【5】生きるための願い(2)
「でも、その刻印を消す方法はないって本にも書いてあったよ」
「書いてあることが真実とは限らない。どこかに消す方法も存在するかもしれない。じっとしているより、その可能性に
「それはそうだけど……」
「ルディが気にすることじゃない。見なかったことにしておけ」
どうしてそんなことを言うの? 心配してはいけないの?
そう問いかけるように見つめても、ライルは黙って私の頭を撫でるだけだった。
「ルディに心配されるほど俺は弱くないからな。それとも、ルディには俺が“怖いよぉ”とか、弱音吐くように見えるのか?」
「いいえ、見えません。倒しても不死身のように蘇ってきそうだもの」
「そう思うなら、余計な心配するな」
ライルは刻印のことも、その先に待つ死さえも見てない。更にその先にある未来だけを見ているのだと思う。だからこそ今を強く生きて、願う気持ちを忘れないのかもしれない。
「ライルって凄いんだね」
「今頃気づいたのか。遅いんだよ」
「すみませんね、気づくのが遅くて」
「そんなことより、喉が
水より紅茶の方がいいか、と私に訊ねながらライルは席を立った。1歩を踏み出したところでライルは立ち止まり、苦痛の混じる息を吐きながら、胸もとを強く握り締めた。
「くそっ、少し油断した……!」
ライルの頬を一筋の汗が流れ、横顔が苦痛に歪み、苦しげに息を吐き出す。
ギュッと唇を
「ライルっ!」
「……大丈夫だ」
手を貸そうと慌てて手を伸ばした。ライルは触るなと言わんばかりに拒み、腕を掴んでいる手すら引き離されてしまった。
「俺は部屋に戻る。いいか……さっきも言ったように、部屋には、来るなよ」
「でも……」
「朝には、治まる。明日になれば、治まるんだ。わかったな?」
唇を噛み締めて押し黙った。
部屋の中でたった独り、苦しんでいるとわかっているのに、黙って見ているなんて。このままライルを放って朝を迎えることが不安でならなかった。
「俺は大丈夫だ。何とかなる。いいな」
本当は頷きたくなんてなかった。だからそれを拒んで視線まで外したのに、なんの意味もなかった。きっとライルは頷かないことを予測していたのだろう。ライルはもう1度だけ私の頭を撫でた。
「ちゃんと、客間で寝ろよ。返事は?」
「……うん。わかった」
それを聞くと、ライルはニッと無理に笑って階段を上がって行く。その後姿を見送ることしができなかった。
何もできないことが一番辛い。心配なのに何もできなくて、無力な自分が情けなくて悔しい――それを思い知らされた。
姿が見えなくなっても階段を見据えたまま立ち尽くしていると、突然、静まり返った部屋にベルが響いた。1階にある玄関の呼び鈴だ。
「誰だろう。こんな時間に……?」
時計はすでに午前0時を回っている。こんな夜更けに客が来るはずもない。無視していたものの、ベルの音は鳴り止まない。仕方なく1階の店へ向かった。
「どちら様ですか……?」
夜中に訪問なんて、一体何を考えているんだろう。少し不審に思いながらも恐る恐るドアを開けた。
そこには白いローブを羽織った青年が立っていた。フードをかぶっているせいで顔が見えない。
「えっ! ちょ、ちょっと!」
「ルディ、久し振りだね」
その声にハッとした。
フードの隙間から見えるのは、猫のように柔らかそうな栗色の短髪。瞳は黒味を帯びた藍色。人懐っこい犬を連想させるような振る舞いは間違いない。ライルと同じく、孤児院で育った幼馴染のゼニスだった。
「ゼニス! どうしてここに?」
「ライルの様子を見に来たんだよ。刻印のことで、ちょっとね。ルディのことは、ライルから聞いてるよ」
ゼニスはライルがここに身を隠していることも、私がここに居ることも知っていた。つまり、ライルが情報を流していたということで、ここにも頻繁に出入りしていたということ。
