504 蓮と橘と百合の花


 期末課題も無事すべて終えた夏休み初日の昼下がり。

 私は女の子の胸部をまじまじと見つめていた。ふっくらと柔らかな丸みを帯びたそれは、同性でも思わず触れたくなるような引力がある。


「さっきのと今の、どっちがソウくんの好みだと思います?」


 黒のビキニを着て仁王立ちする朝比奈さんは、快活な声で私に訊いた。

 そう、私は彼女と水着を買いに渋谷に来ていた。もちろん、今月末に稲藤くんや一瀬と4人で海に行く時に着る水着である。

 一応言っておくけど、私が真剣な眼差しで見つめていたのは真剣に考えていたからであって、断じて他意はない。


「これも大人っぽくていいけれど、さっきの方が朝比奈さんらしくて可愛かったかも?」


 朝比奈さんの問いに答えながら、私はこの妙な組み合わせの買い物デートの経緯を思い返していた。意外に思われるかもしれないが、今回誘ったのは私の方からである。


 前に一瀬と朝比奈さんの下宿を訪れた日、ちょうど4人で海に行くことが決まった日。あの時、私たち4人のグループチャットができた。それを機に、私は個別に朝比奈さんに連絡を申し入れたのだ。

 かなり勇気を使った「良かったらお茶しませんか」に、朝比奈さんは秒で「いいですよ! じゃあせっかくなので水着も買いに行きません?」と提案してくれた。そして、今に至る訳である。


「そうですよねー。でも家ではしょっちゅう可愛さアピールして無視されてるんで、ここはセクシーな水着でギャップ狙うのもありかなって」


 茶目っ気たっぷりに右手を後頭部に当てる朝比奈さん。セクシーポーズのつもりなのでしょうけど、どこかあどけなさが拭えないのが微笑ましい。


「朝比奈さんがその水着で悩殺しようとしても、結局スルーする稲藤くんが私には目に浮かぶけれど」

「そんな意地悪言わないでくださいよ! 先輩!」

「ふふ、ごめんなさい。でも実際ありえそうだったから」

「正論パンチは良くないです! 非暴力・不正論を求めます!」

「そんなガンジーは嫌ね……」


 とても悪いことをしでかしそうである。

 しかし、誘うまでは緊張したけれど、来てみれば朝比奈さんと二人きりでもギクシャクすることはなかった。彼女の無遠慮さと明るさが、ほんの少しだけどももかに似ているからかもしれない。

 

「じゃあ次! 先輩の水着選びましょー! 浩貴先輩を悩殺する水着を!」

「いや私は普通のでいいからね!?」


 朝比奈さんは私たちの結婚の事情を知っているらしい。でも、私が一瀬のことを好きになっていることまでは知らないはずだ。稲藤くんもそんなことを言いふらすような人ではない。


「これなんかいいんじゃないですか?」

「こんな布が少ないの着れる訳ないでしょう!?」


 それなのに彼女は私の気持ちなど簡単に見透かしているような顔で、私をからかうのだった。




           *



「今日は付き合ってくれてありがとうね」


 水着を無事に買い終えた私たちは、近くのカフェに立ち寄って会話を弾ませていた。


「こちらこそ! 琴葉先輩と買い物できて光栄です!」

「ふふ、褒めても何も出ませんよ」


 私と関わることの何がそんなに嬉しいのかと私は疑問に思うのだが、彼女はそんなこと気にも留めていないのだろう。むしろ誰かと仲良くなることを無条件に良いと思えない私の方が、きっと少数派なのだ。

