にっちもさっちもどうにもブルドッグ
「もちろん良いけど、」十時はグッと大きな目に力を入れて、
「効き目があるのは一時間だけだからね! それだけは忘れずに! じゃないと大変なことになるかも知れないからね!」
「分った分った。まるでシンデレラにでもなった気分だなあ」風魔は笑った。
「シンデレラ? 何それ?」モジャラが首を傾げた。
モジャラはまだ三百年ぽっちしか生きていないので――いやただの勉強不足だろうが――人間なら五歳でたしなむ超世界的童話も知らないのだ。
一拍間を置いて、「そっかあ、モジャラは知らないのかあ」十時が慰めるように言う。
「まあ俺や風魔と違って、生まれも育ちもあやかし村だもんね」
「このまま知らなくてもいい」と言ったのは風魔。
「知ってもくだらない」
「いやいやいやのけ者にするなよ。ここまできたら教えてくれよ」
モジャラが必死になってすがると、風魔はしょうがないなあと言った。
「じゃあ言うよ。まず初めに――一匹のハエが、顔のよく似たうら若き女性二人の前をぶんぶん飛んでいたんだ」
「ハエが?」
「そう。それでね、その内の一人がニコニコしながら言うわけさ。『あれ、ハエが一匹トンデレラ~』って」
「トンデレラ……」
「でもね、もう一人の方は実にタイミング良く殺虫剤を持っていたんだ」
「風魔、それは全然シンデレラじゃないと思う」十時は真剣な顔で割って入ったが、
「黙ってくれ。この後が大事なんだ」
風魔は咳払いを一つしてモジャラを見据えた。
「いいかい、モジャラ。一度しか言わないから耳をかっぽじってよく聞けよ。殺虫剤を持った方の女性はすぐさまシューッと殺虫剤を散布してそのハエを殺し、『ハエが一匹シンデレラ~』と言ってにやけるんだ」
「シ、シン……」
「その後すぐに蚊も一匹ぷ~んとやって来るんだけど、それも『トンデレラ~』と一人が言っている内にもう一人がスプレーして『シンデレラ~』。まあこの話はその繰り返しなんだ。最後はハエが二匹飛んで来るんだけど、『ハエが仲良くトンデレラ~』『ハエが仲良くシンデレラ~』でおしまい」
「え? おしまい? ハエを殺して?」唖然とするモジャラに、
「そうだよ」風魔は言って立ち上がった。ついでに手を伸ばして薬をさらい、土間で下駄をつっかける。
「で、でも、風魔は『薬の効き目は一時間だけ』ってことを聞いて『まるでシンデレラだな』って言ったんじゃないか! それはどうなんの?! ねえ、十時、オイラまた欺されてる?!」
「うん……」十時は申し訳なさそうに眉を下げた。
実を言うと、風魔が話したのは昭和一九七七年に放映されたキンチョールのCM、「レラレラ」の内容なのである。
「ひっでーー!!」
モジャラは足をばたつかせながら風魔を追ったが、一足早く小屋を出た風魔は風の力を行使して、早くも地平線の点になっている。
◆
それからまた一時間が経った。
瞬時に風魔の追跡を諦めたモジャラは一分につき二回もの溜め息をつきながら、ゆるゆるゆったり流れ続けるあやかし川の朽ちかけた船着き場の、妖怪タニシがびっしりついたクイの上に座り込んでいた。
何故風魔の小屋でもなくかわうそ料理店でもないあやかし川の側にいるのかというと、ここはあやかし村のある「淡いの世」と「人間界」を繋ぐ唯一の連絡線だからである。風魔は人間界にクーラーボックスを買いに行くと言ったのだから、ここで待っていればいずれ会えるだろうと思った。ただモジャラは一つ「失敗したな……」と思っていた。
「風魔は『今日人間界に行く』って言ってたっけ……言ってないよな……」
そうなのだ。出発日も時間もちゃんと決めていなかった。今日でなければ明日、或いはあさって?
海へ行く日はもう一週間後に迫っているのだが、風魔のことだ。不意に気が変わって一人旅でも始めてしまい、百年経ってから「そういえば……皆と海に行くっていう約束をしてたんだっけ。悪いね、すっかり忘れてたよ」と舌を出すかも知れなかった。風魔が行かないとなればマシュラはヒステリーを起こすだろうし、そうなればイベントは延期になるだろうし――千年後になってもおかしくはない。いや一生行かないということもありうる。
――どうなるか分からないまま、オイラはここで待っていなければいけないのか。
別に「待っていなければならない」という法はないけれども、モジャラが諦めた途端に風魔はやって来る。そういう気がし過ぎて、にっちもさっちもどうにもブルドッグなのである。
また数十分が過ぎた。
ああ! 風魔がドロさんを迎えに行っているだけなら良いんだけども!
あやかし村日和 〜死神ドロの恋愛成就大作戦〜 Fata.シャーロック @sherlockian-1
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