど、やはり面と向かってそういう態度を取られると寂しい。今までに一度だって、そんな態度をとったことはなかったから尚更だった。


「話ってなんだ?」

「うん……あのね。私、もう少しだけライルのそばにいたいの。きっと、手伝えることもあるだろうし。だからね、シスターのところに帰るって話は――」

「駄目だ」


 私が言い終わる前に、ライルはハッキリとさえぎった。切り捨てるような物言いに、苛立ちが腹の底からジワリとにじみ出すのを感じた。


「約束しただろ。救世の鍵アナスタシスが外れたら、シスターのもとに帰すって。そもそも、これはルディが言った条件だ」

「それは、そうなんだけど……でも」

「足手纏いだ」


 その声が、シンと静まり返った部屋に響いた。

 冷たく突き放される言葉に、胸がチクリと痛む。それ以前に込み上げてきたのは、言いようのない怒りだった。

 私とライルの間に流れる緊迫きんぱくした空気を察知したのか、エルグさんは居心地の悪そうな苦笑いを浮かべた。


「これ、ライルっ。そんな言い方はないだろう」

「本当のことだ。俺は今も追われている身だし、今回の一件でファローや城の魔法士達も執拗に追ってくるはずだ。そんな状況で、魔術も使えないルディを連れて逃げるのは不利だ。俺一人の方が逃げ切れる確率は――」

「ライルの馬鹿っ!」


 思いの外、私の声は室内に響いた。

 ライルは体をビクリと跳ね上げ、エルグさんはかけていたモノクルを落とすほど、勢いよく振りあおぐ。


「信じられないっ。私なりに悩んで、やっと答えを出したって言うのに。強引に巻き込んで、ここまで連れてきたくせに……今度は足手まといって何よっ!」


 どんな言葉を口にしても、何を叫んでも、この湧き上がる怒りはおさまることを知らない。気づけば、スカートのポケットに入れていた救世の鍵アナスタシスを、ライルに向けて思いっきり投げつけていた。

 とっさのことにライルも反応しきれなかったらしい。救世の鍵アナスタシスはライルの腕に当たり、そのまま床に転がり落ちた。


「おいっ、ルディ!」

「そうね。私はシスターのところへ帰って、お見合いして、素敵な人と結婚しなきゃ。ライルはどこへでも、お好きなところへどうぞ! 一生、帰ってくるなっ!」


 そう捨て吐き、階段を駆け上がって客間に戻った。

 力任せにドアを閉め、そこに凭れたまま苛立ちの溜息をもらす。そうする内に、ようやく頭に上っていた血が引いたらしいく、次第に冷静さが戻ってきた。

 時間がつにつれて強烈な罪悪感におそわわれ、ドアに凭れたままズルズルとその場に座り込んだ。


「はぁ……やっちゃったぁ」


 本当は、あんなことを言うつもりはなかった。

 足手纏いだと言われて、つい言い返してしまった。こんなことで腹を立てるなんて、我ながら子供みたい。


「いつも以上に、派手な喧嘩けんかだったね」


 不意に、ドアの外から声をかけられた。

 聞き覚えのあるその声にハッとして、急いで立ち上がる。閉めていたドアをほんの少しだけ開け、おずおずと顔をのぞかせた。


「ゼニス! 今までどこに行ってたの?」

「エルディアから黙って姿を消したからね。ライル同様おたずね者になって、少し追われていたんだ。だから、各地を転々としてたんだよ」

「そうだったの。でも、無事でよかった。それより、派手な喧嘩けんかって……見ていたの?」

「僕が玄関のドアを開けたら“何なのよ!”って、ルディの怒鳴り声が出迎えてくれたからね。怒ったルディを見たのは久々だよ」


 ゼニスは珍しく腹を抱えて笑う。その態度が少しばかり面白くなくて、私はムッとにらみつけた。


「そんなに笑わないでよ。こっちは自分の行動が情けなくて、落ち込んでる最中なんだから」

「ごめん。ルディ、少しだけ話そうか。中、入ってもいい?」

「……どうぞ」


 一歩後ずさってドアから離れ、ゼニスを部屋へ招き入れた。その時初めて、私はゼニスの身形の変化に気づいた。


「あれ? ゼニス、その着ている隊服!」

「やっと気がついた? そう、セントアデル魔法士隊の隊服。昨日、入隊の許可が下りてね。今日から正式に、セントアデルのリリーティア様に仕えることになったんだ。似合うかな?」


