第14話「亡霊」(3)

「これって……新堂スミレへの想いが強くなっているってことですよね?」


 そう訊ねた瞬間、扉が勢いよく開いた。息を切らしたアオイさんと来栖さんが飛び込んできた。


「周防さん、ミズキちゃん! ちょっと見てほしいものがあるのっ」


 アオイさんの嬉しそうな声が、静まり返った古書館に響いた。


「どうした、そんなに慌てて。何かあったのか?」

「アオイさんの様子からすると、いい知らせのような気がしますね」

「ふふっ、多分いいことよ。ねぇ、大佐」


 アオイさんは声を弾ませ、来栖さんの方へ振り返った。

 視線を受けとった来栖さんは、乱れた呼吸を整えながらもしっかり頷くと、入り口の方へ手を差し伸べた。 その手にすがるように、覚束おぼつない足取りで中に入ってきたのは、新堂スミレ事件で最初に保護された、升川サヤさんだった。体調でも悪いのか、どこか気だるげで、ぼんやりと視線を落としている。


「周防とミズキちゃんに、見てもらいたいんだ」


 彼女を連れてこちらへ歩み寄ると、胸元にさがっているペンダントをそっと手の平に乗せる。自ずと、私と周防さんの視線はそこへ導かれた。


「ペンダントの中央だ。見えるかい?」


 そううながされ、私はさらに顔を近づけて覗き込んだ。

 よく見ると、小瓶の表面にうっすらと亀裂が入っているのがうかがえた。その影響なのか、中に納められた結晶の光が微かに弱まっているようにも見える。


「前に見た時は、こんな傷なんてなかったですよね!」

「鎖すら切れなかったはずなのに……もしかして、アオイの力か?」


 ハッと顔を上げた周防さんに、アオイさんは少し得意気な様子で腕を組んで見せた。


「私がここへ来た時、これを外す方法を見つけて欲しいって頼まれたでしょ? あれから何度も試したんだけど、全く駄目でね。外すのが駄目なら壊せばいいんじゃないかって思って、そういう呪いを上書きしてみたら、見事に反応が出たのよ」

「この亀裂で呪いの力が弱まったのか、彼女の記憶に変化があったんだ。それまで新堂スミレだと言い張っていたんだけど、自分の名前を口にした時があってね。周防、彼女の記憶を確認してもらえるかい?」

「わかった。ミズキ、準備はいいか?」

「はいっ」


 素早く手袋を外し、私と周防さんは同時に彼女の手を握った。

 手の平に伝わる熱が一瞬にして腕の中心を駆け抜け、それは目に見えない塊となって前進を巡る。やがて、心臓を鷲掴わしづかみにされるような感覚に襲われた。


 耳の奥では、突風が吹き荒れるような、ザザザッと喧しい雑音が響いている。おそらく、記憶を封じようとするペンダントの力と、それを解放しようとするアオイさんの力が影響し合っているせいかもしれない。

 ぎゅっと強く閉じたまぶたの裏に映ったのは、青空に棚引たなび暖簾のれんのような無数の布。鮮やかで優雅で、時の流れが止まってしまったかのような穏やかな光景だった。


 そこでグニャリと景色がゆがみ、いつの間にか街の中の風景に変わった。

 目の前に広がるのは、木造平屋の工房がのきを連ねる通り。刀鍛冶が鉄を打つ音が、行き交う人々の声に重なる。ふと目をやった工房の格子窓の向こうには、機織はたりをする少女の姿が見えた。保護された彼女の記憶を、最初に見た時には見えなかった光景ばかりだった。

 再び、ぷつりと途切れるように景色が変わった。見えたのは、赤い漆塗うるしりの欄干らんかんが美しい橋の上の景色だった。


『すみません――』


 突然、背後から声をかけられて振り返った。

 そこに立っていたのは蓑島リョウだった。こちらに向かって何かを話しているけれど、途切れ途切れではっきりと聞きとることができない。


えり……糸、ほつ……すよ』


 自らの服の襟元を指差しながら話しかけている。それに対して彼女が何と答えたかはわからないけれど、小さくお辞儀をして彼に背中を向けた。すると、彼女の視界にほんの一瞬、きらりと光る何かが上から下へと通過した。

 それに驚いた彼女が視線を落とすと、胸元にはあの小瓶のペンダントが光っている。それが見えたのを最後に、彼女の記憶はぷつりと途切れた。


「周防……どうだった?」


 記憶を読み終えた私と周防さんの様子を見計らって、来栖さんがおずおずと訊ねた。


「断片的ではあったが、蓑島リョウが彼女に接触した時の記憶が見えた。えりの糸がどうとか言っていたな」

「きっと〝襟元えりもとの糸がほつれていますよ〟って、声をかけてきっかけを作っていたんじゃないでしょうか?」

「なるほど。背を向けたのを見計らって、このペンダントを強引につけたってところか。おそらく、他の被害者達にも、そうやって近づいていたんだろうな」


 周防さんはそう話しながら、読み取ったばかりの記憶を来栖さんとアオイさんにも見せるため、それぞれの手を握った。

 いつも見慣れている来栖さんとは違い、アオイさんは夢喰い人アルプトラウムから記憶を見せられるということは初めてだったらしい。他人の記憶を受け取ったアオイさんは、何度も瞬きをしながら、胸を押さえて大きく溜息をついた。


「ふ、不思議な感覚ね。記憶を見せられるのって、こんな息が詰まるような気分になるのね……ねぇ、大佐。あの景色って、モクランよね?」

「それって、蓑島リョウが住んでいた街ですか?」


 私がそう訊ねると、来栖さんはこくりと頷いた。


「間違いないよ。モクランは織物と染物、鍛冶の職人達が集まる街でね。あの空に舞う織物の帯は、モクランでしか見ることができない光景だからね」

「つまり……最初に保護された升川さんは、蓑島の住んでいたモクランで最初にさらわれたってことですよね?」

「……アオイ。他の被害者が身につけているペンダントも、同様に壊せるかどうか試してくれ。彼女のように、どこで接触したのかがわかれば、蓑島の行動範囲と居場所がわかるかもしれない」

「わかった、すぐにやってみるわ――」


 アオイさんがそう答えたのとほぼ同時に、古書館の扉が勢いよく開いた。

 飛び込んできたのは特務局のハルトさんだった。酷く慌てた様子で、扉のノブを掴んだまま来栖さんを真っ直ぐに見据えて、金魚みたいに口をパクパクとさせていた。


「た、大佐! 大変、いや、奇妙なことがっ」

「ハルト、少し落ちついて。何かあったのかい?」

「し、新堂スミレが現れました!」

「……ハルト、疲れているのかい?」


 来栖さんが大丈夫かと心配した矢先、こちらに向かって来る一つの足音が聞こえた。

 ハルトさんは驚いた様子で振り返り、階段の方を見て会釈えしゃくをした。少し怯えた気味に「どうぞ」と、外にいる誰かに向かって声をかけた。


「失礼します――」


 声と共に古書館へ踏み入れたその人物を目の当たりにした瞬間、私はもちろん、その場に居合わせた誰もが息を呑んだ。

 亡霊――その言葉が脳裏に浮かんだ。そこへ現れた女性の姿は、まるで新堂スミレそのもの。記憶の中から現実の世界へ飛び出してきたのではないか。そう錯覚させるほどによく似ていた。

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