第五章 虎穴に入らずんば

第37話 ゴブリンテイマー、初めての馬車旅をする

「ううっ……ぎぼぢわるい……」


 僕は今、ガタゴト揺れる馬車の荷台に積み込まれた、箱の間に横たわっている。

 村にいる頃、小型の荷馬車には乗ったことはあるけれど、これほど大きな馬車に乗るのは始めてだったので、最初に少しはしゃぎすぎた。

 おかげで今、僕は荷台で顔を青ざめ、酔いに必死に耐えている。


「エイルくん、大丈夫かい?」

「あまり……大丈夫じゃ無いです」


 隣りから優しく声を掛けてくれたのは、レリック商会のターゼンさんの息子であるキリート・レリックさんだ。

 今年二十一歳の彼は、あのしわくちゃで強面なターゼンさんの子供にはとても思えないほど線が細い美男子である。

 今、この馬車の荷台には多くの荷物が詰まった箱と僕、そしてキリートさんしかいない。

 冒険者ギルドから派遣された冒険者たちはもう一つの馬車、そして二台の馬車の御者台で警戒に当たっている。


「次の休憩場所までもう少しだから、しばらく我慢してくれ」

「うえっぷ……無理やり護衛に付いてきたのにすみません」


 僕は荷台で必死に吐き気に耐えながら少し前のことを思い出す。




 ターゼンさんに会って、話を聞いてから数日後。

 レリック商会は残る財産をかき集め、起死回生の行商へ向かうことを決めた。


「タコールのやつも、何人もギルドメンバーを殺されてるから、今回は本気を出してくれるはずだ」


 領都ギルドのギルマスであるタコールに、今回の行商の件をターゼンが伝えた。

 今回の行商に失敗すればレリック商会は完全に店を畳まなければならなくなる。

 今までの護衛失敗の件も含めてターゼンはかなり強く今回の護衛は高ランク冒険者を付けてくれるよう頼んだらしい。

 

「それでAランクパーティを護衛に付けてくれると?」

「ああ。少し前に別の領地からこっちへ来た連中らしくて、俺もよく知らねぇんだが実力は折り紙付きらしい」


 最終的に行商馬車のメンバーはターゼンの息子であり、レリック商会の跡取りであるキリートと僕。

 そして冒険者ギルドから派遣されたAランクパーティ【疾風の災禍】の五人。

 あと、同じく冒険者ギルドから派遣された御者も出来るCランク冒険者二人の合計九人である。


 レリック商会の人間がキリートさんしか居ないのは、連続した野盗の襲撃により、行商に出ることが出来る専属商人がほとんど居なくなってしまったせいもあるが、それ以上に今回の『作戦』が失敗した時のことを思うと、キリートさん自らが自分以外を連れていくわけには行かないと言い出したからである。


