第21話「呼ブ声」

 握り締めた手が痛いほどに強くて、私は顔を顰めた。それでも周防さんは私の手を離そうとはしなかった。


「周防さん、大丈夫ですよ。これを読み取っている間、体の自由は効かなくなりますけど、手を離せば元に戻りますし」

「だったら、俺がやる。あえてミズキがやる必要がどこにある?」

「そ、そうですけど……」

「今はたまたま解放されただけで、次に記憶を読んだら、蓑島みたいに操られて元に戻れないかもしれないだろう。危険過ぎる!」

「そ、そうだとしたら、周防さんだって同じじゃないですか! 私だって、周防さんを危険な目に遭わせたくありませんっ」

「2人とも! こんな時に言い争いしてる場合じゃないでしょう!」


 奥の部屋からアオイさんが駆け付けた。

 いつも冷静な周防さんは、その時ばかりは機嫌の悪い子供みたいな顔でアオイさんを軽くにらみつけた。その態度にアオイさんは驚きつつ呆れ顔を返した。


「なんて顔してるのよ、周防さん。ちょっと落ち着きなさい。何があったの?」

「……蓑島が持っていた結晶があっただろう。あれの中に、どこかへ導くような記憶が刻まれていたらしい。闇人の呪いがかかっていたのか、ミズキが操られかけたんだ」

「なるほど。それで突然、ミズキちゃんは部屋を飛び出したってわけね。どれ、ちょっと見せてみなさい」


 周防さんの手を叩いて払い除け、握り締めた私の拳を開いて、手の中にある結晶を取り上げた。人差し指と親指で摘まむと、自らの目の上にかざし、陽の光に透かしてじっと眺めた。


「あぁー、はいはい。確かに刻んであるわね。服従の紋様と、これは連結の紋様? 多分この結晶は、小瓶に入れた瞬間に呪いが発動するようになっているのね。この状態で触れても、闇人ナハトの力が解けないってことはないから安心して」

「本当に大丈夫なのか?」


 半信半疑の周防さんは、眉間にシワを寄せて訊ねる。その言葉も反応も気に食わなかったらしく、アオイさんはムッとして周防さんの肩を思いっきり叩いた。


「痛っ!」

「こんな時に嘘ついてどうするのよ、まったく。大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なの。ミズキちゃんが大事なのはわかるけど、ちょっと過保護すぎよ」

「っ!」


 おそらく、周防さんにとってそれは痛いところを突かれた言葉だったのかもしれない。

 気まずそうにこちらをちらりと見て、周防さんは誤魔化すように頭を掻いた。仕事としての気遣いの中に、恋人としての気遣いと心配が横顔から窺えたのが、なんだか嬉しかった。


「周防さん、やっぱり私が読み取ります」

「いや、だからそれは――」

「もし何かあった時、周防さんなら冷静に判断して助けてくれる。私、信じてますから」


 言い終わる前に言葉をさえぎって、にっこり笑って返した。

 明らかに納得していない様子だったけれど、私が笑顔だからそれ以上は言えなかったのだと思う。代わりに返ってきたのは、嫌味っぽい溜息だった。


「……わかった。ただし、何か起こったらすぐにでも止めるからな。アオイ、俺はミズキと一緒に行く。来栖の方についていてくれ」

「わかったわ。気をつけてね」

「それじゃあ、始めますね!」


 アオイさんから結晶を受け取り、そこに刻まれた記憶に再び触れた。

 漂うような浮遊感と、思考が溶けるような感覚に襲われ、やがて私の手足は自由を奪われていく。蝕むように、支配されるように……。



 ―― スミレ、おいで



 私のことではないとわかっているはずなのに、その声を聴いているとミズキという私自身の名前が記憶の片隅に追いやられていく。

 私の意思に反して、体は勝手に動き始める。写真館の扉を押し開け、フラフラと漂うように通りに出た。周防さんが私の後を追ってきているのはわかったけれど、振り返ることも反応することもできないまま、先へと進んでいく。


 周防さん――心の奥底で何度も名前を呼んだけれど、それすらぼんやりとぼやけ始めた。

 初めて訪れた街のはずなのに、ずっとそこに住んでいたみたいに、迷うことなく進んでいく。商人達が店を構える露店市場を抜け、酒場や食堂が並ぶ通りを進むと、まっすぐに伸びる一本道と、それに沿うように流れる川が見えてきた。

 その土手を下り始めたところで、周防さんが私の手をそっと握ったのがわかった。まるでどこにも行かないように繋ぎとめているみたいだった。


「ミズキ、平気か?」


 答えられないとわかっているのに、周防さんは私に問いかけた。

 頷きたくて、声を出したくて仕方がない。でも、そうしようとすればするほど、頭の奥で〝スミレ〟と呼びかける声が響いて邪魔をした。

 そのまま進んでいくと、川岸に一隻の小舟が泊めてあるのが見えてきた。結晶から読み取った、あの記憶で見たものと同じ小舟だ。



 ―― スミレ、おいで。その舟でいい



 導かれるがまま小舟に乗り込み、積んであった蒸気エンジンを起動させる。頭の中に広がる景色と声に誘われ、私と周防さんを乗せた小舟は川を上っていく。

 そこから上流へ向かうこと二時間――小舟は森の中へと入っていく。そう、この先に蒸気馬車が停まっていて、私はそれに乗らなければならない。知らないはずの経路と方法を、結晶が私に見せ、確実に導いていく。



