第105話 放たれた悪魔と、散らされた幻想と

「なぜ私が捕らわれねばならないのです」


 ジリジリ近寄ってくる兵士に会わせ、ジリジリと円を描き逃げ場を探すように動くエルダネス。

 一見余裕そうに見える表情も、その額に冷や汗が浮かんでいる。


「なぜ? 何故か……」


 エルダネスの問いかけに使者は僅かに笑って答えた。


「それはあなたが今、この場にいるからだよ」

「私がここに居るのは先ほど説明したとおり――」

「そうじゃない。私はね、上司からこう伝えられているんだ」


 上司とはティレルのことだろうか。

 だとしたらこの使者はあの女の正体を知って協力していると言うことになる。


「なんと伝えられているのですか?」

「もしエルダネスという者がこの城の敷地内に現れたら注意して捕らえるようにとな」

「どうしてです? 私はただの図書館館長ですよ?」

「さぁ、そこまでは私の知ったことでは無い。ただ、お前には『絶対に王都に来るな』と命じたと聞いている」


 なるほどそういうことか。

 ティレルはあの時にエルダネスには『王城に来るな』と命令を出したのだろう。

 だから王城にエルダネスが姿を現すとしたら、それはその洗脳が解けた時。

 つまりティレルの計画を邪魔しに来た時であると。


「これは参りましたね。そこまで読まれていましたか」


 エルダネスはそれでも逃げ場を求めるようにゆっくりと場所を移動させる。

 使者と兵士も、上司が警戒する程の男であるエルダネスにすぐに手を出せずジリジリと包囲した輪を縮め。

 やがて使者が元々いた出口の方向にエルダネスが。

 使者はシャリス姫の隣りまで移動した、その時だった。


「エイル君っ!!」

「ええっ」


 突然エルダネスが大声を上げ、慌てた兵士が彼に飛びかかった。

 エルダネスはまだテイマーバッグを奪い取っていない。

 なのに僕を呼んだと言うことは、何か勝算があるト言うことだ。


「お、おい。あのオッサン、おかしくなったんじゃないのか?」


 後ろからそんなニックスの慌てる声が聞こえたが、僕はそれを無視して物陰から飛び出すと一直線に使者に向けて駆け出した。

 兵は今エルダネスを押さえ込もうと必死でこちらに気がついていない。


「くせ者がもう一人居るぞ! 捕まえろ!!」


 だが、一人使者だけは僕が走り寄ってくるのに気がつきそう叫んだ。

 まだ距離は遠く、とてもテイマーバッグが入った袋を奪うことは出来ない。


 補助魔法で体強化を掛けたくても、どうやら魔力はまだあまり回復していないらしく発動しなかった。

 その間にもエルダネスを抑える三人ほどの兵士以外が立ち上がって突っ込んでくる僕に対し使者を守るように壁を作る。

 あれでは今の僕ではもう突破することは出来ない。


「ダメか……」


 諦め掛けたその時だった。


「ぐわっ」


 そんな悲鳴の直後――


『エイル!! あなたのテイマーバッグよ!!』


 そんな声と共に、居並ぶ兵士たちの頭上を越えて何かが飛んで来た。

 それはテイマーバッグが入っているはずの袋だった。


「シャリス、君か!」


 兵士と兵士の間から、僕に向けて親指を立てているシェリスの顔が覗く。

 そしてその足下には使者が顔を押さえて倒れているのも見えた。

 一体あの姫様は何をしたんだろうか。

 そんな事を考えていると、その姫様がまた叫んだ。


『シャリス姫と呼びなさいっ! それと命令よ――』


 驚き戸惑う兵士の向こうからお転婆姫の命令が届く。


『私を助けなさい!』

「わかりました姫様っ」


 僕は飛んできた袋を滑り込むように掴むと、その口を急いで開く。

 そこには間違いなくあの日奪われたテイマーバッグの姿が有った。


「ゴブト!」


 そして僕は力の限り叫んだ!


 今の僕の魔力では普通の魔物であれば召喚することは出来ない。

 だが、今の僕でも最強の戦力を召喚できる。


 なぜなら彼はゴブリン。


 世界最弱の種族であるが故に、最低の魔力で呼び出せる最強の魔物だからだ。


『ゴブゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!』


 王城の廊下に恐ろしい方向が響き渡る。


「全員を死なない程度に戦闘不能にしてくれ」

『ゴブッ!』


 返事をするゴブトは既に臨戦態勢で、姿もゴブリンオーガになっている。

 そして愛用の二刀の剣を構え、一気に慌てふためく兵士に近づくと最初の一人の首を剣の腹で打ち据えて昏倒させた。


「な、なんだこの化け物は」

「王城に魔物だと!」

「こっちくるなぁぁ」

「悪魔だ、悪魔の使いだぁ」


 たった一人のゴブリン相手に王国の兵士や他国の護衛が阿鼻叫喚の醜態を見せたなどと聞いたら誰が信じるだろうか。

 だけど今目の前で確実にそれは起こっている。


「お、おいエイル」

「遅かったじゃ無いかニックス」

「大丈夫なんだろうな。僕の治療が必要になるようなけが人は出さないでくれよ」

「わかってるよ……多分」

「多分ってなんだよ!」


 僕とニックスがそんな言い争いをしている間に、ゴブトという最強の戦士はあっという間に十人以上もいた兵士全てを床にたたき伏せていた。

 ちなみに使者は最初にシェリスの裏拳を食らって、既に意識を失っていたらしい。


 その話を聞いたニックスは、信じられないと言って頭を抑えた。


「えっ。あの清楚で国民にも優しくて、女神のような笑顔をいつも浮かべているシェリス様が? 嘘でしょ? えっ?」


 そんなことをブツブツと呟くニックスに、当の『清楚で優しい女神のような姫様』は呆れたような視線を向けてこう言い放ったのだった。


「そんなお姫様が現実にいるわけないじゃ無い。幻想を抱きすぎですわね」


 と。

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