 ゼニスは照れくさそうにはにかんで、セントアデルの紋章が刻まれた真新しい外套がいとうと隊服を自慢げに見せた。

 エルディアの白い隊服も良く似合っていたけれど、セントアデルの藍色あいいろの隊服は、ゼニスの秀麗な印象を引き立てる似合いの色だった。


「良く似合ってる。あっ、もしかして……ファローや皇帝に立ち向かうって、このことだったの?」

救世の鍵アナスタシスもサロの禁書もライルが手に入れた今、皇帝に仕える理由はなくなった。思う存分ライルの味方でいるには、敵になった方が色々と派手に立ち向かえるから」

「ゼニスらしいね。それにしても良く似合ってる。ねぇ、あっちでちゃんと姿見せて」


 客間の陽当たりが少しばかり悪く、ドア付近までは十分な光が届かない。彼の手を引き、比較的明るいベランダまで連れて行った。柔らかな夕暮れの光に照らされて、隊服の藍色あいいろがより映えて見た。


「エルディアの隊服より似合ってるわ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。それより、どうしてライルにあんなこと言ったの?」


 ゼニスは真っ直ぐに私を見つめる。不意に真剣な表情を浮かべるものだから、少し身構えてしまった。


「あんなこと?」

「“一生帰ってくるな”って」


 思わず口籠った。改めてゼニスの口から聞いて、少し言い過ぎた言葉だったと思い知った。


「つい、ね。だって、足手まといだなんて言うから」

「足手まとい? ライルが、そう言ったの?」

「ライルに一緒に来いって言われた時に、救世の鍵アナスタシスが外れたらシスターのところに帰してって約束していたの。でも……ライルのことが心配だし、そばに居たくて。それを伝えたら、そう言われちゃった」

「なるほどね。それであんなこと言ったんだね」


 一生帰ってくるな、だなんて。本当はそんなこと少しも思っていない。ライルも天邪鬼あまのじゃくだと思っていたけれど、私も案外、天邪鬼だったのかもしれない。


「足手まといっていうのは正しいかもしれない。そばに居たいっていうのは、私のわがままだし。魔術も使えない私が一緒に居ることで、迷惑になることもたくさんあるから」


 すると、ゼニスが話の途中でフッと吹き出す。しばらくこらえていたものの、それは次第に大きくなって、声を上げて笑い飛ばした。何がそんなにおかしいのだろう。わからず、首を傾げるしかなかった。


「な、なんで笑うの?」

「いや、ごめん。僕からすれば、どっちもどっちだね。あえて味方をするなら、今回はルディにするよ。僕なら、大切な人に足手まといだなんて絶対言わないから」


 その言葉と同時に、ゼニスは突然、私の腕を掴んで引き寄せた。

 気づけば、私はゼニスの腕の中。しっかりと、そして優しく抱きめられる。あまりにも突然のことで、思考が追いつかない。ただわかるのは、この上なく甘い雰囲気が、部屋に漂い始めていることだった。


「ゼ、ゼニス?」

「僕は一人の女性として、ルディのこと大切に思ってる。どんなことをしてでも傍に置いて、僕の手で守ってみせる。足手まといだなんて、少しも思わない」


 腕が解かれたかと思えば、今度はゼニスの右手が不意に顎へ添えられる。

 斜め上から真っ直ぐに瞳を覗き込まれる。小さい頃からずっと一緒にいたけれど、こんなに間近でゼニスに見つめられたのは初めてで、強烈な羞恥しゅうちに襲われた。


「ゼニス、どうしちゃったの? なんだか、ゼニスらしくないよっ」

「これが本来の僕なんだよ。小さい頃から、喧嘩けんかしてるのに互いが気になって仕方ないライルとルディを見ていて、僕の入る余地なんてないと思ってた。だから隠してきただけ。2人が喧嘩けんか別れしてくれて、ようやく僕にも機会が巡ってきた」


 こんなゼニスは見たことがない。むしろ私の知らない“男”のゼニスがそこにいた。

 力強くて、どこか妖しくて。危険をはらんだ空気に、かれそうになる。

 急に怖くなって、とっさに後ずさった。まるでそれを見透かしていたように、ゼニスは逃がさんと言わんばかりに腰を抱き寄せた。


「ライルのことなんて忘れてよ、ルディ。僕がずっと、傍にいるから」

「でも、ゼニスっ」


 唇の先に人差し指を立て、それ以上喋らないで、と仕草で伝える。反射的に口をつぐんだ私を見て、ゼニスは不敵な笑みを浮かべて距離を詰めた。


 吐息が唇を撫でていく――このままじゃ、私……。

 ゼニスを突き放そうとした、その時。ベランダのカーテンが激しく揺れ、私とゼニスの間に割って入る。その不自然な動きは明らかに魔術によるもの。ゼニスはカーテンを掴み、ククッと含み笑った。

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