~2020 Autumn~
507 送る秋波に気づかない
「いいですか、日本就活の早期化は著しいものがあります。3年夏のインターンで早期選考を行う企業も珍しくありません。4年の6月から選考を始めなくてはならないという経団連のルールはとうに形骸化していますので、信用してはいけませんよ」
「はあ……」
大講堂のステージ上でパワポのスライドを背に話し続ける女性を前に、俺は大きな溜め息をついた。
時は9月の上旬。今まで全く就活のことなど考えていなかった俺は、転がり込むように大学の就活スタート応援講座とやらに申し込んだのだった。
「橘や稲藤曰く、まだ焦るような時期ではないらしいが……」
とはいえ彼らはいつからかしれっと就活のことを視野に入れ、着々と準備を進めていた。まだまだ先だと目を逸らし続けていた俺とは根本的に違うのだ。そりゃ、焦るというもの。
「にしても、働くのか……遂に」
社会人と学生の見えない壁は分厚い。いつかは誰もが社会に出ると分かっているのに、いざ自分の番になるとまるで実感が湧かない。
そもそも俺は、何がしたいんだろうか。何になりたいんだろうか。
「わかんねー」
思えば、橘と天賀谷は教師、春咲は保育士だったか。皆、ちゃんと進路決めて生きてるんだよな……。
なんだか途端に何も考えてこなかった自分が恥ずかしくなる。
俺以外の人が大人の階段を上っていくような、置いていかれた気持ちになった。
「しかし、就職先を決めるったって、どうやればいいんだか……」
「それが自己分析です!」
俺の小さい吐露に応答するように、前に立つ女性が声を張り上げた。
最後列に座る俺の声が聞こえる訳ないので、実際はたまたまなのだが、俺の意識は彼女の話に引き戻された。
「自己分析をするときのキーワードは、まず『過去』です。これまであなたが何をして、何をしなかったのか。なぜそれをしたのか、しなかったのか。何をしていた時が一番楽しかったのか、楽しくなかったのか。それを是非、考えてみましょう。旧友の方に、自分がどんな人なのか聞いてみるのもオススメですよ」
*
「……」
「行儀が悪いわよ」
「あ、悪い」
橘に指摘されて、俺は左手に持ったスマホを机に置く。講座から帰ってきたばかりの俺を待っていたのは、橘の作ってくれる夕食だった。
「熱心に何を見てたの?」
「いや、そういえば中学の同窓会に誘われてて。気が進まないから放置してたんだが、行ってみるのも手かと思ってな」
「ふふ。もしかして今日、自己分析でもしろって言われたのかしら?」
「はは……ご明察なことで」
そんなに自己分析ってメジャーなものなのか、とまた己の無知を恥じる。
しかし実際は橘の言う通りで、俺は講師が勧める自己分析とやらをするために、中学時代の級友に会いに行こうか悩んでいたのだった。
「だけどな……」
「?」
「いや、いい。やめておく。別に行かなくたってなんとかなるだろう」
当時を振り返っていた俺は、不意にある人の顔が思い浮かんで回想を掻き消した。
橘は「あらそうなの」と不思議そうな顔をして箸を運ぶ。
「じゃあ橘──」
俺はゆっくりと顔を上げて、目の前に座る人物に素朴な質問をする。
「俺ってどんな人だと思う?」
「早速ね?!」
「同窓会を諦めたんだから仕方ないだろう。それに仮にもお前は今、俺と同居している訳だし。単純に付き合いも長いしな」
高2に出逢って以来だから、もう5年目になるか。
それもかなり濃い時間を過ごしている。一瀬浩貴を尋ねるのにこんなにいい人材はいないだろう。
「うーん。あなたがどんな人か、ね……」
「ああ、忌憚のない意見を聞かせてくれ」
俺が目を合わせて真剣に頼むと、彼女は一瞬腕を組んで考え込む。
「そうねー、まず女々しい」
「まず女々しい?」
「決断力がないというか優柔不断なのよね。前一緒に外食に行った時なんか10分くらい注文決まらない時あったもの。損したくない気持ちが強いのかしらね。それと、変に不安症なところ。人の目を気にしすぎるし、最悪の想定ばかりして焦るし、他人に対しても自分に対しても諦めが早い。あとはそうね──」
「いや、ちょタンマタンマ! え、え?」
マシンガンのように橘の口からとめどなく出てくる言葉を、俺は思わず遮る。
あまりに速すぎる射撃で、心の痛覚がようやく追いついてきた。痛い。なんだこれ、イタイ……。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない! 自己分析じゃなくてほぼ悪口だったろうが!?」
「そう……?」
俺は声を荒げて涙目で抗議するが、本人に悪気はないのかきょとんとした顔で首を傾げる。
いやどう見ても、日頃の恨みつらみが溜まりまくっている人の発言量とスピードだったけど? ここぞとばかりにまくし立てていたようにしか見えなかったんだけど??
