515 非時香菓



「まず、クイズ研は確実に頻出のベタ問を取ってくるし、確定ポイントで確実にボタンを押してくる」


 俺は稲藤と朝比奈に向き合い、自分の分析を話す。二人も真剣な表情で頷く。

 決勝ラウンドの休憩時間に、俺たちは急遽作戦会議をしていた。


「そして橘も、当然その確定ポイントは把握してる。だからアイツは、確定ポイントよりもあえて手前で押すことで、回答権を得ているんだ」

「え、じゃあ橘先輩はヤマ勘で当ててるってことですか?」と朝比奈。

「いや、確定ではないが『ほぼ当たるだろう』という所で押している。例えば先の京都三大祭の問題。候補は?」

「葵祭と祇園祭、そして答えだった時代祭だね」

 

 稲藤がさらっと答える。こいつは意外と教養のあるやつだ。その知識の源泉が好奇心でないという意味では、俺とこいつはやはり似ているのだろう。


「そして、問題は「京都三大祭といえば、ご」までしか読まれなかった。それでも橘は答えた。なぜか?」

「うーん。その最後の『ご』が大切な気がしますけど……これ何なんでしょう」

「朝比奈の言う通り、そのたった一文字で、橘は答えを一つに絞ったんだ」

「マ、マジですか……」


 口をぽかんと開けて仰天する朝比奈に、俺は小さく首肯する。


「もしかして、これ開催月?」


 ずっと顎に手を当てて考え込んでいた稲藤が、ポツリと言葉をこぼした。


「ご明察だ。京都三大祭に関する言葉は無数にあるが、『ご』から始まる言葉で思い当たるものは殆どない。でも、『五月に行われる葵祭』ならば自然に文意が通じる」

「なるほど……ってあれ? それでも答えは、祇園祭か時代祭かで絞れなくないですか?」

「そう思うだろ? これが「確定ポイントの手前で押す」ということだ。橘は、最初に五月の葵祭が来たなら、開催時期の順に列挙されると推測したんだよ」


 そう。つまり、五月が最初に来たのなら、次は七月に行われる祇園祭。そして答えるべきは、十月に行われる「時代祭」になるという訳だ。


「もちろん、この大会の雰囲気やクイズ研のOBが作ったという経緯も鑑みて、「五月、十月、七月」なんていう不規則なことはやらないだろうという推測もした上で、な」

「は~……、それをあの一瞬で……。元々化け物だと思ってましたけど、それ以上に化け物じゃないですか橘先輩……」


 感嘆の溜め息を吐く朝比奈。

 そんなどんよりと澱んだ空気の中に、俺は更に気が重くなるようなことを言う。


「さて、ここでクエスチョンだ。そんな魔王じみたアイツに勝つ方法は?」


 稲藤は「はは……」とまた苦笑いをして、自嘲気味にこぼすのだった。


「それはまた、東大入試よりも難しい質問だね」



         *


「ではそろそろ、決勝ラウンドを再開しましょう!」


 司会の快活な声で、またグラウンドが熱気づく。

 橘のチームは5ptで依然一位、それを追うのがクイズ研の4ptだ。俺たちは未だに無得点。


「問題! おいきむらさ──」


「……‼」


 「さ」という音が読まれるか読まれないかというところで、俺は脊髄反射でボタンを押していた。

 論理的な思考が働いた訳じゃない。何より、今も答えが出てきていない。


 何かしらの違和感が俺にボタンを押させていた。最初の五文字でどこかの村の名前かと思ったが、「おいき村」なんてものは聞いたことがない。つまり、これは「木村」という人の名前? しかし、その前に「おい」なんていう呼びかけが入っているということは……これは何かの引用? そうか! これは──!


「ランプが点いているのはクイズ研! では、答えをどうぞ!」


 え?


