【22】古の想い(2)

「私、ライルのそばに居る。もし私をどこかへ移動させたら、一生呪ってやる!」

「ははっ……一生か。それも、厄介だな。どんな呪よりも強そうだ」


 少し無理に笑って、再び、ライルは私を抱き寄せる。呪だけは勘弁してくれと耳元で呟いたあと、立ち上がろうとしているのか寄りかかってきた。


「ルディ、手を貸してくれ。あんまり、力が入らないんだ……」

「う、うんっ」


 肩を貸し、倒れないよう下から支えながら立ち上がろうとした。

 ふと、ライルが何かに気づいてハッと目を見開いた。気を失っていたジーノとファローが、目を覚まし始めた。


「くそっ……小娘め。こんな時になって力を解放するとは。ファロー、何をしている!」


 まだ目が覚めたばかりで意識が朦朧もうろうとしているのか、ファローは額を押さえながらフラフラと起き上がる。それでもライルと私を捕らえようと攻撃態勢に入った。


「無理をするな。少し休んでおれ」


 目の前にスッと立ちはだかったのはフィーさんだった。

 立ち上がろうとするファローの肩にそっと触れたとたん、ファローはカッと目を見開いたまま、その場に横たわってしまった。


「ファロー! 何をしている……ファロー、どうした!」

「悪いが、動きを封じさせてもらった。今しゃべられては厄介だからな」


 曲がったこしさすりながら、フィーさんはジーノの足元にある救世の鍵アナスタシスを拾って深めの溜息をついた。


「やれやれ……やっと厄介な術が解けたか。これで本来の力が戻ったな」

「フィー、どういうことだ……?」

「お主は、サロの禁書には覇者はしゃの力が封じられていると思っておったな? では、その目で確かめて見るがよい」


 ふところを指さされたジーノは、そこにしまってあったサロの禁書を取り出し、言われるがままにそれを開いた。誰が触れようとも、その口を固く閉ざしていたサロの禁書が開くようになっていた。


「封印が解けたのか……?」

「本来なら、サロの禁書と救世の鍵アナスタシスそろった時点で鍵が開くはずなのだが、どうやらライルが救世の鍵アナスタシスに上書きした術が邪魔をして、思うように解けなかったようだ。だが、その術も解けた。サロの禁書の力は解放されたわけだ」


 これで力が手に入ると喜びの声を上げるジーノだったが、それも束の間のこと。その表情から笑みは消え、サロの禁書を持つ手はカタカタと震えた。


「どういうことだ? 何も書かれていないだと……どうして何も記されていないんだ」

「当然だろう。それは偽物だからな」


 その一言に、その場に居合わせた誰もが驚倒した。

 フィーさんの一族は代々サロの禁書を守ってきたはず。フィーさん自身もそれがサロの禁書だと言っていたし、そもそも存在する意味も、鍵の解き方も知らないと言っていたのに。状況が掴めず、今は必死に2人の会話に耳をかたむけることしかできない。


「ならば本物はどこにあるっ!」

「その前に1つ問おう。お前さんの知るサロの禁書とは、どのようなものだ?」


 急にそんなことを問われたジーノは、それに何の意味があるのかと怪訝けげんな顔をした。


「記述によれば、禁忌きんきとされる呪術や薬の調合方法などが記された書で、一節には兵器の設計図が封じられていると……」

「まだあるだろう? サロの禁書は“人間のように意思を持っている”という記述だ。お主はそこに疑問は抱かんのか? 人間とはおろかなものよ。書物であるという固定概念がいねんから抜け出せず、目の前にあるものを見落としてしまうのだからな」

「フィー……貴様何を隠している?」


 威嚇いかくとすら取れるその問いに、フィーさんは「さて、なんだろうな」と、こんな時におどけてみせた。それがジーノのかんさわったらしく、今にも飛び掛かって行きそうなほど、その目には怒りがにじんでいた。


「サロの禁書とは、魔法士サロが魔力を結晶化させ構築した、人ならざる生命体。そこに死者の魂を用いたことにより、結晶化した魔力は自我を持ち、やがて肉体をも得て人とたがわぬ姿となった」

「……っ! そういうことか」


 その言葉に、ジーノは何かに気づいたらしい。ひどく慌てた様子で、フィーさんの体を掴もうとした。フィーさんはそれをひらりと避け、きびすを返したとたん、その体は一瞬にして消え、気がつくと私の隣に立っていた。


「フィーさん、どういうことですか?」

「おっと、そこも訂正しなければならないな。ワシの本当の名前はフィガルト・ペルシュメーアではないからのう」


 と、私の頭をクシャクシャに撫で、皇帝の方へ向き直った。


「ワシの名はエルグナート。かつてサロに“エルグ”と呼ばれておった。そして、ワシこそがサロの生み出した【サロの禁書】そのもの」


 私とライルは驚倒し、顔を見合わせた。

 サロの夢球トラウムにはエルグという青年の記憶が残っていた。彼が実在したことは間違いない。けれどそれは、500年以上も前のこと。今、目の前にいるフィーさんがエルグ本人だということは信じがたい話だった。