「しかしエイルくん。君のゴブリンの情報は本当なんだろうね?」

「うえっぷ……ええ、もちろん。間違いありませんよ」


 あの日、レリック商会での会談を終え宿に帰った僕の元に返ってきたゴチャックがダイト商会の最上階で聞き出してきた話。

 僕とルーリさんはそれを聞いて、今回の作戦を実行に移すことにしたのだ。


「これだけ強力な護衛に守られていて、その野盗とやらは襲ってくるなんて信じられないんだが」

「普通はAランクパーティが護衛している商隊になんて、まともな神経があったら襲いかかりはしませんよ……うぐっ」


 僕は吐き気を必死に我慢しながら上体を起し、幌の隙間から外に目を向ける。

 すると、その幌の隙間の風景が少し揺らいで見え――


「どうだった?」

「?」


 僕が何も無い空間に向けて突然そんな言葉を投げたことにキリートさんが不思議そうな顔をする。

 だが、その顔が次の瞬間には驚きに満ちた表情に塗り替えられ、慌てて僕は起き上がって彼の口を塞ぐ。

 急に動いたので吐き気が増したが、今は彼に叫ばれるわけには行かない。


「先に伝えて置いた僕の放った斥候ですよ」


 光錯こうさくを解き、姿を現したゴチャックの姿に驚きの声を上げかけたキリートさんがゆっくりと頷くのを確認し、僕は彼の口から手を離した。


「それで、どうだった?」

『ゴブゴブブ』

「なるほど。それなら十分戦えそうだ」

『ゴブブゴ?』

「あとは手はず通りに頼むよ」

『ゴ!』


 僕に一通りの報告を追えたゴチャックは、もう一度光錯こうさくスキルを発動させ姿を隠すと、幌の隙間から外に飛び出していく。

 それを呆然とした顔で眺めていたキリートさんに僕は向き直ると小さな声で彼の耳元に話しかけた。


「どうやらこの先の中継所の少し先で仕掛けてくるようです」

「本当かい?」

「そこに脇道が隠されていて、野盗の連中が待ち構えていることをゴチャックが確認してくれました」


 そして僕はキリートさんと最終的な確認をすると、馬車の床にもう一度寝転がった。

 無理に動いたせいで吐き気が限界に近づいている。

 だが、もうそろそろ奴らが動き出すはずだ。

 今、吐いている場合では無い。


 そんなことをもうろうとした意識の中で考えていると、ゆっくりと馬車の速度が落ち、やがて止まった。


「中継所に着いたみたいだ」

「これで休めますね」


 僕は先に降りたキリートさんに助けられつつ馬車を降りる。

 やっぱり揺れない地面は最高だ。

 僕はそのままフラフラとした足取りで、中継所に作られた休憩場所へ向かう。


 街道の中継所には簡単な宿屋と領軍から派遣された兵士の詰め所、そして簡易的な休憩場所と食事処が揃っている。

 周りは頑強とは言えないが、それなりの壁に囲まれていて、出入りの門には常に兵士が目を光らせていた。


「坊主、そんなことで護衛なんて務まるのかい?」


 休憩所の椅子に倒れかかっていた僕に、護衛の一人である大男のギムイが馬鹿にしたような声音でそう言った。

 確かに初めての馬車に酔ってふらふらの僕は、そう嗤われても反論は出来ない。


「ええ、まぁ。僕自身は動けなくても、僕には戦ってくれる仲間がいますから」


 そう答え、腰のテイマーバッグを軽く叩く。

 テイマー職の良いところは、テイマー本人が動けなくても、テイムした魔物には影響が無く、各自の判断で動いてくれることにある。

 もちろんテイマーからの的確な指示が無ければ、知能の低い魔物の場合では殆ど役に立たない。

 僕の使役するゴブリンという魔物はまさにその典型で、普通であればたとえテイマーが指揮したとしても低級な冒険者にすら勝てないだろう。


「けっ。テイマー様は楽でいいよな。自分の代わりに魔物を戦わせればいいんだからな」


 ギムイの後ろから、ひょろっとした目つきの悪い男が顔を出し、そう吐き捨てるように言った。

 彼はたしかヒャラクだったか。

 Aランクパーティ【疾風の災禍】の斥候や罠解除担当だったはずだ。

 僕たちの馬車に先駆けて斥候としてこの休憩所に先にたどり着いていたらしい。


「おうヒャラク。どうだった?」


 ギムイが振り返ってヒャラクにそう告げると、ヒャラクは気持ち悪い笑みを浮かべながら「今のところ何の問題もねぇな」と答えた。

 普通に聞けば野盗からの襲撃は今のところなさそうだという話に聞こえるが――


「予定じゃ、少し休憩して次の中継所で一泊だったな坊ちゃん」

「その予定だけど、何か問題が?」

「いや。そこのガキのせいで予定変更でもあったら困ると思ってよ」


 ギムイが僕を顎で指し示しながらそう口にする。

 僕は少しむっとしながら体を起しながら「僕のことは気にせずに。きちんと。予定通りに進んで貰って結構です」と答えた。


「ちっ、生意気な目をしやがって。雇い主のご指名じゃなきゃここに捨てていきたいくらいだぜ」


 ギムイはそう吐き捨てると他のパーティメンバーの元へ帰って行った。

 僕はその背中を見送りながら、隣で不安そうな顔をしているキリートさんに精一杯の笑顔を見せ。


「大丈夫。こっちも予定通り進んでますから」


 そう告げたのだった。

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