514 最強の魔王のたおしかた!
思えば俺にとって勉強は、ゲームのようなものだったのかもしれない。
地元の中学で、ひたすら浮いていたあの頃。
子どもの社会の全てである狭い教室の息苦しさから逃れるための方法を、俺は読書と勉強しか知らなかった。
物語に耽っていれば、狭い世界から自由になることができたし、勉強さえできていれば、劣等感に苛まれることもなかった。
遺伝なのか、要領が良かったのか、人より勉強はよくできた。その最初に持たされた強い武器を駆使して敵を倒していくのは、快感ですらあったかもしれない。
ゲームと違って、無駄なことをしていると思うことも思われることもないし、世間的に価値のあることだと思われているから、勉強は俺の自己肯定感を高めるものでもあった。
「一瀬、休み中もずっと問題集やってるぜ」
「なんだよそれ、カワイソー」
そう同級生に揶揄されることも少なくなかった。
俺は中学一年生の時から、高校入試の過去問を解いていた。中学二年生になると、千葉ではなく他の都道府県の過去問を解き始めた。県外に進学したかった訳ではない。ただそこにはもっと難しい問題があると知ったから、解いた。中学三年生では、難関と言われる私立の過去問を中心に解いていた。
否、俺はただただ遊んでいたのだ。
少しずつ強くなっていく試験問題という敵を、ひらめきと知識で倒していくゲームを。
そこに勉強の内容に対する興味はさほどなかったような気がする。
社会や国語よりも理科や数学が好きだったのは、暗記や読解よりも計算やひらめきで問題を解く方が気持ちいいと感じたからだ。その証拠に、俺は日常生活で、理数系の疑問が湧いて自主的に調べようなどとは思ったことがなかった。
だから、俺は空っぽなのだ。
三年の夏。一通りの高校入試の問題を制覇し終えると、俺は途端に勉強へのモチベーションを失い、ひたすら小説とマンガ、アニメを鑑賞するようになった。
「難易度が丁度良く調整されてるゲームって、面白いよな」
つまるところ、俺の人生はそう結論づけられる。だから、強敵を倒しきったあとのゲームには急速に興味を失ってしまうのだ。
もちろん、本物のゲームではそうならないように、続編が出る度に必ず新たな強敵が用意される。雷門中が日本一になっても宇宙から刺客がやってくるように、そいつらを倒しても世界大会が始まるように。……今更だが、ふつう順番逆じゃないか?
兎に角、俺が高等学校という新しいシリーズに進んだ時も、そうだった。
「なあ、この前の中間試験の数Ⅰ、100点だったって本当か? ────橘」
「え、そうだけれど……」
おかしいと思っていた。中学の頃は簡単に取れていた学年一位が、高校に入って永遠に二位しか獲れない。しかし、アニメのように掲示板に名前が張り出されることは当然なく、俺の上にいる人物がどんな人間なのかはずっと分からないままでいたのだ。
それが橘 琴葉だと知ったのは高校2年の梅雨。同じ共催委員として、橘とも軽く雑談できる仲になりつつあった頃だった。
その日も確か俺たちは、委員会の会議室に向かいながら何気ない会話をしていた。
「でもどうしてそれを?」
「いや、お前の隣の席の子が話してたのをたまたま聞いたから……」
「盗み聞きなんて趣味が悪いのね」
「たまたまって聞こえてました?」
「それにしてはあなた、ちょっと恨めしそうな目を向けすぎじゃないかしら」
「いや、それは、ちが……」
自分の上にいる人間が誰なのか。当時の俺は、多分気が気ではなかった。
だがそれは、恨めしさや嫉妬の類の感情からではなかった。むしろ、その逆で。
「もしかしてお前が……学年一位だったり?」
俺はむしろ、クリアしきったゲームの続編を切望していたのである。
二期に登場した新たな魔王が一体誰なのか、その正体に心躍らせていたのだ。
「ええ。入学以来常に学年トップに君臨しているのは、この私よ」
橘の態度は、今に比べるとまるで女王のようで、随分と尊大だった。若気の至りだったのかもしれない。俺たちの関係も応酬も、当初は割と淡白なものだった。
「まさかお前だったとはな……」
「なによ、ご不満?」
「いや、自慢じゃないが、俺より上の奴がいるとは思わなくてな……」
「今の言い方で嫌味に感じないのは私くらいのものだから、気を付けた方がいいわよ」
橘は相変わらず低血圧というか、一貫して冷たい声を返すが、俺は内心興奮していた。
ずっと気になっていた魔王が、まさかこんなに近いところにいたなんて。
「確かに橘って魔王みたいに偉そうだしな……」
「どの橘さんのことかしら? まさか、目の前にいる美少女に言ってる訳ではないでしょうけれど」
「その発言もふつうの人は嫌味に感じるから、あまり言わない方がいいぞ」
「知ってるわ。ヒトって真実を言うヒトを嫌う傾向にあるから」
「はは……」
どこまでも肥大した自尊心を見せつける橘に、思わず乾いた笑いが出る。
「って、んなことはどうでもいいんだよ! 話したかったのは数学のことだ。最後の問6、あんな参考書にも載ってなかった難問の解法、どうやって閃いたんだよ」
「どんな問題だったかしら?」
「だから、数1の範囲なのに数2の確立漸化式もどきみたいなのが出たアレだよ! 調べたら国立の二次試験の過去問だったし、あんなのどうやって解いたんだ」
「えー……と、直感?」
その柔らかさを主張するように、人差し指をむにっと頬に当てた橘は、散々考えた挙句に言い放った。こいつ、勉強を舐めているのか……?