「爺さん、冗談もほどほどに――」

「これなら信じられるか?」


 フィーさんはゆっくりと、こちらへ振り返った。

 その姿は老人から青年へと変わる。白に近いプラチナブロンドに、黒味がかった藍色あいいろの瞳――それは間違いなく、サロの夢球トラウムで見た青年エルグだった。


「どうだ? これなら信用できるだろう?」

「それじゃあ、本当にフィーさんは……ううん、エルグさんはサロの禁書なの?」

「いかにも。そしてワシは……ライル、お前のような者を救うために存在しておる」


 エルグさんは横目でちらりと皇帝の様子をうかがいながら「そろそろタネ明しをしないとな」と、静かに呟いた。


「フィー、お前がサロの禁書だというのなら話は早い。その力を私に貸せ。その力を持ってすればクライスドールはおろか、セントアデルさえも手中におさめられる」

「ほぅ、まだそんな力があると信じておるのか。残念だが、ワシにそんな力など有りはしない。ワシの役目は、咎の刻印を消滅させることだからな」


 瞳に悲しげな色をにじませながら、エルグさんは自らの胸にそっと手を当てた。


「強大な力は人の心を狂わせる。刻印の存在に疑問を抱いたサロ様は、罪もなく咎を受けた者達を救う対抗手段としてワシを生み出した。やがてサロ様が亡くなり、世へ出たワシはある噂を人々に流した。“どんな願いをも叶えるサロの禁書という書物があるらしい”とな。なぜかわかるか?」


 と、エルグさんは私に問いかけた。


「罪もなく咎の刻印を刻まれた者がその噂を聞けば、必ず命が助かる方法として行方を追うからですね……ライルみたいに」

「そうだ。そして、皇帝がもしサロの禁書の存在意味を知ったとしても、書物であるという知識が植えつけられていれば、手当たり次第に書物を探すだろうからな」


 それは同時に、刻印を刻まれた者も探すのが困難な結果になってしまったはず。エルグさんは「それも仕方のないことだった。そうしなければこの方法を世に残すことは出来なかった」と、申し訳なさそうに目を伏せた。


「この500年、ワシは密かに願っていた。時が経ち、玉座に座る者が変われば咎の刻印の在り方も変わるのではないか、とな。だが、期待外れだった。結局、どの時代の皇帝も咎の刻印の力に魅入みいられる」


 冷たく捨て吐いたエルグさんの言葉をさえぎるように、ジーノは手にしていたサロの禁書を地面に叩きつけた。

 瓦礫がれきに当って留め具が外れ、閉じられたページが散乱し、風に乗って方々へ散っていく。エルグさんは、その様子を静かに見つめていた。


「ファロー、いつまでそうしているつもりだ!」


 ジーノは声を荒げ、横たわったままのファローに立てと命じた。

 エルグさんのかけた術は解けず、声も出せず、体も動かぬまま。どうにか手首だけを動かし、袖口そでぐちに隠し持っていた短刀を床に突き刺した。


 短刀に施されていた術が床からファローの影へと流れ込み、影は瞬く間に巨大な鎧兵へと姿を変えて、エルグさんに向かって突進してくる。


「なかなか古い術を使うのう。やれるものならやってみるがよい」


 鎧兵は腕を振り上げ、狙いを定めてその手を振り下ろした。

 エルグさんはその場から一歩たりとも動こうとはせず、突進してくる鎧兵に向けてスッと手を突き出した。

 風が渦を巻き、震え、駆け抜ける――

 気のせいだろうか。耳の奥で、玲瓏れいろうな鈴の音が響いた気がした。その直後、影の鎧兵は姿を砂へと変え、渦巻く風に浚われ、跡形もなく消え去った。


「ワシは魔力を結晶化させた人ならざる生命体だ。そのワシに術が通用すると思うな」


 術すらあてにならないとジーノは覚ったのか、腰に下げた剣をさやから抜き、狂気に満ちた形相で向かってきた。求めていた力が存在しないという失望と怒りで、すでに我を忘れていた。


「物騒な物を取り出しおって。ワシに剣など通用せんというのに……少し頭を冷やせ」


 そう捨て吐き、エルグさんは私とライルの前に立った。


「時告グル、光ト闇ノ間ヨリ、我ラヲ“彼ノ地”へ導カン!」

 

 言葉が空気を震わせ、共鳴し、私とライルは瞬く間に蒼い光に包まれる。ジーノが目前に迫り、今殺さんと剣を振り上げた直後、光と共に一瞬でその場から消え去った。


「エルグっ!」


 最後に聞こえたジーノの怒りの声が、耳の奥に焼きついていた。

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