サロの禁書と咎の魔法士~指名手配中の幼馴染のせいで逃亡生活に巻き込まれました~

野口祐加

【1】咎の魔法士(1)

 雲ひとつない晴天の下、溜息が1つ。

 シレニア通りを往来する人々の声にかき消され、解けていく。


「シスター、ごめんなさい……」


 叱られた子犬みたいに肩を落としながら、恐る恐る声をかけた。

 数歩前を歩くシスター・サディアの背中が、いつもより小さく見える。それは落胆して、綺麗な姿勢が崩れているせい。


 少し間を置いてから、シスターは半身だけ振り向いてくれた。ジッと見つめ、そして溜息をつく。その原因は私にある。申し訳なくて、私も溜息をついていた。

 今日、シスターのすすめでお見合いをした。相手はダルク領を治める領主の子息。包み込むような優しい笑顔が素敵な好青年で、悪い人ではなかった。ただ、ある事情で失敗に終わってしまった。


「あの人も駄目なの? とてもいい人そうだったのに」

「そ、そうですね。多分、いい人だと思うんですけど……」


 するど眼差まなざしに居心地の悪さを覚えて、さりげなく視線を落とす。

 私の右手首には、ベルトのように太い純銀製の輪に、親指の爪ほどのサファイアが一つだけ埋め込まれた、簡素で年季の入ったバングルがはまっている。口籠くちごもりながらそれに触れている私を見て、シスターがまた溜息をついた。


「これで何人目かしらね。そのバングルのお眼鏡にかなわなかった人」

「確か……8人目だったと思います」


 この縁談がいつも失敗に終わるのは、このバングルが持つ不思議な力のせい。

 私にも詳しい理由はわからない。こういう古い装飾品には、護身用として魔術が施されていると聞いたことがあるから、おそらくはその類。


 人の見えない本心のような部分に反応して、私を危険から守っているのかもしれない。激しく火花を飛ばしたり、閃光せんこうを放って目を晦ましたりと、お見合いの相手に会うと必ず奇妙な反応を示していた。


「そのバングル、本当に人の心を見透かして反応しているのかしらね?」

「実際、シスターが傍に居ても何も起こりませんからね」


 納得がいかない、そう言いたげに呟いてシスターが立ち止まった。

 視線の先に1本の街灯があり、柱には指名手配書が貼られている。掲載されている写真には幼さの残る1人の少年が写っていて、生意気そうにこちらを睨みつけていた。


――“【元魔法士ライル・ベルハルト】皇帝陛下に仕える身でありながら、命令に背いた逆賊。見つけた者に1000万セディ”


 4年前、皇帝の命令に背いて反逆罪に問われ、今も逃亡中の元城仕えの魔法士ライル・ベルハルト。

 今や、世間でその名を知らぬ者などいない犯罪者が、同じ孤児院で育った私の幼馴染みであり、このバングルの本当の持ち主。


「まったく……彼も余計な物を置いて行ってくれたものね」

「持ち主を守る力があるとは聞いていたんですけど。まさか、人を威嚇いかくするような力だとは思いませんでした」


「彼が私達の所へ帰ってくることはないと思うの。それでも、まだ持っているつもり?」

「約束しましたから……」


 答えながら、私は奥歯をグッと噛みしめていた。

 私は彼が嫌いだった。小さい頃から強引で我がままで、自由奔放じゆうほんぽうで、天邪鬼あまのじゃくで。

 どうして罪を犯したのか、一緒に育った私にさえ、その理由を話さずに姿を消してしまった。そんな彼のために、このバングルを後生大事ごしょうだいじに持っている必要はない。


