【20】野心(2)

「お前、何をしてるんだっ」


 先ほど夕食を運んできた魔法士が戻ってきた。慌てて牢内に体を引っ込め、手にしていたフォークを背に隠した。


「あぁ、鍵穴が……おい、余計なこと考えるなよ」

「えっと、今のは、その……」

「脱走されたら、罰を受けるのは俺なんだからな」


 文句を言いながら、魔法士は私とフィーさんの牢の鍵を開けた。

 どうやら封印解除の時間らしい。いい加減うんざりだ。ただ、ここで逆らえば何をされるかわからない。私は渋々、牢から出た。


銀獅子ぎんじしの間に行けばいいんですね?」

「いいや、今日は違う。陛下の私室だ」

「陛下って……皇帝ですか?」

「あぁ、そうだ。さっさとしろよ」


 皇帝から呼び出されるのは初めてだった。

 封印解除に時間がかかっているわけを説明しろと、彼らに命令が下ったのか。それとも、皇帝自ら解除の監視をしたいと言い出したのか。不安にられ、私とフィーさんはどちらからともなく顔を見合わせた。


 魔法士に案内され、城の最上階にある皇帝の私室へと足を踏み入れた。

 数百人は優に入れるほど室内はやけに広い。それに反して、置かれているのはベッドと間接照明。窓際にある赤いベロアのソファだけ。壁も床も白を基調としているせいか、やけに殺風景に思えた。


「失礼致します。陛下、2人を連れてまいりました」

「やっと来たか」


 ベッド脇の長椅子で書物を読んでいた皇帝は、それを静かに閉じて立ち上がった。

 ライルに咎の刻印を刻み、サロの禁書の力を得て国を支配したいと野心を燃やす皇帝とは一体どんな男なのか。私は怒りと苛立ちを瞳にちらつかせ、皇帝ジーノ・エルディアを見やった。


 歳は20半ばくらいだろうか。温室育ちの皇子にしては、まとうその空気は異様なほど威圧的で、どこか暗い影を落としていた。額から右目を縦断する大きな切り傷のせいなのか、それとも別の何かが、私にそう思わせるのか。


「フィーはそのソファへ。お前が見張っておけ。老いた男を相手にするのは後だ」


 黒味を帯びた赤毛と、それに映える碧色へきしょくの瞳が、彼のまとう威圧的な空気をいっそう際立たせているように思えて、体は自然と強張っていた。


「お前がルディか。こちらへ来い」


 まるで子猫でも呼びつけるように、ジーノはスッと、こちらへ手を差し出した。

 あいにく、来いと言われて素直に従う忠誠心は持ち合わせていない。逆らいたくなって、わざとらしくそっぽを向いた。


 この程度の抵抗はジーノには予想の範囲内だったらしいが、付き添ってきた魔法士には予想外だったようだ。皇帝の逆鱗げきりんに触れる前にと、魔法士は慌てて私の背中を押した。


「おいっ、何考えてるんだ! 陛下がお呼びだ、早く行けっ」

「嫌よ。皇帝だか何だか知らないけど、命令される筋合いなんてないわ」


 それでも断固として抵抗していると、ジーノは呆れたように吹き出した。これで私も反逆罪に問われ、咎の刻印を刻まれるのだろうか。

 やれるものなら、やってみればいい。ジッと睨みつけていた矢先、ジーノは長椅子から静かに立ち上がり、何を思ったのか、私のもとへ自ら歩み寄ってきた。


「気の強い小娘だな。だが、そういう女は嫌いじゃない。ただ守られているだけの女などつまらんからな」

「それは褒めてるの?」

「あぁ、もちろんだとも」


 ジーノは私の腕を掴んで引き寄せ、手繰たぐり寄せた私の手の甲にそっと唇を落とす。

 上目遣いで見上げる表情は、思わず見惚れそうになるほど、妖しい美しさがある。ただ、その瞳の奥にちらつく冷たさと鋭さに、背筋がゾッとした。


「そろそろ、私の我慢も限界だ。サロの禁書の力を解いてもらわなければな」


 そのまま長椅子まで連れて行かれて、半ば押し倒される形でそこへ座った。ジーノはその隣に腰掛けると、サロの禁書を私のひざの上に放り出した。

 銀細工で造られた蝶の装飾があしらわれたサロの禁書は、テラスから射し込んだ陽の光を浴びて、まばゆいほどに輝いている。


「封印を解く方法は私もフィーさんも知らないわ。解けって言われたって、方法がわからないんだから、解きようがない」

「そんなことはわかっている。だから、その方法を見つけろと言っているのだ」


 やはり、この男は世間知らずの箱入り皇子。できもしないことをやれというのは無茶というもの。呆れてものが言えなかった。


「もし仮に知っていたとしても、私はあなたになんて絶対に教えない。他国をじ伏せるために強大な力が欲しいなんて、そんなくだらない願いのために――」

「くだらないだと?」


 私が言い終わる前に、ジーノは自らの言葉で遮った。何か気に障ることでも言ったのかもしれない。空気が凍りつき、一瞬で緊張がみなぎるのがわかった。

 恐る恐るジーノの方へ顔を向けた、その瞬間。彼は私の肩を掴み、長椅子の背凭せもたれに力任せに押しつけた。おおい被さるように身を乗り出し、距離を一気に詰めた。


「いやっ、離して!」

「くだらないだと? お前に何がわかるというのだ?」


 怒りに染まる彼の眼差しに圧倒され、ごくりと息を呑んだ。その感情に飲まれ、流されないよう、私は必死ににらみ返した。


 最初は「くだらない」と言ったことへの怒りだと思っていた。けれど、見下ろす表情がどこか悲しみを帯びていていることに気づいてからは、何かを恐れているのではないかと、そう感じた。


