第22話「夢見ル闇人」

 階段の下り口から射し込んでいた光が届かなくなったところで、突然明りが灯った。まるで私達を出迎えるように、壁に埋め込まれた職台の蝋燭ろうそくが、一つ、また一つと歩く速度に合わせて灯っていく。

 導かれて階段を下りきると、広い部屋に出た。

 円柱状のその部屋は、壁一面が本棚になっていて、本以外にも鮮やかな鉱石がずらりと並べられている。天井には豪華なシャンデリアが輝き、部屋の中を暖かな光で包んでいた。


 その真下にある机に向かう一人の男性がいた。彼はこちらに気づくと、ゆっくりと振り返った。

 歳は80を越えているだろうか。絹のように美しい白髪に、エメラルドを丸く切り取ったような碧眼が、淡い光の中でくっきりと浮かび上がる。その独特の雰囲気に息を呑んだ。


「……どうやら、招いていない客人が来てしまったようだね。君達は?」

「帝国軍古書館の者です。俺達は、これに導かれてここへ来ました」


 階段を転がって先に部屋へ辿りつき、床に転がっていたあの結晶を拾い上げ、それを彼に見せた。

 遠くて見えないのか、彼は少し目を細め、しばらくじっと見つめていた。そして何もかも覚ったように、或いは諦めたように、こくりと一度だけ頷いた。


「あぁ……そうか。気づかれてしまったんだね。帝国軍古書館の軍人ということは、君達は夢喰い人アルプトラウムか」

「聞くまでもありませんが、あなたが蓑島を操って女性達を連れ去っていた闇人ですね?」

「うん、そうだね。そうか……君達がここへ来たということは、もうこれ以上は何もできないってことだね。スミレにも会えないというわけだ」


 自嘲気味に笑顔を浮かべ、それから深く息を吐きながら天井にぶらさがるシャンデリアを見上げた。その時、ふと私の脳裏を過ったのは新堂スミレの記憶だった。

 この邸で集めた記憶の中で、私は彼に会っている――歳をとってはいるけれど、あの時の笑顔の面影がしっかりと残っていた。


「もしかして、あなたは……スミレさんの恋人ではありませんか?」

「どうしてそう思うのかな?」

「この邸で集めた記憶の中に、スミレさんを迎えにきた一人の男性がいました。嬉しそうに手を振って、部屋を飛び出していくスミレさんの記憶がありました。その人は、あなたと同じ色の瞳をした若い男性でした。あの時、あなたを見つめるスミレさんの目は、大切な人を見る時の目をしていたので、そう思ったんです」


 そう告げると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 椅子に座っていた彼が、何かを思い立ったように急に立ち上がったため、周防さんが隠し持っていた銃を素早く抜いた。身構える周防さんに、彼は動じずに柔らかく微笑んだ。


「そう警戒しなくていいよ。僕は抵抗するつもりはない。遅かれ早かれ、こうなることは何となく予想していたからね。まぁ、こんなことが長く続くわけがないんだ……」


 周防さんを気遣ったのか、単に足腰が弱っていて力がないのか。彼は再び椅子にどっかりと深く腰掛けた。

 背に凭れ、軽く俯きながらもこちらに視線を向けるその姿は、驚くほどに穏やかだった。きっと彼なら大丈夫。そんな思いが、フッと心の奥に湧き上がる。私が近づこうとすると、周防さんが腕を掴んで引き止めた。


「ミズキ! 不用意に近づくなっ」

「大丈夫ですよ。多分、あの人は人を傷つけるようなことはしないと思います」

「どうしてそう言い切れるんだ?」

「何となく、です」


 不安も一緒に解くように手を離して、私は彼に歩み寄った。

 項垂うなだれ気味に座っているその正面にしゃがんで、下から彼を見上げた。見つめる瞳は本当に綺麗な碧眼で、その澄んだ色に吸い込まれそうになる。新堂スミレはこの色を好きになったんだろうかと、ふとそんな穏やかな想いが脳裏を過った。


「どうして女性達を連れ去って、スミレさんだと思い込ませたのか、教えていただけますか?」

「……簡単なことだよ。僕はね、スミレを取り戻したかったんだ」


 ぽつりと、思い出すようにそう告げて、彼はひざの上に置いた自分の手を開いて見つめた。そこに罪悪感などは一切ない。純粋な、真っ直ぐな想いだけだった。


「君達が思っている通り、スミレは僕の恋人だった。でもね、ある日、突然スミレは僕の前から姿を消した。嫌いになったのか、それとも親に反対されたのか。何の理由も告げずに、消えてしまったんだよ」

「だから、取り戻そうとした……でも、スミレさんは亡くなっていますよね? 取り戻すなんてことは――」

「無理だろうね」


 彼は私の言葉を遮り、しっかりと言い切った。その時ばかりは、言葉の奥にある狂気のようなものを感じた。


「君は大切な人を失ったことはあるかな?」

「いえ、まだです……」

「だったら、僕の気持ちは理解できないだろうね。突然姿を消した恋人をやっとの思いで見つけ出したと思ったら、すでにこの世を去っていた。なぜ僕の前から姿を消したのか、その理由を知るすべさえ失ってしまったんだよ」


 記憶を読んだわけではないのに、彼の気持ちに私の心が重なっていく。

 もし周防さんを突然失うことになったら――なぜそうなったのか、どんな手を使ってでも理由を探すだろう。もう一度会いたいと願うだろう。それは大切な人を失った時、誰もが抱く衝動なのかもしれない。


「あそこに並んでいる鉱石が見えるかい?」


 答えられずいる私に、彼は壁の書架しょかを指差して言った。その棚の一画に、淡い紫色の鉱石が並んでいるのが見えた。


「あれにはね、スミレの記憶が刻まれているんだよ」

「もしかして、小瓶のペンダントに納められていた結晶ですか?」


 彼はこくりと頷いた。


「僕には夢喰い人アルプトラウムの友人がいてね。スミレが亡くなったと知った時、彼に頼んで密かに遺体から記憶を取り出してもらったんだよ」

「スミレさんを取り戻す計画のためですか?」

「いいや。最初は、スミレの形見になればと思っただけなんだ。僕と一緒に過ごしたことを、いつでも思い出せるようにってね。でも――」


 そこで言葉を詰まらせ、棚に並んだ鉱石を愛おしげに見つめた。まるでスミレさんがそこにいるかのように、優しく微笑んで居る。きっと彼の目には、スミレさんの姿が見えているのかもしれない。


「時間が経てば経つほど、スミレへの想いは強くなるばかりでね。忘れることなどできなかった」

「それで、スミレさんの記憶を?」


 彼はその問いに答えず、代わりに自らの手を差し出した。


「君達にとっては、言葉で説明するより早いのだろう?」

「見ても、いいんですか?」


 彼は驚いたように目を丸くした。まるで、そんな質問をされると思っていなかったような反応だった。


「そのために、ここへ来たのではないのかな?」

「そうなんですけど……私の力は、相手の心や過去を見る力です。大切にしている想いを覗き見られるのは、あまり気持ちのいいものではありませんから」

「……君は素敵な人だね。こんな年寄を気遣ってくれるのだから」


 含み笑った後、彼は再び手を差し出した。シワだらけでも温かみのあるその手を、私はしっかりと両手で包み込んだ。

 指先から流れ込んできたのは、温かく優しい想いと、狂おしいほどに強い想いだった。

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