 姿を消す前日、彼が「大切な物だから」と言って置いて行った。いつも本音なんて言わない彼が「大切だ」なんて言うものだから、どうにも捨てられずにいる。


「私はね、ルディに幸せになってもらいたいのよ。それがあると、ルディが幸せになれないような気がして……」

「シスター、考え過ぎですよ。私はその気持ちだけで十分です。それに私、まだ孤児院でお手伝いしたいことがたくさんありますから」


 シスターは私が年頃だからと、縁談えんだんすすめてくれる。その気持ちはとても嬉しかったけれど、本音を言えば結婚なんてまだ先の話。

 戦争で両親を失った私を、ここまで育ててくれたのは他ならぬシスター。恩返しさえできていないのに、自分だけが幸せになるなんて考えられない。


 このバングルが奇妙な反応を示してくれるおかげで、縁談を断る口実になる。私としては、内心ホッとしていた。

 それからしばらく、会話を交わさぬまま通りを歩く。

 商人たちの露店がずらりと並ぶベリドット通りへさしかかったところで、シスターは再び足を止めた。


「私は寄る所があるから、先に帰っていてちょうだい。用が済んだら、すぐに帰るわ」

「わ、わかりました。お気を付けて」


 私のほおを軽く撫で、シスターはペリドット通りを歩いて行く。人混みに紛れ、その後ろ姿が見えなくなったのを確認してから、私は再び歩き出した。


 いつもは中心街を抜けて、知り合いの菓子店の店主さん、花屋のお婆ちゃんと話をしてから帰るのがお決まり。今日はシスターを困らせてしまったせいか、寄り道している気分にはなれなかった。

 少しでも早く帰ろうと、普段は滅多に通らない、魔法士達の工房が建ち並ぶ職人街の路地に入った。


「ちょっと待って」


 数歩ほど歩いたところで、突然、声をかけられた。

 振り返えってみれば、そこには一人の女性が立っていた。歳は40ほどだろうか。赤毛の短髪に、真っ赤な口紅が良く似合う綺麗な女性だった。


「私、ですか?」

「えぇ、そうよ。あなた、ルディ・シゼルね?」


 どこかで会ったことがあるだろうか――いくら記憶を辿っても、顔はもちろん名前すら思い出せない。

 下手に知ったようなふりをするのも失礼。ここは正直に、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい、どうしても思い出せなくて。あの……どこかでお会いしたことが?」

「いいえ、あなたと会うのはこれが初めて」


 笑って細めた目が、私ではなく別の何かを見ている。視線を辿った先にあったのは、私の右手首のバングル。なぜ、これを見ているのかわからず、私は首を傾げた。


「やっと見つけたわ。あいつが持っているのだとばかり思っていたのに、こんな所に隠していたなんてね。本当、彼には振り回されるわ」

「あの……一体、何のことですか?」

「そのバングル」


 早口気味に答え、彼女は指差した。


「それは皇帝陛下のものなの。けれど、あなたの悪い幼馴染が盗んで持ち去ってしまったのよ。返してもらうわね」

「えっ、ちょっと待って下さい!」


 戸惑っているすきをついて、彼女は足早に私に歩み寄った。

 手首を掴んだその瞬間、バチバチッと、激しく火花が飛び散り、赤く輝く炎の壁が瞬く間に広がった。彼女はそれに阻まれ、手は強く弾かれた。


「な、何なの……? 今のは、一体」

救世の鍵アナスタシスにこんな力などなかったはず……。妙な小細工をしたものね」


 してやられたわ、と、彼女は呆れた様子で冷笑した。


「ここであきらめるわけにはいかないのよ」


 ニヤリと、冷たい笑みを浮かべ、彼女は指をパチンと打ち鳴らした。

 音が風に溶け、震わせながら広がっていく。

 呼応するように足元の陰がユラリ、グニャリと動き出す。まるで地を這うようなうめき声と共に、陰は分裂し、無数の黒い手となって襲いかかってきた。


 怖い、助けて。叫びは頭の中で響くだけ。足がすくんで逃げることもできなかった。

 もう間に合わない――そう覚悟した時。カタカタと、まるで警告するみたいに再びバングルが震え始めた。

襲いかかる影の手を遮るように、バングルは青い炎の壁を放って跳ね返した。


「凄い……このバングルに、こんな力があったなんて」


 これがあれば、彼女から逃げられるかもしれない。張り詰めていた緊張と不安が和らいだのも束の間。バングルの震えが強くなったかと思えば、キュッと縮まって、手首にはまってしまった。