 ―― スミレ、もう少しだ。もう少しで会えるよ



 再び声が聞こえた。

 しばらく森を進んだところで小舟を川岸へと寄せる。土手を上っていくと舗装された一本道があり、そこに蒸気馬車が停車していた。迷うことなく乗り込むと、乗車を感知した馬型の機械人形は、機械音と蒸気を吹き出して走り出した。


「行き先も指定していないのに動き出した? そうか……こいつに刻まれた闇人ナハトの紋様は、最初から行き先が指定されているのか」


 周防さんは私の肩を抱きながら、ぽつりと呟いた。

 この蒸気馬車は、どの街でも走っている蒸気馬車とは違う。心を持たない機械人形でありながら、乗客が行き先を口にするだけで動き出し目的地へと運んでくれるのは、その体内に闇人ナハトの紋様が施されているからだ。

 主の命令に忠実に従う。それが、この世界にある蒸気馬車にかけられた呪い。けれど、この蒸気馬車に施された紋様には、あの人が――ミナ君がいる場所へと、スミレを案内する命令にのみ従っている。

 蒸気馬車は静かに、確実に先を急ぐ。森を抜け、真っ直ぐに伸びる一本道をひた走る。それから一時間ばかり走った頃、ようやく街が見えてきた。


「まさか、フシカネ……!?」


 前方に見え始めた街を目にして、周防さんが声を裏がして驚いた。

 蒸気馬車が辿りついたのは、シューマ湖の湖面に浮かぶ人工の巨大浮島〈フシカネ〉――新堂スミレの旧家がある、あの〈からくりの街〉だった。


 街を繋ぐ橋を渡り、街の中心を走る大通りを北へ真っ直ぐ抜ければ、目的地は自ずと見当がつく。そしてその予想通り、蒸気馬車は新堂スミレの旧家の前で静かに止まった。


「どうしてここに……? ミズキ、ここに蓑島を操っている闇人がいるのか?」


 周防さんは訊ねた。

 新堂スミレの記憶を求めて足を運んだ時、ここには誰もいなかったはずだった。けれど、ここに〝ミナ君〟がいる。なぜか、それだけはハッキリとわかった。頷きたくてもできなくて、そうだよって、必死に心の奥で叫んだ。でもそれは声にならない。



 ―― スミレ、おいで。待っているよ



 私の迷いを追い払うように、頭の中の声がさらに強さを増した。行かなきゃ、ミナ君が待っている。私の意思が遠くに追いやられていった。

 蒸気馬車を下り、私は邸の中へと向かった。

 玄関へ入り、ホールの中心まで来たところで、私の足がピタリと止まった。その場所にしゃがみ、床をコンコンッと叩くと、その一部が開いて拳大の歯車が現れた。


 それを右へぐるりと回転させたとたん、床下から蒸気が拭き上がり、機械の稼働音が静まり返った邸内にとどろいた。

 私が玄関扉の方へ後退すると同時に床は激しく変形し、中央から左右に開き、そこから地下へと続く階段が姿を現した。

 私がそこを下りて行こうとしたところで、周防さんが私の手を叩いた。握り締めていた結晶は手から転がり落ち、カラカラと音を立てながら、闇に向かって続く地下階段の下へと消えていった。


「――っ!」

「ミズキ、大丈夫か?」


 体から奪われていた感覚が急に戻って、意識が鮮明になった。

 ぼんやりとしか聞こえなかった周防さんの声が耳の奥まで届く。たったそれだけのことなのに、涙が出そうになるほど嬉しかった。


「周防さん! はぁ……やっと喋れましたっ」

「その様子だと大丈夫そうだな」


 口調はからかっているのに、私の頬に触れる手はやけに心配そう。それが愛おしくて、切なくて、今すぐにでも抱きしめたくなったけれど、グッと堪えて頷いた。


「それにしても驚きました。結晶の導いた先が、新堂スミレの邸だったなんて……」

「状況が見えていたのか?」

「体の自由が効かないだけで、ぼんやりと意識はありましたから」


 少しだけ見つめ合った視線は、自然と地下階段の下に広がる闇へと向けられる。

 ぽっかりと空いたその空間は、その先が見えないほどに暗い。じっと見つめていると、そのまま飲み込まれてしまいそうなくらい不気味で、背筋がぞっとした。


「結晶は、この先に何があるのか教えてくれたのか?」

「いいえ。ここへ辿りついたところで、周防さんに引き戻されたので……でも、この先に闇人ナハトがいることは確かです。言葉では説明できないんですけど、わかるんです」


 やっと辿りついた。そして、この先に新堂スミレ事件を操る闇人ナハトがいる。

 その思いから、無意識に周防さんの手を握っていた。その不安を感じとってくれたのか、周防さんもしっかりと握り返してくれた。


「周防さん、行きましょう」

「あぁ、そうだな」


 互いに頷きあって、階段を一歩ずつ下りていく。最初は不揃いだった2つの足音が、やがて重なって反響して壁にとけていった。

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