「にごりえ」

「……お見事、正解です! 危なげない回答でしたねー」


 俺が茫然として手元を見ると、当然だが赤のランプは光っていない。

 どうやらクイズ研とほぼ同時にボタンを押し、その結果、見事に押し負けたようだ。


「先輩惜しかったですね! あとコンマ一秒速かったら!」

「いや、駄目だ……」


 朝比奈が褒め称えるが、俺はかぶりを振る。


「え?」

「今の問題の答え、『にごりえ』は樋口一葉の代表作だ。そして、今回は俺でも知ってる早押しクイズでは王道の〝書き出し問題〟……」


 そう。『にごりえ』は「おい木村さん信さん寄ってお出よ」と突然語りかけるように始まる。こうした固有の言い回しは、四文字五文字といった限りなく少ない文字数でも回答を確定させることができてしまう。


「クイズ研が得意なはずだね」稲藤が肩をすくめる。

「まあ文学は俺より橘も得意だろうから、アイツも押してはいただろうけどな」


 右奥、何チームかを挟んで座る橘が悔しがっている姿が、見なくても瞼に浮かんだ。

 

「え、じゃあ今の問題はもう三文字とかで押さなきゃダメなんですか!? 「おいき」だけで押せって……それはいくら何でも無茶すぎません!?」

「でもそれをやるしかないんだよねー、花蓮」

「ソウくん、できるの!?」

「ああ、もちろん。任せとけ。うちのキャプテンに」


 そうして稲藤は俺のことを親指で差した。もちろんチームのキャプテンになった覚えはない。


「流石に書き出し問題は「捨て問」だけどな……そう何問も出ないだろう。それより、序盤では誰も確定できない、長く聴かないと答えられないような問題にこそ、俺らのチャンスがある。そしてそれはクイズ研OBが作っている以上、かなり多く用意されているはずだ。クイズ研OBがクイズ研有利の問題ばかりを作るなんて野暮、するワケがないからな」


 そうだ。これはテストや試験問題と同じだ。

 問題の作成者は、当然だが問題を解く人たちのことを考えている。出題者の意図を読み取ることがテストの必勝法であるように、早押しクイズにも盤外でのそういった読み合いは必要なのだろう。

 嫌な話だが、勉強にだってコミュニケーション能力は必要なのだ。そこに人が存在する限り。


「そして、そういう出題者の意図だけじゃなくて、俺たちはクイズ研や橘の考えていることも考えなくちゃいけない。アイツらがどこで押すのか、押せるのかが分かれば、俺たちの戦術は自ずと決まってくる」

「それこそ浩貴の出番でしょ。自分の彼女が考えてることくらいは……ね?」


 そう稲藤にウインクされて、俺は素直に頷く。もはや「いや彼女じゃないけどな?」とツッコむのも野暮な時間帯であった。

 橘が頭の中で何をどう考えているかなんて、俺は高校2年のあの時から俺は死ぬほど考えてきた。それもきっと、好きな人を想うのと同じくらいの熱量[kJ]で。


 だから、俺はアイツが押す瞬間を見極めて、その0.01秒前にボタンを押せばいい。

 理論上は、それで勝つことができる。


 あとはひたすら、橘のことを考えるだけだ。



         *



「問題! 日本で一番高いやm──」

 俺は慌ててボタンを押す。誰かがボタンを押す気配を感じたのだ。案の定ランプは橘の下で灯っていた。

「日和山」

 橘が答える。正解を知らせる音が鳴る。

 まだだ。まだ足りない。アイツは作問の意図、問読みのイントネーションまで考慮して、否、それをクイズ研が考慮しているのを考慮した上で、彼らのボタンを押す挙動すら観察してボタンを押すタイミングを計っている。

「問題!」

 俺は司会の口元を見る。音が発される前の口の形すらヒントにする。そして、間接視野では右奥にいる橘の腕の力の入れ具合を注視する。

「iPhone、」

 橘がボタンを押そうとする気配を感じ取る。俺もぎゅっと筋肉を収縮させる。

「効果音、」

 これは……。名詞の列挙問題だ。二つの共通点を洗い出せ。着信音に関する問題か? いや、だとすれば列挙にはならないな。くそ、分からない。しかしまだ誰も押さない……ということは、次がきっと勝負──!

