【21】古の想い(1)

「何事だ?」

「か、確認してまいりますっ」


 魔法士はすぐさま部屋を飛び出して行った。

 外で待機している他の魔法士と話をしているらしく、扉越しに声がわずかに聞こえる。

 城内で爆発音など、ただごとではない。一体何が起きたのか、聞き耳を立てた。それから程なくして、部屋を出て行った魔法士が血相を変えて戻ってきた。


「何があったのだ? 説明しろ」

「も、申し上げますっ。ライル・ベルハルトが城に乗り込んできたとのことです! 今、シャンクマン総長が、紅獅子の間前の回廊にて応戦していとのことです」


 不機嫌だったジーノも、報告を聞いて表情が一変する。ニヤリとほくそ笑み、踏ん反り返って長椅子に座り直した。


「逃げ回っていた咎人とがびとが自ら城に踏み込んできたか。あいつがなぜここへ来たのか、お前にもわかるだろ?」


 スッと手を伸ばし、指先が私の頬を軽く撫でた。

 触れられることすら不快で、大袈裟に身を捩って顔を背けるけれど、ジーノはククッとのどを鳴らして、興味深げに私を見つめていた。


「どうやら、よほどお前のことを取り戻したいらしい」

「ライルが、私を?」

「それ以外に考えられん。これは、ますます手に入れたくなったな」


 ちらりと横目で見やったとたん、ジーノは隙をついて首筋にキスをした。とっさに手を振り上げたが、その手は彼の頬を叩く前に掴み取られてしまった。


「あんたになんて、触れられたくない」

「そう言うな。今はこのくらいで我慢しよう。楽しみは後まで取っておかねばな」


 掴んだ手を引かれるまま立ち上がり、私はジーノに連れられて部屋を出た。


「陛下、どちらへ?」

「ライルのところだ。せっかく鼠が飛び込んできたのだ。始末する絶好の機会であろう。そうだ、フィーも一緒に来い。逃げられてはかなわないからな」


 部屋を出てからも爆発音が鳴りやむことはない。

 断続的にとどろくその音は、戦いの激しさを物語っている。1つ、また1つと鳴り響く毎に、ライルが傷を負っているのではないかと、強烈な不安にられた。


 最上階から、1階にある紅獅子の間前の回廊へとやってきた。そこはまるで火の海。

 爆発によって破壊された壁は大きく抉れ、崩れたその向こう側に空が見える。そこから吹き込む風が火をあおり、轟々ごうごうと音をたてて強さを増していた。

 その中に、対峙たいじしたライルとファローがいた。おそらくこの惨状は、2人の魔術がぶつかり合い、交戦した傷跡。


「ライル!」


 ここへ辿りつくまでに、どれだけ術を使ったのだろうか。今までに見たことがないほどに、ライルの横顔は怒りに満ちていた。それが途轍とてつもなく恐ろしくなって、私は夢中になってその名前を叫んでいた。

 我を忘れそうになっていたライルも、名を呼ばれて正気を取り戻したらしい。私に気づくと、にじんでいた殺気が消え、安堵あんどしたように微笑んだ。


「陛下っ! 危険ですので、お部屋にお戻り下さい」

「よい。せっかくの来客だ、もてなさなければな」


 止めるファローを押し退け、ジーノはライルと対峙する。

 皇帝の姿を目にし、ライルの中にくすぶっていた憎悪に、ゆらりと火がついたように見える。静かに見据みすえる瞳に、するどさが宿った。


「ライル、久しいな」

「これは皇帝陛下。わざわざ足を運んで下さるとは光栄です」

「咎人のお前が何の用だ? あぁ、そうか。これを取り戻しに来たのか?」


 そう言って、ジーノは私を前に引き出した。ライルの表情がほんの一瞬、強張こわばったのがわかった。


「ここへ来ることが、命取りだとわかっていながら乗り込んできたのだ。この娘、よほど大切なようだな」

「勘違いするな。俺が取り戻しに来たのは、救世の鍵アナスタシスとサロの禁書だ」

「強気なものだな。だが、無理はするな。今の時点で、立っているのもやっとだろう? ほらルディ、お前にもわかるはずだ」


 まるで抱き寄せるように背後から腕を回し、私の顎を掴んで、ライルの方へわざと向かせた。

 ライルは呼吸するのも辛いのか、肩が上下する速度がやけに早い。足元も踏ん張っているらしく、微かにフラついていた。


吸血ノ唱文クローフィー・コード……!」

「知っていたか。ならば、話は早い。ファロー、始末しろ」

「そんなっ、やめてっ!」


 私の叫びなど、聞き入れるわけがない。下された命にファローはこくりと頷き、突き出した手を左から右へ、宙を撫でるように薙ぎ払う。とたんに、ファローの影がグニャリとうごめく。やがてそれは無数の黒い腕となって出現し、ライルを手にかけるべく、襲いかかった。


