【6】4年前の真実(1)

 全ての歯車が狂い始めたのは、4年前のあの日――


「シスター!」


 息を切らして、私はシスターの私室に飛び込んだ。

 いつもなら「女の子なんだから静かに開けなさい!」と怒るのに、その日のシスターは何も言わなかった。窓際まどぎわに立ち、こちらを振り返った表情には、戸惑いと不安、悲しみの色が滲んでいた。


「ルディ……」

「シスター、ライルがっ。町にこんなものが貼り出されていて!」


 手にした指名手配書を差し出した。

 夕食の材料を買いに町へ行くと、ライルの指名手配書が至る所に貼り出されていた。罪状は反逆罪。あまりにも突然で、状況を呑み込むことができなかった。


「シスター、どうしてライルが……?」

「先程、私のところにも手紙が届いたわ」

「ライル、傷が! 今手当を」

「ルディ!」


 止血できるものを探そうと背を向けたとたん、背後からライルに抱きめられた。

振り返ろうとすると「少しこのままでいさせてくれ」と、今までに聞いたことがないくらい弱気な声で言った。


「俺はこの先、追われる身だ。だから、しばらくはここにも帰ってこられない」

「ライル、これからどうするの?」

「……やらなきゃならないことがある。だから、どんなことをしてでも逃げ続けるよ」


 ライルが腕を解くと、その気配が背から離れていく。急に不安になって振り返ると、ライルは私の手に銀色のバングルを握らせた。


「これ、何?」

「大切なものなんだ。俺がいない間、預かっていてくれ。これ、凄いんだぞ。持ち主を守る不思議な力があるんだ」


 と、ライルは無邪気に言った。笑っていられる状況ではないはずなのに、そういうところは小さい頃から何も変わらない。


「ルディはお人好しだからな。すぐに付け込まれて騙される。これを持っていれば、少しくらい役に立つだろ」

「何よ、それ。いつもそうやって、私を馬鹿にして」


 シスターは声を震わせ、一通の手紙を差し出した。

 封筒を閉じる封蝋ふろうには、エルディア帝国の紋章である双頭の龍が押されている。ろうは深い青。ライルが所属しているエルディア魔法士隊から送られてきたものだった。


「捕えられていたライルが牢から逃げ出したらしいの。もし、ここに戻ってくることがあれば、すぐに通報するようにって……」

「ライルは何をしてこんなのことに? そういえば、ゼニスは? ゼニスはライルと同じ魔法士隊にいるから、事情を知っているはずです。連絡はないんですか?」


 シスターは静かに目を伏せ、首を横に振った。


「手紙には何も書かれていなかったわ。ただ、皇帝に逆らったとしかなくて」

「逆らった? それなら、その経緯だってあるはずですよね? 説明もないのに反逆罪で指名手配って言われたって、納得できないじゃないですかっ」


 私は自らそう口にしながら、奇妙な違和感を覚えていた。それが何かと問われても、はっきりとしたことは答えられない。けれど、どうしても腑に落ちなかった。

 子供の頃から、ライルは落ち着きがなくて無茶ばかりしていた。思いついたら即決。考える前に行動に移すし、危険なことでも首を突っ込む。その度にシスターにこっこっぴどく叱られていた。

 人一倍曲がったことが嫌いで、どんなに強引で我がままでも、人の道から逸れるようなことは決してしない。そんなライルが罪を犯すなんて考えられなかった。


「ライルは、今どこにいるのかしらね……」 


 シスターはまるでその姿を探すように、窓の外を見つめた。

 正午過ぎに降り始めた雨は、雨足を強めながらも静かに降り続けている。窓に叩きつけられる雨粒が、いつになく悲しげな音に聞こえた。

 この雨の中、濡れてはいないか。凍えてはいないか。心配する反面、腹立たしさもあった。


「私、ライルが嫌いです……いつも、心配ばかりかけるから」

「……少し、部屋で休みなさい。私もゼニスと連絡を取って、事情を聞いてみるから」


 突然のことで、シスターも戸惑っているはず。ここで私が騒ぎ立てても、迷惑をかけるだけだった。言われるがままにうなづき、私は部屋を出た。

 ドアを閉め、廊下に立ち止まったまま、手にした指名手配書を見下ろす。


 聞きたいことも、知りたいこともたくさんあったけれど、考えていても仕方がない。心配するのも、怒るのも、ゼニスの連絡を待ってからでも遅くはないはずだから。

 手配書を小さく折りたたんでポケットに押し込み、2階にある私室へ戻った。

 なんだか妙に部屋が寒いような気がして、ふと辺りを見回した。今日は1度も開けていないはずなのに、どういうわけかテラスが開いていた。


「もしかして、シスターが開けたまま閉め忘れたのかな?」


 空気の入れ換えだと言って、シスターは私の部屋の窓を開けることがある。きっと、私が出かけている間に開けたに違いない。

 このままでは、雨で床が濡れてしまう。その思いに急かされ駆け寄った。


 カーテンに手が届く一歩手前で、半分ほど閉ったカーテンが不自然に膨らんでいることに気づいて、私は慌てて立ち止まった。

 そこには気配があった。明らかに“誰か”がいる。


「……だ、誰?」


 勇気を振り絞って声をかけた。少し間を置いてからカーテンがユラリと波打つ。そこに隠れていた者が、おずおずと姿を現した。


「ライル!」

「驚かせて悪かったな。シスターに顔合わせ辛くて……テラスから入らせてもらった」


 隠れていたのはライルだった。いつもなら文句の一つでも言っているところだけど、今はそれどころではなかった。

 歩み寄り、ライルの腕をしっかりと掴んだ。部屋が薄暗いせいで気づかなかったが、その腕は水がしたたるほどにれていた。きっと雨の中を逃げてきたのだろう。手の平に伝わる肌の冷たさに戸惑ってしまった。


「……町に、ライルの指名手配書が貼り出されていたわ。ライル、何をしたの?」

「色々と、な。でも、俺は罪だと言われるようなことはしてない。それはシスターと……ルディに誓って断言できる」


 腕を掴んでいる私の手に、ライルは自らの手をそっと重ねた。手は氷のように冷えきっていた。

 そばにきて、私はようやく気づいた。ライルの口元や頬、手に至るまで、殴られたようなあざや傷が幾つもある。口元の傷はまだ新しく、薄らと血が赤くにじんでいた。


 そう言い終わる前に、ライルは再び私を抱き寄せた。まるで別れを惜しむみたいに、ギュッと強く――


「そろそろ行くよ。城の魔法士達が俺を捜してる。嗅ぎつけられる前に離れないと」

「待って! 城で何があったのか、ちゃんと教えてよっ」

「……たいしたことじゃない。だから、周りの連中が何を言おうと俺のことを信じろ。いいか、俺のことだけ信じてればいいんだ」

「ライル!」


 制止を振り切り、ライルはテラスから勢いよく飛び出していった。

 すぐに後を追ってテラスへ飛び出したけれど、どこを見渡してもライルの姿はなかった。降りしきる冷たい雨を、ただ見つめることしかできなかった。

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