「しすて」

「──!!!」

 ほぼ同時にボタンを押す音がガタガタと鳴り響いた。もちろん俺も押していた。慌てて目線を落とす。そこに、灯はなかった。

「まずい!」

 橘のチームは優勝に王手をかけている。俺はもげそうな勢いで首と目線を右に振ると、橘の手元のランプは残酷にも明滅していた。

「……」

 回答権があるのは、ボタンを押してからの五秒間。司会は掲げた左手で秒読みをしている。五。四。

「……」

 珍しく橘が答えに詰まっている。三。二。

「……」


 一。


「……ごめんなさい」

 ここに来て、橘が初めて誤答をした。しかも、無回答だ。


「問題は「iPhone、効果音、システムエンジニアから連想されるアルファベット二文字は何か?」で、答えはSEでした。これまた癖のある問題でしたねー」


 司会が問題を解説する。

 やはり読み通り、冒頭では押せない変わった問題は一定以上含まれている。



「もしかして、橘先輩……」


 何かに気付いたように朝比奈が神妙そうにこぼした。


「焦ってるね。確実に」


 それに稲藤も乗っかる。そして、なぜだか嬉しそうにこう続けた。


「浩貴の押しが早まってることに、琴葉ちゃんも気付いてるんだ。きっと」


 そうか。俺が橘のことを考えて、橘が押すよりひと刹那先に押そうとしていることも、あいつはちゃんと分かってるんだな。だから、アイツは自分の押しを一瞬上回る俺を想定して、その更に一瞬先で押そうと早まったんだ。


「……ははっ」


 心の底から笑みが零れる。俺たちって、なんて馬鹿馬鹿しくて、なんて胸躍ることをしているんだ。

 これは、チキンレースだ。誤答は二回で失格になるため、下手に早く押し続けることもできない。さて、俺たちは如何ほどに互いのことを理解しているだろうか?




「では、問題!」

 

 ずっと越えたかった背中。追いかけたかった背中。

 一度追い越したって、必ず食らいついて何度でも追い越してくれると確信できるあいつの背中。


 越えたい。その為に、理解したい。そう心を燃やしている時間こそが、

 空っぽな俺の、唯一生きていると実感できる瞬間。


「500円玉」

 頭をフル回転させる。いかに橘の知識量が俺を凌駕していようと、まだ押せない。しかし、候補はかなり絞られている。

 素材か、もしくは初めて流通した年か? それとも来年発行されると噂の新五百円硬貨に関する問題だろうか? いや待て、貨幣の定番問題といえば──────植物か!

「硬貨」

 だとすれば、候補は三つ……表の桐、裏の上下に描かれた竹、そして裏の左右の──。

「の、」

 否。この三択が絞られるのを待っていたら、押し負けるのは分かりきっている。橘はもうその可能性も視野に入れている。だから俺は、次の一文字で押す。


「う」


 橘が腕に力を入れる直前、電気信号が脳から器官に送られる寸前に、俺はランプを点けた。

 俺たちは今、圧倒的な点差で負けている。ここで勝負しない訳にはいかないのだ。


「おっと! 早くもボタンを押したのは、一瀬チームだぁ!」


 初めて俺の手元が赤く照らされる。顔もおそらく赤くなるほど火照っているのに、脳は驚くほどに冷静に回転していた。様々な可能性を、限られた五秒という時間でひとつずつ消していく。

 そうして俺は、一呼吸置いて、


「橘」


 いつも目の前にいた背中に、呼び掛けるように回答した。







 数瞬の沈黙の後、鳴り響いたのは不正解音ではなく正解音。

 俺はこの時、初めてその背中に追いついた。


「お前には悪いけど、この問題に関しては俺が死ぬほど有利だったよ」


 湧き上がる観客。興奮して立ち上がる朝比奈と稲藤。その中で、俺は右奥にいる同居人と目が合った。紅潮した頬に、口をにやっとさせて笑っている。

 近くの二人にも聴こえない声量で呟いたのに、なぜか声が通じた気がした。


 彼女の生意気な目が「ねえ、どうして分かったのかしら?」と訊いている。

 俺は肩をすくめて「さあ? まぐれだよ」と誤魔化す。すると彼女が「嘘つき」とでも言いたげに俺を睨んだ。


 懸けであったのは、間違いではない。

 ただあの時俺は、硬貨に描かれた植物を問う問題が来ると信じてやまなかったのだ。


 その仮定を信じて、表の「お」もしくは裏の「う」が少しでも聞こえたらボタンを押そうと決めていた。その事前の心構えが、一瞬の差を分けたんだ。

 まあ、それでも答えは絞り切れないんだが。表の「桐」は今大会の難易度的に易しすぎるとして、まだ竹か橘かのどちらか。しかし、その段階で俺は答えを決め打ちしてしまったんだ。



 ──だって仕方ないだろう? 

 それが真っ先に浮かぶほど、俺はその名前のことをずっと考えていたんだから。


 

 悔しそうに、でも興奮したように頬を紅潮させた橘の横顔を見つめる。

 同じようにまだ興奮冷めやらぬ俺の心臓が、ぎゅっと痛むのを感じた。



「いや……もしかしたら。ただその名前を早く呼びたかっただけなのかもしれないな」



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