 もちろん足踏みすることは悪いことではない。実際、いい人ばかりじゃないとも思う。でも、だからと言って私は逃げ続けたい訳でもないのだ。


 だから私は私の意志で朝比奈さんに声を掛けた。しかし彼女と仲良くなるために、私の中で筋を通さねば気が済まないことがひとつだけあった。


「実はね、朝比奈さん」

「はい?」

「私、あなたに嫉妬していたの……」


 そう、初対面で朝比奈さんに会った時、私はこわかった。一瀬と仲良く話をする姿を見ていられなかった。彼女は何も悪くないのに、私が弱いせいで強く当たってしまった。

 私はずっと、そのことを彼女に謝りたかったのだ。


「えっ、なんですか胸の話ですか?」

「違うわよ! それは確かに羨ましいけれども!」

「さっき凄くまじまじと見てたからてっきりそうかと」

「それはちゃんと吟味していたの! 嫉妬というのは……その、一瀬のことよ」


 自分の中では認められるようになってきたものの、やはり人に言うのは少し気恥ずかしく、語尾が尻すぼみに小さくなってしまう。


「まだ一瀬には内緒だけど、実は私、もう彼のことが好きで……だからその、朝比奈さんに冷たくしたりとかあって……」

「あー、あったかも!」

「その件については本当にごめんなさい。それだけはちゃんと言っておきたくて」


 頭を下げる私だったが、彼女は驚きの言葉を返す。


「でも、取られたくないって感じ剝き出しで可愛かったですよ?」

「はい?」

「流石に見たら分かりましたよ、好きなんだなってことくらい」

「やめて……なんだかとても顔が熱いわ」


 私は何かを誤魔化すようにアイスティーをぐいと流し込む。

 そして何事もなかったかのように話題を先に進めることにした。


「でね、あなたに当たってしまったのは、単に一瀬を好きだったからだけじゃなくて。私が彼に依存してしまっていたこともあるの。大学に入ってからろくに友達も作らずに、最近は彼とばかり話していたから。今の生活を手放すのが恐かったのね」

「別にいいんじゃないですか? 私だって、友達はたくさんいますけど、地元にいる皆を置いてひとりソウくんを追いかけてきちゃいましたし。今はもう、ソウくんしか見てないですから!」

「……朝比奈さんらしいわね。確かに依存が必ずしも悪いとは私も思わないけれど……」

「まあでもそうですね。結局、琴葉先輩が好きになれるかじゃないですか? 浩貴先輩に依存している自分とか、琴葉先輩に依存している浩貴先輩とかを」


 彼に依存している私。私に依存している彼。

 そんな共依存の関係を私は愛せるだろうか。誇ることが出来るだろうか。


「ううん、私は好きじゃない。彼にももっと色んなものを見て、楽しんで、生きてほしい」


 それは稲藤くんに言われたからとかじゃない、紛れもない私の考えだった。


「だから交流を広げようとバイトを始めて色々頑張っているのだけれど……その流れでミスコンに出ることになったのよね」


 朝比奈さんを誘ったのは、謝罪のためともう一つ相談のためでもあった。

 こうして口実を一つでも多く考えておかないと、遊びに誘う勇気が出なかったというのもある。なんとも不器用な人間だ。


「それで相談なのだけれど、私は一瀬にそのことを言うかで迷ってるの。やっぱりちゃんと言った方がいいわよね……?」


 私は顔色を窺うようにおずおずと訊くと、朝比奈さんは私の顔をじっと見つめてこう言った。


「先輩、もしかして止めてほしいんじゃないですか?」

「えっ」


 なぜか心の中で小さくギクッという音がしたような気がしたが、私は平静を装って「どういうこと?」と尋ねる。


「いやなんとなく、先輩はミスコンに出ることを言うか言わないかよりも、言って気を引けるかどうかを気にしているような感じがしまして」

「いや、そんなことは──」


 この子、稲藤くんに似て妙な所が鋭いわ。恐ろしい子……! 往年の少女マンガだったら白目になっていただろう、そのくらい彼女の指摘は図星だった。


「──ある、かな。一瀬の気を引きたいって思っている私もいるのかも……?」

「せんぱいかわいい~!」

「可愛くはないでしょう、むしろ醜いくらいよ」

「なんでですかぁ! 恋の駆け引きも楽しいじゃないですか」


 そうかなあ、と私は首をひねる。朝比奈さんと話すのは楽しいけれど、価値観が違い過ぎて私は唖然とするばかりだ。

 いつの間に頼んだのかパフェをにこにこ顔で頬張っていた彼女が、急に物憂げな眼をしてこちらを見た。空の上の太陽が、分厚い入道雲に隠れていく。


「とはいえ、妙な駆け引きは禁物ですよ! 結局、素直に思いを伝えるのが1番なんですから!」

「朝比奈さん……」

「先輩たちには、私みたいに取り返しのつかないすれ違いなんて、して欲しくないですからね!」


 彼女は、にひひとわざとらしく笑って、またパフェを頬張る。

 長年、罪滅ぼしのために想い人を追ってきた彼女の言葉は、甘いどころか少し塩辛かった。


「なによ、花蓮ちゃんはちゃんと取り返せたじゃない」

「それもそうですね! ……って、え!? 今、花蓮って!」

「嫌……かな? 今日少しは仲良くなれたと思ったから」


 素直に言うのが1番なのは、きっとどんな人間関係でも変わらない。それが家族でも、友達でも、もちろん好きな人であったとしてもだ。


「全然嬉しいですよ! にひ、私たちもうBFFですね!」

「……ふふ、そうね」


 花蓮ちゃんの目映い笑顔を見れば、それが真だと証明されたようなものだ。

 帰り道、私たちは親友のように手を繋いで夕暮れの街を歩いた。


 手を伸ばす。手を繋ぐ。そうすれば、輪は徐々に広がっていく。

 手を伸ばす。手を繋ぐ。そういえば、BFFってビーフと関係あるのかしら。




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