【19】野心(1)

「食事だ、食べろ」


 鉄格子の扉が乾いた金きり音をたてて開き、食事を持った若い魔法士が入ってきた。

 天井の隅にある小さな窓から射し込む陽の光を、ぼんやりと見つめていた私は、近づいてくる足音と微かに漂ってくる香ばしいパンの香りに誘われて振り返った。


 見計らったかのように、魔法士は手にしていた銀のトレイを私の傍に置いて牢から出て行った。

 用意された食事は、焼きたてのパンとシチュー、数種のフルーツ。捕えた者に出す食事にしては、まともな品目だった。


「いらない。食べたくない」


 扉の外へと出て行く魔法士の背中に向かって言った。

 心配しなくても、毒は入っていないはず。正直、お腹は空いている。ただ、自ら手をつけるのがしゃくだった。


「いい加減、意地を張るな。食っても食わなくても、救世の鍵アナスタシスがお前の手から外れるまではここから出られないんだ。だったら食っておけ。いいな、ちゃんと食えよ」


 念を押すと、魔法士は戻っていった。

 足音が次第に遠ざかり、やがてそれも聞こえなくなった。穏やかな朝の静けさが戻ってくる。私はその空気に安堵しながら、再び天井にある小窓を仰ぎ見た。

 捕えられて1週間が経った。

 1日の大半を地下牢で過ごしているせいで外部の情報が一切入らず、あれからライルがどうなったのか、状況は掴めずにいた。


 頼みのつなであるゼニスも、今は身動きが取れないらしい。やはりライルの幼馴染というつながりを警戒しているのか、ファローも目を光らせているらしい。妙な行動を起こさないようにと、四六時中、監視がついているそうだ。

 昨晩、ようやく監視の目を盗んで会いに来てくれたゼニスが「何もできないのが辛い」と、くやしげに話していた。


「ライル、大丈夫かな……ちゃんと、逃げきれたよね?」


 答えの返ってこない独り言が、冷たい石の壁にむなしく響く。

 何度目になるかわからない溜息に重なって、コンッと、鉄格子に何かがぶつかった音がした。私は反射的に音の方へと目をやった。

 入口の前に白い布に包まれた丸い何かがある。それがフワリと、宙に浮かんでいた。


「ルディちゃん、食べないかい?」


 静寂をくように、落ち着いた声が響く。通路を挟んだ向かいの牢に閉じ込められているフィーさんが「食べなさい」と、それを指差していた。


 鉄格子の間から手を出したとたん、浮かんでいたそれはストンと私の手の中へ落ちる。開くと、中には小さな林檎が入っていた。


 あの日、一緒に捕えられたフィーさんは、サロの禁書の後継者であることから、封印を解く方法や救世の鍵アナスタシスの力を解放する方法を隠しているのではないかと疑いをかけられ、同じ地下牢に捕えられていた。


「フィーさん、食べないの?」

「腹がいっぱいでな。ルディちゃんなら食べてくれると思ったんだが、いらないかい?」

「もちろん、いただきます」


 布で表面を軽くきとってから、思いっきり被りつく。お腹が空いていたせいか、林檎りんごの甘酸っぱさに、幸福感を覚える。そんな私の姿を見ていたフィーさんは、鉄格子の向こう側で満足気に頷く。


「それにしても、ひどい扱いじゃのう。ワシのような老いぼれはいいとして、こんな可愛いルディちゃんを牢に押し込めるとは。まったく、どんな教育を受けておるのか」


 魔法士達の対応はもちろん、皇帝の指示には相当不満があるらしい。用意された布団が薄いとか、湿気が多くて服にかびが生えると、フィーさんは床を叩きながらブツブツ愚痴ぐちをこぼしていた。


「いつになったら、ここから出られるのだろうなぁ」

「きっと、救世の鍵アナスタシスがサロの禁書の鍵を解くまでですよ」


 ここにきてからずっと、私とフィーさんはサロの禁書の封印解除をさせられている。

 サロの禁書と救世の鍵アナスタシスを近づけてみたり、叩いてみたり、封印を解けと話しかけてみたり。もちろん、そんなものは当てずっぽうだから何も起こりはしない。ファローに監視されながら、試行錯誤しこうさくごする毎日だった。


「あの禁書を守ってきた数代前の当主が、若くしてこの世を去ってな。伝えるはずだった禁書の存在する理由も、鍵の解き方も、その時にわからなくなってしまってな。それ以降は“相応しい者の手に渡ることを見極めろ”と、ただその言葉だけを守ってきたのだがな……」