「あと揚げ物を作る時、私に油が跳ねて火傷しないかいつもヒヤヒヤして見てるとことか?」
「もうやめたげて!? 俺が可哀想!」
どうせ俺はビビりで不安症で優柔不断な女々しい男ですよ。
俺は不貞腐れた顔でご飯を頬張る。それにしても、長く時間を共にしている橘に自分の駄目なところを指摘されるのは、なんというか心にくるものがあった。
「でも別に、それがあなたのいいところでもあるんじゃないかしら」
橘は事も無げにそう呟く。
「そ、そうか……」
長く時間を共にしている橘に自分の駄目なところを肯定されるのもまた、なんというか心にくるものがある。
照れ臭い気持ちになった俺は、この話題から逃れるように橘に尋ねた。
「そういえば橘は教員志望だから就活はまだやらないのか」
「いいや? 一応するわよ。普通の就活も」
「なにゆえ?」
確か教員志望の場合、4年の6月くらいから教育実習があり、それから試験というスケジュールだったはずだ。
てっきりそれまで就活はしないのかと思っていたが、そうではないらしい。
「まあ教員といっても、就活ではあるから。面接だってやるし、その為には自己分析もしないといけない。だから企業の就活で場数を踏んで慣れておくべきだし、それに選択肢は多いに越したことはないと思ってね」
「なるほどな……」
さも当然のように言う橘が、無計画だった俺には急に大人びて見えてくる。
それと同時に、いかに自分が遅れているかを痛感した。前に橘が話した怪談(?)を思い出し、俺はえも言えぬ焦燥感に駆られる。
「やっぱり同窓会、行くか……いやしかし──」
俺がそう思い直した時、橘がぽろっと信じられない言葉をこぼした。
「そういえば、中学ってあなた付き合ってた子がいるんじゃなかった?」
「えっ!? 俺そんなこと話したっけ?」
「ちらっと言ってたわよ、昔」
「そうだっけ……」
そうだ、俺には一度だけ苦い恋愛経験があった。
アイツにはできるなら顔を合わせたくない。そのことが、同窓会参加の大きなネックだったのだ。
「こっぴどく振られたから気まずくてな……」
「ふーん。そんなに酷いこと言われたんだ」
「まあな……」
なぜかこちらに目線を合わせずに話す橘。しかしそんな違和感など吹き飛ぶほど、彼女の次の一言は衝撃的だった。
「でも、その子のハーフアップは好きだったんでしょう?」
「な、なぜそれを!?」
それは流石に過去の俺も言ってないはずだ。元カノが一時期していた髪型が好きだなんてこっ恥ずかしい話。
「ふふ、楓が言ってたのよ。写真を見たことがあるって」
「アイツ……」
確かに天賀谷には写真をちらっと見せたことがあったかもしれない。
それこそ修学旅行の夜とかに。盛り上がって恋バナとかしちゃったのだろう。過去の俺を殺してくるからタイムマシンをください神様。
ついでに目の前でにやにやしている自称クーデレ女も殴っていいですか?
「でも、いいんじゃない?」
「何がだ」
「多少なりとも付き合ったのなら元カノさんと話すのが一番かもしれないわよ? 大して仲良くもない級友より、まだあなたのことを知っているでしょうしね」
「うう」
俺が殴る前に、橘が正論で俺を殴ってきた。暴力反対である。
そもそも中学時代の俺がクラスメイトと仲良くできなかったことをさらっと前提とするの人の心がなさすぎるだろう。間違っていないけどさぁ……。
「いいよ! じゃあ行ってくるからな!」
俺はあまりの不甲斐なさに、逆ギレして席を立った。そして、その勢いで出席連絡をメッセージで送る。
彼女は全く気にせず、むしろ愉快そうに微笑んでいる。
「……ったく憎らしい。仮にも夫が元カノに会うんだぞ。少しくらい憂いてもいいだろうに」
俺は橘に聞こえない小さな声で、そう毒づく。
窓を開ければ雁渡しの風が身体を通り抜け、数年前の秋のことを呼び起こすようだった。
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