「私がなぜ、力を欲するのか……お前はただの野心だと思うか?」

「えぇ。私にはそう見えるわ」


 そう返すと、ジーノはフッと鼻で冷笑した。


「私は先代皇帝の4番目の側室の子でな。その中でも最も身分の低い末の皇子として生まれた。皇位継承権など程遠い身分だったが、継承権があることに変わりはない。一人でも多く可能性は潰さねばと皇后や側室に命を狙われ、毒を盛られて生死を彷徨うことなど何度もあった」


 怒りに任せて話しているジーノも、幼い頃に刻まれたその記憶は未だに恐怖なのかもしれない。肩に食い込む彼の手が微かに震えていた。


「味方だと思っていた母方の叔父も、金に目がくらんで皇后側につき、事故に見せかけて私の母の命をうばい、私をも国外へ追放した。力も地位もない私には、叔父をとがめることも側室達を罰することもできなった。だから……」

「それで、力を求めたの?」

「やられたらやり返すというのが、私の主義でね」


 と、どこか自慢気じまんげに答えた。


「名も知れぬ小さな国に流れ着いた私は、その玉座を奪って曲り形にも地位を得た。数年かけて国を大きくし、大国と同盟を組んで十分な軍事力を手に入れたのを見計らい、この国に攻め込んで玉座を奪ってやった。その時、実感したのだ。やはり力がなければ何もできぬと」

「違うわ」


 強く否定され、ジーノは何が違うのかと、問い詰めるようににらみつけてきた。

 ゆるんでいた手に力がこもり、指が肌に食い込む。ここで怯んでは負けになる。そう自分を奮い立たせて、私は彼の手を掴み返した。


「力でじ伏せたって、相手はそれ以上の力を手に入れようとするわ。同じことが繰り返されるだけよ。今もあなたの寝首をこうと、密かに力をつけている人がいるわ」

「わかっている。だから私には力が必要なのだ。のうのうと生きてきた小娘に、私の思いなど理解できないだろうな」

「わからないわ。生死の境を彷徨さまよう経験をしたのに、何も学んでいないんですもの」


 ここにきてまだ否定するのか。そう言いたげにジーノは顔をしかめ、苛立ちをあらわにした。それでも、ひるむわけにはいかなかった。


「命を奪われることがどんなに辛いことか、一番あなたが理解しているはずなのに。そのあなたが力を得て誰かの命を奪おうっていうんだから、何も学んでないじゃない」

「……私に意見するとは、大した小娘だな」


 ほんの一瞬、肩を押さえていた手に力が込められる。さすがに怒りを買い過ぎたかもしれない。身の危険を感じて構えたものの、その手は不意に緩んで、私の顎に添えられた。


救世の鍵アナスタシスとサロの禁書の力を手に入れたら、今度はお前を手に入れたいものだな」


 予想していなかった言葉に、頭の中が真っ白になった。

 不安と恐怖の中に、突然、強引な甘さが割り込んでくるこの感覚は、妙な居心地の悪さを覚えた。


「な、何言ってるのよっ」

「ただの煩い小娘だと思ったが、想像以上に肝が据わっている。興味が湧いた」


 逃げなければ。その思いから反射的に身を引いた。ジーノはすかさず、それを追って身を乗り出した。逃げられないように、しっかりと腰まで抱き寄せてくる。必死に抵抗したものの、それは逆効果。ジーノをはその反応すら面白そうに眺めていた。


「何だ、嫌なのか?」

「あ、当り前じゃない。私はあなたなんて大嫌いだものっ」

「やはりお前は変わっているな。大抵の女は私の地位や権力に魅せられ、言い寄っても拒みはしないぞ?」


 相手は一国を治める皇帝。地位も権力も富も、全てを手にしている男を前にすれば、初心な町娘はもちろん、それらに貪欲どんよくな皇族の姫君達ならば目がくらむかもしれない。


「あなたの知っている女性達と一緒にしないで」

「そうやって歯向かってくるところも新鮮だな。そんな女を手懐てなづけるのも面白そうだ」


 じゃれつく猫か、あるいは獲物をもてあそぶ獅子か。薄らと不敵な笑みを浮かべた彼の顔が、不意に距離を縮め、首筋へと迫った。


 唇が肌に触れた、瞬間――突如、城内に爆発音がとどろく。顔を上げたジーノは明らかに不機嫌そうで、険しい目つきで辺りを見回した。

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