「それを説明しても、聞く耳持たずですからね」


 説明すればするほど怪しまれる始末で、フィーさんはもちろん、傍にいる私でさえうんざりしている状況だった。


「だが、このままここにいると厄介かもしれんな」

「そうですね……。何がきっかけで、救世の鍵アナスタシスが力を解放するか、わかりませんから」


 今はハズレばかりでも、いつかそれが当たってしまったら……サロの禁書は皇帝が使うことになる。想像しただけで、背筋がスーッと寒くなったように感じた。


「やっぱり、サロの禁書はライルに使わせてあげたいです」

「あの兄ちゃんも、あれを求めていたのだったな。その理由を聞きそびれていたが、教えてもらえるか?」


 躊躇ためらいはあったけれど、ここで嘘をついても意味がない。小さく頷き、ギュッとひざを抱えた。


「ライルは胸に刻まれた咎の刻印を消すために、サロの禁書を探しているんです」

「咎の刻印! あいつ、皇帝に逆らったのか?」


 フィーさんは大袈裟なくらいに声を裏返した。おそらく、ライルに興味が湧いたのだろう。壁にかべれていた体を弾ませるように起こし、鉄格子にぴたりと貼りついた。


「ライルは罪もなく咎の刻印を刻まれた親友を助けたから……ライルは間違ったことをしてないのに、命を奪われようとしてるんです。だから――」


「サロの禁書を解放し、刻印が消えるよう願うというわけか」

「その力があるなら、ですけどね。どの国よりも強い力、どの国をも支配する力が欲しいという皇帝の野心より、ライルの願いの方が正しい使い道だと思います」

「……ふむ、やはり不思議だな」


 フィーさんは小さく何度か頷き、あごに手を当てながらうーんと唸った。


「ルディちゃんとライルは赤の他人だ。あいつが咎の刻印を刻まれたことも、それを消そうとサロの禁書を求めていることも、ルディちゃんには無関係。だが……」


 そこで言葉を区切り、私の瞳をまっすぐに見詰める。口元に笑みを浮かべながらも、瞳は心の奥まで見透かすような強さを宿していた。


「ルディちゃんは、彼を助けようと必死になっておる。なぜ、他人のためにそこまで真剣に求められるのだ?」


 なぜだろう。そうたずねられるまで気づかなかった。それはごく自然に、私の選択肢として常に目の前にあって、疑うものではなかったからだろう。

 どうしてライルのために真剣になれるのか──その答えは、私の心の奥にしっかりと存在していた。


「強い気持ちに惹かれたからだと思います」

「ふむ」

「ライルは“黙って死を待つのは御免だ。この呪いをかけたやつに仕返ししないと死んでも死にきれない”って言ったんです。けど、本当は違う。親友の死を無駄にしないために生きようとしているんだと思います」

「だから、あいつはサロの禁書を使いたい、という訳か。ルディちゃんはいい子だな。サロの禁書も、ルディちゃんのような子が使ってくれた方が幸せだろうに」

「サロの禁書、今どこにあるんだろう。皇帝の部屋か、それとも別の場所に……」


 その姿を探すように、私は天井の窓を見上げた。「そんなところにはないぞ」と、フィーさんはケラケラと笑い飛ばした。


「今すぐにでも飛び出して行きたい、そんな顔をしておるな」

「だって、ライルには時間がないんですから」


 握りしめた手に、自然と力がこもった。

 もどかしくて仕方がない。こうしている間にも、ライルの刻印は「死」を刻んでいく。どんなことをしてでも、ここから出たい。その想いが次第に強くなっていく。


「確かに、相手が咎の刻印では一刻を争うか」

「やっぱり、ここにいるだけじゃ何の解決にもなりませんね」


 すでに1週間が過ぎた。サロの禁書の封印解除に1日の大半を費やし、それでもなおサロの禁書の鍵は解けない。ここまで付き合わされたのだから、今度は私が行動を起こす番だ。


「やっぱり、じっとしてるわけにはいかない!」


 牢内を見回して目に留まったのは、食事の乗せられた銀のトレイ。シチューの入った器のそばに、銀のフォークがある。それを手に取り、鉄格子の間から身を乗り出して、入口の鍵穴にフォークの柄を突き刺した。


「な、何をしておるんだ!?」

「何って、ここから出るんです。フィーさんの魔術も、この地下牢では無効化されて使えませんし。この方法しかありませんから」

「気持ちはわかるが、そんなことしても開かんだろうっ」

「何もしないよりマシです!」


 牢の鍵を開けた経験などなかったけれど、それでも、今できることをやらなければ。

 ガチャガチャと乱暴に、鍵穴をき回してみたけれど、当然のことながら上手くいかない。見兼ねたフィーさんが「もうちょっと丁寧にやりなさい」と指示を出すけれど、コツがわかるわけもなく、どうしても乱暴になってしまう。


「早く開きなさいよっ」


 言うことを聞かない鍵に、自棄になって八当たりをしていた、そこへ――

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