【2】咎の魔法士(2)

ゲートが閉じると同時に、追って来ていた影の手も、行く手を遮られ見えなくなる。これでやっと逃げ切れる、そう思うと自然に安堵あんどしていた。


 真っ白な空間をしばらく走ると、再び前方に扉が現れた。そこを抜けて出た先は、どこかの町の居住区だった。

 私の住んでいた町【ダルク】は、建築様式が古く木造建てが多い。周囲の家々がレンガを用いているのを見ても、ここがダルクではないことは明らかだった。


「ライル、ここはどこなの?」

「帝都のスラムだ。庶民階級よりも更に下層の連中が住んでいる、いわば皇帝の恩恵が届かない寂れた地区だ」

「帝都って……えっ! ダルクから帝都まで500キロも離れているのよ? 一瞬でそんな遠くまで……そんなことより! 指名手配されているのに、皇帝がすぐ傍にいる帝都に隠れていたの?」

「まさか、お尋ね者がこんなにすぐ近くにいるなんて、誰が考える?」


 肝が据わっているのか、それとも単に怖いもの知らずなのか。ひょっとすると、命知らずなのかもしれない。呆れてものも言えなかった。


「とりあえず、もう追っては来ないはずだ」

「そう、よかった……って、よくないっ!」


 油断しているライルに不意打ちをかけるように、襟元を掴んでぐっと引き寄せた。

突然のことに、ライルも目を丸くして驚く。


「4年だよ? ずっと連絡もしないで、今まで何してたの? 反逆者になってお尋ね者になって。私、どうしてライルが追われてるのか、理由だって知らないんだよ? それも話さないでいなくなるからっ」

「わ、わかったから。少し落ち着けよ」


 襟元えりもとを掴む私の手をそっと離し、なだめるように私の頭を撫でた。その時、初めて気づいた。ライルはすっかり大人になっていた。

 4年前はひょろりとした細身の少年だった。背丈も、私の目線より少し高いくらだったのに、今は見上げなければならないほど大きくて、体つきもまるで違う。声も低くなっていて、なんだかしっくりこない。


「何見てんだよ。文句でもあるのか?」


 じっと見つめている私が気になったらしく、ライルは眉間にシワを寄せた。


「……私の知っているライルじゃないから、妙な感じがして」

「4年も経てば変わるだろ。ルディだって変わ……あんまり変わらないな」


 意地悪そうな満面の笑みで、堂々と馬鹿にするところは相変わらず。4年という時間が経って外見は大人びても、中身はそのままだった。


「どうして急に、帰って来たの……?」

「ルディに預けたこのバングルが必要になって、取りに戻ってきた」


 私の手を取り、ライルは右手首にはまったバングルに触れた。親指の腹で撫でながら、どこか不安げな表情を浮かべている。


「俺の人生を左右する重要なものだからな」

「さっきの女の人が言ってたわ。これは皇帝陛下のもので、ライルが盗んだんだって。それ、本当なの?」


 その問いに、ライルは躊躇ためらいがちに1度だけ頷いた。


「ルディも知ってるだろ救世の鍵アナスタシスって」

「うん、知ってるよ。おとぎ話に出てくる宝石でしょ?」


 人間のように意思を持ち、世界を支配できるほどの力が封じ込められた【サロの禁書】。封印を解くには【救世の鍵アナスタシス】と呼ばれる宝石が必要不可欠で、もし封印を解くことができれば願いが叶うという。子供の頃、誰でも1度は耳にする有名なお伽話だ。


「そのお伽話がどうかしたの?」

「このバングルが、その救世の鍵アナスタシスなんだ。城に保管されていたのを、俺が持ち出した」

「えっ!」


 思わず声が裏返った。ずっと昔、サロの禁書と救世の鍵アナスタシスが本当に存在したかもしれないと、研究していた学者がいた話は聞いたことがあった。まさか、本当に存在していたなんて――。


 確かに、襲ってきた女魔法士が「皇帝陛下のもの」と言っていた。城で保管されていたのは間違いないみたい。かといって、それが本物だと言われても、そう簡単に信じられるわけがない。


「もしかして、これを持ち出したから反逆罪に?」

「その程度で罪になるわけがないだろ。とにかく、俺にはこれがどうしても必要なんだ。目的を果たすためには……」


 そう呟くライルの顔には、あせりがにじんでいるように見えた。そんな顔を見たのは初めてで、どうしていいのかわからず、戸惑ってしまった。


「俺には時間がない。一刻も早く、これを調べて見つけ出さないと――」


 そう言いかけたライルは、私の手首を見て不思議そうに首を傾げた。


「……おい。なんで、こんなにしっかり手首にはまってるんだ? ルディの手首にはめても、少し緩いくらい大きかったよな?」

「それは私が聞きたいわよっ。突然ちぢんではまっちゃったんだから」

ちぢんだ? それじゃ、手首から取れなくなったのか?」


 深く頷く私に、ライルは呆然としていた。一体何が起こってこうなったのか。あれこれ理由を考えているようだった。思い当たることでもあったのか、ライルは「あっ」と罰が悪そうな声を上げた。


