【3】逃亡生活

「……ねぇ。本当に、ここで生活しているの?」


 私は、目の前に鎮座する家を前に、ただただ首を傾げるしかなかった。

 ライルが「隠れ家に使っているやしきがある」と言うからついてきてみれば、そこにあったのは木造平屋のオンボロやしきやしきというよりも“築100年以上、長閑な田舎にある古民家”だった。おまけに建物全体がかたむいていて、指先で突いただけで崩れそう。


「これは、人が住めるような家じゃないように見えるんだけど……」

「そう思わせるのが狙いなんだ。中は思っている以上に新しいし、広くて快適だ」


 単なる言い訳なのか、それとも見栄なのか。

 今にも崩れそうなオンボロ邸を前にしては、何の説得力もなかった。


 入ってみればわかると言うライルに促され、不安と期待を抱きながら家の中へと足を踏み入れた。


「こんなことって……」


 外観は今にも崩壊しそうなのに、ドアを潜ったとたんに景色は一変する。建物の構造上あり得ない空間がそこには存在していた。

 外から見れば木造平屋なのに、実際の室内は信じられないほど広く、2階へ続く階段もある。広いエントランスがあって、まばゆい陽の光が部屋全体に射し込んで、ほのかに日向の匂いがした。明らかに外観と相反する内部構造になっていた。


「ライル、どうなってるの?」

「本来は3階建てなんだ。追手に見つからないよう術をかけて、人が住んでいないような外観に変えてあるんだ」


 説明を受けながらうなづいてはみたものの、驚きと困惑が大きかったせいか、そうなのだと、理解したように自分に言い聞かせただけだった。


「やっぱり、逃亡者ともなると色々対策を練っているわけね」

「まぁ、そんなところだ。とりあえず、上に行くぞ」


 こんなところでは落ち着いて話もできないと、ライルはブツブツ言いながら正面の階段を上がっていった。

 今、ライルの頭の中は救世の鍵アナスタシスでいっぱい。4年振りに再会したのだから、ゆっくり話くらいしてくれてもいいのに……。良く言えばアッサリ、悪く言えば素っ気ないというか。モヤモヤした気持ちを抱きながら、その後を追った。


「な、何これ……」


 2階へやってきて早々、私の足は入口で止まった。

 部屋の中は酷く散らかっていた。テーブルは大量の本や資料で埋め尽くされ、食事をする場所すらない。すでにテーブルとしての機能を失っている状態だった。

 それだけならまだしも、棚にはジャムやピクルスの瓶の他に、怪しげな色の薬や液体の入った瓶が置かれている。全く整頓されていない上に、床や椅子にはたくさんの衣服が散乱していた。


「少しくらい片づければいいのに……まだ臭いがないだけマシね」

「何をぶつぶつ言ってるんだ? そこにソファがあるから座って」

「ソ、ソファ?」


 辺りをよく見回して、やっと、それらしき物を見つけた。

 一見するとゴミしかないように見えるけれど、その中に真っ赤なソファらしきものが埋もれているのが窺える。もちろん、ライルの服や本が積み重なっていて、到底座れるような場所はなかった。


 とりあえず衣類の一部を床に置いて、ようやく見えた隙間に浅く腰掛けた。同時に、ライルも隣にドカッと座った。背に凭れ、息を深く吐いて天上を見上げた。


「ライル。そろそろ、教えてくれない? 4年前のこと」


 その問いに、ライルの横顔がほんの少しだけ動揺したように見えた。様子を窺うみたいに、ちらりと横目でこちらを見たけれど、その視線はすぐに天井へ戻った。


「ずっと知りたかったの。どうして、ライルが追われるようになったのか」


 4年前、何の前触れもなく、ライルの指名手配書が町中に貼り出された。その罪状すら公表されることはなく、ただ“反逆者”という言葉だけで片付けられた。


 幼馴染の魔法士を殺しただとか、皇帝の命を狙ったと、出所すら定かではない噂も流れていた。それを耳にする度に胸が痛かった。何も知らない私やシスターには、ライルをかばうだけの確かな証拠も言葉も、あの時にはなかったから。


「4年前、何があったの?」

「……成り行きだ。ルディが気にすることじゃない」

「気にすることじゃないって……そんなの答えになってないよっ」


 問い詰めようとすると、ライルはもたれていた体を起こし、不意に私の髪に手を伸ばした。指先で少しからめ取りながら触れ、距離を詰めて真っ直ぐに見つめられる。


「そんなことはどうでもいい。せっかく久し振りに会ったんだ。嬉しくないのか?」


 知っている――ライルが普段口にしない、こういう甘えるような言葉を口にする時は、この話題から逃げたい時。小さい頃から何も変わっていない。


「またそうやって誤魔化ごまかすんだね」

誤魔化ごまかす?」

「ライルの悪い癖よ。いつも肝心かんじんなことは教えてくれない。どんなに大人っぽくなっても、そうやって逃げるところは変わってないんだね」


 反論できなくなったらしく、ライルは困ったように頭を掻いた。

 話したくないなら話さなければいい。私だって協力しない。そんな雰囲気を出して溜息をつくと、ライルは躊躇ためらいがちに口を開いた。


「……ルディに預けたそのバングルは、おとぎ話にある救世の鍵アナスタシスだって言っただろ? おとぎ話に過ぎなかった物がここに存在するってことは、当然“サロの禁書”も存在するってことだ」