自分がなぜ解けたのか、なぜ間違えたのかも言語化できないのに、どうやって自分の実力を伸ばすというのだ。本当にこんな奴が不動の学年一位なのだろうか。
「じゃあお前……テストで分からない問題があったらどう反省するんだよ」
「……考えたことなかったわ」と考え込んでから目を見開く橘。本当に考えたことがないらしい。
「お前、本当に勉強できるのか?」
「あら、疑ってるの? なんならさっき返された得点表見せてもいいけれど」
そう言って見せられた表には、〈9教科合計887点〉と刻まれていた。数Ⅰどころか半分以上の教科で満点を取っている。まさか、全部で13点しか失点していないなんて。学年平均は600点も満たないというのに。
「おまえ……人間じゃないだろ……」
「そう言うあなたはどうなのよ」
「……俺は」
俺も渋々得点表を橘に見せた。その得点は橘には遠く及ばない〈839点〉だった。歴史や国語などの文系科目で差がついているが、得意の理数系科目でも橘に勝っている教科はひとつもなかった。唯一満点を取った化学は、当然橘も満点を取っていた。
「まあ、私以外の人類にしては頑張っている方じゃないかしら?」
「それはいくらなんでも尊大すぎない? もしかして宇宙からの刺客本当に来ちゃった? せめて先に世界大会やらない?」
「何を言っているのか分からないけれど──」
いつの間にか到着していた会議室の扉を開けながら、橘はニヤリとした顔をこちらに向けた。
「尊大すぎるなんて言うクレームは、私に勝ってからすることね」
「コイツ……覚えとけよ……」
時に大喧嘩にもなった俺と橘の大熱戦、大戦争はここから始まった。
ある時はお互いの手の内を明かしあおうと、一緒に勉強したり教え合うこともあった。その度に俺はアイツの天才っぷりを目の当たりにして、凹んだり凸んだりした訳だが。
結局、俺は大学入試で勝つまで、試験で橘にずっと負けっぱなしだった。いや、勿論教科ごとでは勝てたものもあったがな? 念のため言っておくけど。総合点では一度も勝てていなかっただけだから。言ってて悲しくなってきた。
だが、そんな負けっぱなしでも俺は、中学よりも遥かに勉強にのめり込み、遥かに勉強を楽しんでいたのである。
なんといっても、俺の近くにはいつも、さいきょうの魔王がいたのだから。
そう、楽しかったのは本当は勉強ではなく、橘と競い合うことそのものだ。あの大魔王をどう倒すのかっていうゲームに、俺は2年近くもの間ひたすら夢中になっていたのだ。
*
「さあ! 決勝ラウンドの早押しクイズは、現在大熱戦! 橘さんチームが4ptで一位を独走! そして、クイズ研チームが3ptで猛追します!」
時は戻り、大学祭真っ只中。俺たちは試合前半の雷門中よろしく窮地に立たされていた。
決勝戦では最初に7pt取ったチームが優勝なのだが、俺たちはまだ1ptも得点できていないのだ。
「では、問題! 日本三景といえば、宮城県の松島と、きょ……」
ピンポン! と、問題文の途中で軽快な音が鳴る。
「押したのはクイズ研! 答えをどうぞ!」
「宮島」
「お見事、正解です!」
このように、早押しだと回答権をそもそも得ることができないのだ。日本三景の候補はあと天橋立と宮島の二択だが、京都府の「きょ」が先に聞き取れれば答えは広島県の宮島に確定する。
どうやら早押しクイズの多くには、このような問題の「確定ポイント」となる箇所があるようで、クイズ研はこれが本業じゃいと言わんばかりにそこでボタンを確実に押してくるのだ。
「では、次の問題いきましょう!」
しかし、橘たちはそれでもなお優位に立っていた。急ごしらえ無策ポンコツリア充チームの俺らと違って、橘のチームは当然クイズ研の確定ポイントも見越したうえで戦略を立てていたのだ。
「問題! 京都三大祭と言えば、ご──」
ピンポン! という音に問読みは早くも遮られる。先ほどと同じ三つの列挙問題だが、まだその要素の一つも完全には読まれていない。
「さあ、ボタンを押したのは、トップ独走中の橘さん! 答えをどうぞ!」
司会から手を向けられて、観客からの視線を一度に集めても、彼女は先生に当てられた生徒のように淡々と言葉を吐く。
「……時代祭」
一瞬の沈黙の後、「正解です!」という司会の声と正解音が鳴る。
それを聞いても凛々しい表情を変えない橘の横顔は、あまりにかっこよくて。あまりに越えたいと思わせてくる。
「今の押し、どうなってるんだ? どうしてあそこで分かる? いや、分かっていても押せるものか?」
言葉が無意識に漏れていた。
それを朝比奈は「ほんと化け物みたいに強いですね……先輩の彼女さん」と苦笑いで拾う。
「本当な。あんなのと一緒に暮らしているのが恐ろしいよ。俺にはもったいないくらい、弥次郎兵衛もびっくりの釣り合いの取れなさだよな」
それを聞いた稲藤は、何か思案したような顔で少し考えて、
「でも、隣に並びたいんだろ?」
そう言って、少年のようにニカっと笑った。
俺もそれに釣られて口角を上げて、ついつい調子のいいことを言ってしまう。
「いや? 俺はアイツを追い抜きたいんだよ」
そしたらきっと今度は橘が俺を追い越そうとするだろう。
そうして、俺たちはずっと、互いを追い抜き合っていきたいのだ。
「あはは、いいね」
「先輩! 絶対勝ちましょう!」
駒場祭クイズ大会、決勝ラウンド。
現在、最下位の俺と稲藤と朝比奈は、場違いなハイタッチをする。
ああ。文化祭って、意外と楽しいじゃないか。
それならそうと、早く言ってほしかったものだ。
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