「まさか、俺が施した術が暴発した……?」

「ぼ、暴発?」

「いや、実は……」


 ライル曰く、万が一、私に救世の鍵アナスタシスを預けたことがエルディアの魔法士達に知られた時のために、ライルは術をかけていたらしい。

 救世の鍵アナスタシスを狙う者、あるいは企みを持って私に近づく者。そういう人の心の波動を感じ取って反応するらしい。火花を飛ばしたり炎の壁を出現させていたのは、救世の鍵アナスタシスが敵から身を守るための防御反応だったそうだ。


「あくまで推測だが……救世の鍵アナスタシスを守るために施した術が暴走して、手首にはまったんだと思う。あぁ、マズイな」

「何が、マズイの?」



 あまり聞きたくはない雰囲気だったけれど、どうしても聞かずにはいられなかった。


「さっき、襲ってきた女がいただろ。あいつは、皇帝に仕える最高位の魔法士ファロー・シャンクマン。城にいる全ての魔法士の頂点に立ってるやつだ。ファローはこの4年間、逃亡していた俺と盗んだ救世の鍵アナスタシスの行方を追っていたんだが」


 雲行きがだんだん怪しくなってきた。これ以上、話の先を聞いてはいけない気がする。耳を塞ぎたくなっている私のことなどお構いなしに、ライルは淡々と話を続ける。


「1年くらい前に、俺が救世の鍵アナスタシスを持っていないことに気づいたらしい。どうやって調べたのかはわからないが、ルディが持っていると突き止められた。この状況からすると、今すぐにでも救世の鍵アナスタシスをルディから遠ざけないと危険だ」

「で、でも、これ抜けないじゃないっ」

「そうだよな……。このまま置いておけば、必ずファローがこれを奪いに来る。そうなると、結果は一つだ」

 

 見下ろす目が細められ、不敵な笑みを作る。背中を指先でスーッとなぞられたような気がして、思わず体が強張った。


「ルディ、俺と一緒に来い」

「い、一緒にってどういうことよ!」

救世の鍵アナスタシスだけ持って行くつもりだったが、手首から抜けないならルディごと連れて行くしかないだろ。悪いが、しばらくは逃亡生活に付き合ってもらう」


 話が妙な方向に進んでいるのは間違いない。このままでは大変なことに巻き込まれるのではないか。何となく、そう感じた。


「いや、でもっ」

「いいのか? あいつら、何をするかわかんねぇぞ?」


 ライルは救世の鍵アナスタシスのはまった右手をそっと掴んで、再びニヤリと半笑い。


「皇帝はこれを血眼になって探してる。つまり、連中にとって取り戻さなければならない重要な物だ。それが手首にはまって抜けなくなったとなれば」

「……となれば?」

「手首、バッサリ切り落とされるかもしれないな」


 少しでも、その光景を想像してしまった自分を呪った。とたんに背筋が寒くなって、一瞬にして鳥肌が立った。

 昔からそうだった。ライルに関るとろくなことがない。必ずと言っていいほど、私は事件に巻き込まれる。この救世の鍵アナスタシスのことも、大いに巻き込まれたみたい。

 相手が血眼になって探すような物を城から持ち出して、「大切なものだから」と預けていったことも、それを後生大事に持っていた私自身も、何もかもが腹立たしい。


「俺なら、あいつらからルディを守ることもできる」

「……守る?」


 守るなんて口実に過ぎない。ライルは“目的がある”と言っていた。自分の目的のために、私を丸め込もうとしているだけ。わかっている。わかってはいるけど――それを拒むことなんてできなかった。

 女魔法士が使った、あの魔術が脳裏に焼きついている。影を自由自在に操ってしまう、あの魔術。あんな恐ろしい力を使う魔法士相手に、魔術すら使えない私が太刀打ちできるわけがなかった。


「ルディ、一緒に来い。必ず、俺が守ってやるから」

「……わかったわ、ライルと一緒に行く。だけど、1つだけ条件があるわ」


 その言葉が気に食わなかったらしく、ライルはあからさまにムッとした顔をする。


「一緒に行くけど、ずっとじゃないわ。逃げて私を守る間に、救世の鍵アナスタシスを手首から外す方法を見つけて、私をシスターのもとへ帰して。それが条件よっ」

「相変わらずわがままだな……まぁ、いい。できる限りのことはする」

「巻き込んだ責任はとってもらうから。宣言通り、守ってもらおうじゃないの」


 救世の鍵アナスタシスがどうとか、魔法士が血眼で探しているとか、現時点でわからないことばかり。こうなったら野となれ山となれ。こんな状況くらい、乗り越えてみせる。

 物事は、なるようにしかならないのだから――

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