「理屈ではそういうことになるんだろうけど。えっ? もしかしてライル」

「俺は今、サロの禁書を探してるんだ」

「でも、サロの禁書はお伽話だよ? 実際に存在する書物じゃないわ」

「俺も最初はそう思ってた。でも、世界中を転々としながら色々な文献を調べるうちに、存在する可能性が高いことがわかった」

「願いが叶うサロの禁書が……ライルが救世の鍵アナスタシスを取りに戻ってきたのは、サロの禁書を見つけて封印を解いて、願いを叶えてもらうため?」


 ライルは深く頷いた。

 正気なのだろうかって、不安になった。おとぎ話の中に登場する書物を探して、願いを叶えてもらおうだなんて言い出すから。

 真っ直ぐ見つめるライルの目は真剣そのもので、嘘偽りを言っているわけでも、からかっているわけでもなさそうだった。だから、なおさら心配になる。


「事情は何となくわかったけど……でも、おとぎ話の書物だよ? 仮に本当に存在するのだとして。ただ〝願いを叶えるため〟って言われても説得力がないわ。ライルの願いって何なの?」


 たずねても、ライルは答えようとしなかった。まさか“世界を支配できるような力がほしい”なんて理由だったりして。

 問い詰めても多くを語ろうとしないのは、安易に話せないことなのか、特別な理由があるのか。どちらにしても、納得がいかない。


「……私をここまで強引に巻き込んでおいて、何も話さないなんてズルイよ」


 責め立てる言葉を飲み込むように、突然、辺りに轟音ごうおんが響いた。

 蜂が飛ぶ際に発する羽音によく似た音がする。背筋がゾッとするのを覚えて、音のする方へ、反射的に顔を向けた。


 窓の外に広がる雲一つない晴天の空に、何かの生物が数百、或いは数千数万の群集となって上空を移動しているのが見えた。

 私とライルは窓へ歩み寄り、カーテンの隙間からそっと様子を窺った。


「ライル、あれは何? 気味が悪い……」

「あれは……追尾蛾ついびがだ。脱獄した罪人を見つけ出すために、城の魔法士達が使用する捜索用の蛾だ。おそらく、俺を捜し出すために放ったんだろう」


 ライルはそう答えて、憎々しくにらみつけていた。不安か、それとも焦りか。ライルが何を考え、何を抱いているのか、今は読み取ることができない。ただ、心が揺らぐのを確かに感じて胸の奥が苦しくなった。


「ライル、大丈夫なの? 城の魔法士がここを見つけたら……」

「あんな蟲に見つかるようなヘマはしないから安心しろ」


 ライルがそう言いかけた時だった。再び辺りが騒がしくなった。

 耳をつんざくような飛行音と共に、数十機もの飛行艇が上空を飛んで行くのが見えた。


「あれって……戦闘艇だよね」

「あぁ。これから戦地へ向かうんだろう」


 今、世界では長きに渡って戦争が続いている。どの国がどの国を支配下に納めるか、各国の皇帝達が躍起になっている。

 街灯やランプはもちろん、戦闘艇や飛行艇を飛ばすための燃料に至るまで、この世界では【エレミアナイト】と呼ばれる、自然界で生じる高濃度の魔力が凝縮した鉱石が必要不可欠。

 戦争が長引けば自ずとそのエレミアナイトも大量に消費し不足する。自国の採掘量では補えないと分かれば、豊富なエレミアナイトが採掘される領土を、そして資源を巡って再び戦争が始まる。


「戦争で勝利をおさめるには、強大な力が必要だ。どの国の連中も行き着く答えは同じだ。皇帝達の目は、おとぎ話に過ぎなかったサロの禁書、それを解放することのできる救世の鍵アナスタシスに向けられた」

「それじゃ、本当にサロの禁書は存在するの?」

「それを裏付けるだけの証拠が、いくつか見つかっているらしいからな」


 空を見上げるライルの瞳に、薄らと苛立ちの色がにじむ。どこかもどかしさを抱いているようにも見えた。


「サロの禁書には、願いを叶えるという説の他に、覇者はしゃとなる力……古代の魔法兵器の設計図が記され、封じられているという説もある」

「兵器? それで皇帝達は手に入れようとしてるの?」

「まったく……力を手に入れても、何の解決にもなりはしないのに。力に魅入られた者の心情は俺には理解できない」


 戦闘艇を見ていると気分が悪くなると言って、ライルは苛立った様子でカーテンを閉じた。

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