「えっ!? ちょっと、嘘でしょっ。どうして急に……やだっ、抜けない!」


 取り外そうと試みたけれど、どうやっても抜けない。

 目の前では黒い影の手が襲ってくる。その上、突然バングルは手首にはまって取れなくなる。もう何がなにやら。

 とにかく、この場から離れなければ――炎が跳ね返している間に、私はその場から急いで逃げ出した。


「何なのよっ! どうして私がこんな目にっ」


 8回もお見合いが駄目になって、シスターに怒られて、訳のわからない魔法士が襲われて。今日ほど最悪な1日はない。


「どこまで逃げれば……もう、諦めたかな?」


 入り組んだ路地を無我夢中で走りながらも振り返った。

 行く手を阻んだ炎の壁を突き破ったらしく、影の手が私を捕えようと後を追ってきていた。


「えっ! まだ追って来てるっ。もう、どうなってるのよっ!」


 その勢いは衰えることなく、どんどんその距離を詰めていた。

 ズズズズズッ、ズルズルズルッ。


 這いずる不気味な音が強さを増していく。今にも動かなくなりそうな手足を必死に動かし、走っていた矢先のこと。前方に見えた右の路地から、スッと男が飛び出してきた。


「すみませんっ、そこ退いて下さい!」


 1人通り抜けるのがやっとの広さしかないこの路地で、行く手を塞がれたら影に追いつかれてしまう。

 退いてと身振りで示しても、彼は一向に退いてはくれない。すると、何を思ったのか私のもとへ駆け寄って、素早く肩を抱き寄せてきた。驚いている私をよそに、自分が出てきた路地へと引き込み、そのまま連れて走り出した。


「えっ? ちょっと、何なんですかっ!」

「危なかったな。もう少し遅かったら、あいつの手に渡っていたところだった」


 ドクンッと、鼓動が痛いほどに跳ね上がった。

 私は息を呑んで男を見上げた。長い黒髪に瑠璃色の瞳、悪戯っぽい笑みを浮かべて見下ろしているその男は、4年前に行方を晦ました幼馴染のライルだった。


「えぇっ! ライル!」

「久し振りだな、ルディ。元気だったか?」

「元気って……今の今までどこに行ってたのよっ!」

「まぁ、世界中を転々と。その話はあとでゆっくりする。今は、アレから逃げないと」


 ライルは肩越しに振り返る。あの女魔法士が放った影の手はまだ諦めていないらしく、執拗に私を追って来ていた。


「よくわからないんだけど、妙な女が声をかけてきて……そうよっ、ライルが私に置いていったこのバングルを返せって、襲ってきたんだから!」


 バングルがはまった方の手首をライルに突きつけると、他人事みたいにケラケラと笑った。


「ルディにそれを預けていたことが知られたんだ。それで俺も焦って、こうして助けに来たんじゃないか」

「このバングル、ただのお守りじゃないの?」

「その話も後だ」


 ライルは方向を示すように前方を指差す。突き出した人差し指で円を描けば、空間が縦に避け、光を放つ楕円の穴が突如として出現した。

 あの女魔法士同様に、ライルも魔術を自由自在に操る魔法士。姿を消したり、人形を操って敵の懐へ偵察に行かせたり。魔力があるのに魔術を一切扱えない私と違って、こういった奇怪な術をいとも簡単にやってのける。


「ライル、あれ何っ」

「移動用のゲートだ。あれをくぐれば、数百キロ離れた場所まで瞬時に移動できる。走って逃げ切れる相手じゃないからな。行くぞ、ルディ」


 肩を抱かれたまま、私はゲートの中へ飛び込んだ。

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