「ライル、部屋にいる?」
ゼニスは袖を捲りながら訊ね、上の階を見上げた。
「う、うん。今、部屋に戻ったばかりだけど……朝まで、部屋に来るなって」
「やっぱり刻印が痛み出したんだね。それじゃ、少しお邪魔するね」
そう告げて、ゼニスは階段を駆け上がって行った。
ゼニスはライルの刻印のことを知っていた。どうしてライルが反逆者になったのか、刻印を刻まれたのか理由も知っているかもしれない。私は急いで彼の後を追った。
3階へ行くと、丁度、彼がライルの部屋に入っていくのが見えた。気づかれないよう忍び足で部屋の前まで近づき、ドアを少しだけ開けて中の様子を
ゼニスはベッドに倒れ込んでいるライルの横に座り、そっと肩に触れる。ライルは閉じていた目を開き、心配そうに顔を
「よぉ……久し振り」
苦しんでいるにもかかわらず
「何が“よぉ”だよ。痛みが出たらすぐに連絡するように言ってただろ」
「悪かった、な。すっかり、忘れてたんだ……」
ライルは途切れる言葉を必死に繋ぎ合わせて言った。見兼ねたゼニスは再び溜息をついた。
「ずっと辛かったんじゃないのか?」
「ははっ、少しな」
「次からはちゃんと連絡してくれよ。ほら、刻印見せて」
言われるままに服のボタンを外し、ライルは胸元の刻印を彼に晒す。ゼニスは
刻印が与える痛みに顔を
「……これで、しばらくは大丈夫。ライル、安心していいよ」
そう言ってゼニスが手を離すと、ライルの体を覆っていた光も共に消えた。
「いつも悪いな」
「礼ならいらないよ。僕にはこのくらいしかできないんだからさ。少し休みなよ」
「ああ、そうさせて、もらう……」
痛みに耐えるには想像以上に体力が必要なのだろう。ゼニスに返事をした声は尻すぼみになり、途切れた時にはすでに深い眠りに落ちていた。
ライルが眠ったことを確認すると、ゼニスは「本当、心配かけさせないでほしいよ」と、皮肉と心配が入り混じった言葉をかけてその場を離れた。
ドアを開けて外へ出ようとしたとたん、そこに立っていた私の存在に初めて気づき、
「うわっ。ルディ、ここに居たの?」
「……気になっちゃって」
「そう、だよね。心配しない方がおかしいよね。今は落着いたから大丈夫。僕には刻印を消すことはできないけど、少しだけなら刻印が命を奪う時間を遅らせることができる。さっきはその術をかけていたんだ」
「そう……だったのね」
「ここで立ち話もなんだから、下で話そうか」
心配で部屋の中を覗き込もうとする私を半ば強引に連れ、ゼニスは部屋を離れた。
2階のリビングへ移り、デーブルを挟んで向かい合って座る。温かい紅茶を差し出すと、ゼニスはゆっくりと自分のもとへ引き寄せた。
「ありがとう」
熱そうに、紅茶を一口。美味しいね、と柔らかく微笑んで、ゼニスは静かにカップを置いた。
「ゼニス、ライルのこと教えて。刻印のことも、4年前のことも」
ゼニスなら知っているはず──ゼニスだけが知るライルの過去を、私の知らない4年前の出来事を……。そう思い、思い切って切り出した。
「あれ? 本人から聞いてないの?」
すると、ゼニスは意外そうに聞き返してきた。
「いつも肝心な事を教えてくれないのは、小さい頃から変わらないでしょ? 私が聞いても、すぐに
「そっか、確かにね。でも、ライルらしいね」
と、ゼニスは少し呆れ気味に吹き出した。
ふと、静まり返った部屋に微かな水音が響く。窓の外を見やると、いつの間にか雨が降り始めていた。
4年前、ライルが姿を消したあの日も、同じように雨が降っていた。
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