 ライルが素早く宙に十字を描けば、目の前に青く輝く光の楯が現れる。ファローの放った影はその楯によって弾き返され、跡形もなく消え去った。

 力を使ったことで刻印は激しい痛みを生むらしい。立っていることすらままならなくなり、ライルは苦痛に顔をしかめ、ひざから崩れ落ちた。


「お主、なんと酷いことを……」


 ジーノの冷酷さを前に、そばにいたフィーさんも言葉を詰まらせた。

 もちろん、その言葉はジーノには届かない。真っ直ぐにライルを見据えるその横顔には、何が酷いのか理解できないと言わんばかりに冷めきっていた。


「ファロー、吸血ノ唱文(クローフィー・コード)の力を増幅させろ。私に逆らった咎人だ、生かして帰すな」

「御意……。Haugeハウゲ Guruグル, Ekurokエクロク Retaraレタラ Pashパシ Isamイサン


 聞き慣れぬ言葉を唱えながらその場にひざまづき、撫でるように、彼女は床に触れた。言葉はファローの手を伝い、やがて城全体へと流れていく。


 体の奥から力が抜けるような、言いようのない不安にられた。ドウンッ――と、押しつぶされそうな目に見えない力が、辺りを包み込んだ瞬間。


「っ……! っあぁぁぁぁ!」


 痛みに耐えきれなくなったライルは、まるでむしるように胸を押さえた。刻印は服越しでもハッキリとわかるほど赤く光り、襟元にジワジワと血がにじみ始める。


「ルディちゃん、マズイぞ! このままでは……」

「お願い、やめさせてっ!」


 その言葉に何の意味もない。黙って見ていろと、ライルを見据えるジーノの姿が恐怖に感じられた。

 私はジーノの手を振り解いて走り出した。そんな抵抗など、ジーノにとっては猫がじゃれつく程度。すぐに捕らえられ、その腕の中に抱き寄せられてしまった。


「離してっ!」

「行ってどうする? 力のないお前に何ができるというのだ?」


 その言葉が、まるで呪文のように頭の中で響いた。

 苦しむライルにけ寄ることしかできない弱い存在だというのに、振り解いて何かが変わるんだろう。

 力がないから何も変えられないの……? 違う。力がなくても動かなければ、何も変えられない。変わらない!


「あんたなんかに、ライルの命は渡さないっ!」

「諦めの悪い小娘だな。大人しくしろ」


 押さえ込もうと、ジーノが私の腕に掴みかかった、その時――まるで私の言葉に応えるかのように、救世の鍵アナスタシスが激しい光を放つ。光は瞬く間に膨れ上がり、その場にある全てのものを爆音と共に一瞬で吹き飛ばした。


 それは瞬きをするよりも短い、ほんの一瞬のことだった。

 辺りはシンと静まり返っている。その静けさが怖くなって、恐る恐る目を開けた。

 回廊かいろうを飲み込んでいた炎の海は鎮火し、ファローとジーノは回廊の柱のそばに横たわっていた。おそらく、さっきの爆発で吹き飛ばされ、その衝撃で気を失ったらしい。


「一体、何が起こったの……?」


 状況が掴めずにいる中、ふと手首に違和感を覚えて視線を落とした。手首にはまっていたはずの救世の鍵アナスタシスが外れ、足元に転がっていた。


救世の鍵アナスタシスが……でも、どうして? ううん、そんなことよりライルがっ!」


 瓦礫がれきを乗り越え、紅獅子の間の扉前で倒れているライルにけ寄った。

 微動びどうだにしないその姿に、心臓が凍りつく。肩に触れ、温もりがあることを知ってほっとした。


「ライル!」


 横たわる体を何とか引き上げ、倒れないように支えながらライルを起こす。それだけでも辛いらしく、ライルは苦痛に顔をゆがめながら息を詰まらせた。


「ライル、ここから逃げなきゃ。だから、もう少し頑張って!」


 何とか立ち上がらせようとした。でも、ライルはその手をそっと掴み、落としていた視線を上げた。決してあきらめようとはしないライルの強い瞳はそこにはなく、まるで別れを覚ったような悲しげな目をしていた。


「ルディ……俺はいい。早くここから……」

「そんな優しいこと言えるなら、普段から言いなさいよっ。私、ライルを助けるって約束したじゃない!」

「約束か。俺もルディとの約束は守れそうにないな……守るって約束したのに」


 力なく笑って、優しく頭を撫でた後、痛みに胸元をき抱く。

 指の間から見える刻印は赤い光を宿し、点滅を繰り返しながら次第に赤色へと近づいていく。私はとっさにライルの刻印を手でおおった。


「お願い! もうこれ以上、色が変わったら……お願いだから、止まって!」


 あせりと不安で戸惑う私に、ライルは「少しは落ち着け」と嫌味っぽく言って、私の手の甲にそっと唇を寄せた。

 まるで最期の別れをするかのように、今までにないくらい優しく守るように、ライルはその腕に私を抱き寄せた。


「ルディ、約束守れなくて、ごめんな……」

「ライル……私は」


 右手を解き、震える手で宙に円を描く。それは、ダルクの町から一瞬で帝都へ移動した、あのゲートの魔術。

 私を助けるために移動させようとしている――今、ライルの傍から離れるということは2度と会えないことを意味している。私はそれを遮るために、ライルの首元に抱きついた。

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