X05 橘 琴葉は本を返す
「いやー、ずっと気になってたんだよ? 琴葉のこと」
「そうだったの……市川さん」
「だからえみりでいいってば。いや、まあゆっくりでいいけどさ……」
「ううん。えみり……って呼んでもいい?」
私たちはあの後、二人きりで本音を明かした。
市川さん……じゃなくてえみりに陰口を言われて悲しかったこと。でも、その前から話しかけてくれて本当は嬉しかったこと。それなのに距離を置いてしまって申し訳なかったこと……。
「そりゃあね、皆分かってたよ。橘さんって男子に冷たいけど、女子から見てもちょっと怖いよねって言ってる人は多いからさ。だけど、私はなんとかして琴葉の壁を壊したかったの。
まぁ、これは単純に好奇心だけどね。どんな人なんだろうって気になってた……だから陰口っぽく聞こえてたならごめんね。多分その時は友達に合わせちゃってたところはあったと思う」
「そのことはもういいの……元はと言えば私が悪いんだから」
「いやいや。……まぁでも、確かに寂しかったかな? 誘ってもいつも素っ気ないもんなぁ?」
「だ、だからそれはごめんなさいって言ってるでしょう?」
「あははは。冗談だって」
冗談か……。
そういえば私は、人と冗談を言い合うなんてことも久しくしていなかった気がする。あ、ちなみに誰かさんの天然ボケにツッコむのはノーカンだからね。
「ふふ、嬉しい。冗談を言い合えるのって、なんだか友達みたい」
「え? 友達でしょ?」
「あら? そんなこと言ったかしら?」
「う、嘘っしょ!? あんな熱い会話しておいて!?」
「もう、冗談に決まってるでしょう? ふふ」
「いや琴葉の冗談、マジっぽくて怖いわぁ……」
友達と笑い合うってこんな感じなんだ。
家族といる時とも、また違う感覚な気がする。違う安心感だと、私は思った。
それを教えてくれた彼には、やっぱり感謝しないといけないんだろうな。
「ねね、じゃあ今日は一緒に帰ってくれる?」
「ええもちろ……あ、でも先にある所に寄るから少し待ってもらえる?」
「え、全然いいけど……どこに?」
キョトンとした顔のえみりに、私はふざけてウインクをして返した。
「ちょっと本を返しに、ね」
*
「お、どうだった? ちゃんとパンチ食らわせたか?」
「だから拳で語らないから」
図書室へ行くと、何やら自習をしていたらしい天賀谷くんがそこにいた。
確かに今日はあまり勉強できていなかったものね。やはり根は真面目みたいだ。
「でも……ありがと。あなたのお陰で、ちゃんと友達になれたと思うわ……多分」
気恥ずかしさもありながら、私は謝辞を述べた。氷の女王とも呼ばれる私が男子にこんなことするなんて、一体何があったと言われそうだけれども、義理は通さないと私の気が済まないから。うん。
すると、珍しく彼もドギマギした様子で、
「お、おお……橘って意外と可愛らしいんだな」
「は、はぁ!? なによそれ! だからあなたはデリカシーがないって言われるのよ!」
「す、すまん! 珍しい顔をしていたからつい……」
「全く……」
め、珍しい顔ぉ? 私、そんなに顔赤くなってたかしら?
手鏡を取り出して覗くと、全然笑みをこえらきれていない気持ち悪い表情をした自分がそこにはいた。
「よっぽど友達になれたのが嬉しかったんだな!」
「へっ!? あ、そうね!? そうよ。そう言うことに決まってるでしょう!?」
まぁ、確かにそれも嬉しかったけれども……今のにやけは多分それが原因じゃない気がする。いや、もうそういうことにしよう。
「友達は作った方がいいぞ! なんていったって一人じゃないからな!」
屈託なくそう笑う彼の顔は、夕焼けに照らされていっそうまばゆく映った。
私ももっと早く、彼ほどとはいかなくても、そうやって素直に思えたなら──いや、違うわね。まだまだ高校生活は、私の人生は、これからだもの。
「それで、橘は何しに来たんだ?」
「本を返しにね。ちょうど二週間前か……なんだかとても長かった気がするわ。誰かさんのせいで」
「いやー橘先生にはお世話になった! ありがとうな!」
ふふ。皮肉なんてこの人には効かないか。
まあ、なんだかんだ言いながらも私も楽しかったし。収穫もあったしね。
──琴葉ってめっちゃ教えるの上手だな!
思い出して、また少しだけ身体が熱くなる。
楽しかったのはきっと、誰かと一緒にいたからだけじゃない。私は人に何かを教えるのが好きなんだ。
「これ、返却お願いします」
「はーい」
私は業界地図の載った就活情報誌を返却し、鞄から一枚の紙を取り出した。そして、迷いなく希望職種の欄を埋める。
書いた二文字を見て、少しだけ頬が緩む。
人生という漠然とした航海に、目的地が生まれたのだ。それも当然だろう。
つくづく、天賀谷くんには感謝しないといけないわね。
「お!」
「ちょ、ちょっと! 勝手に見ないでもらえる?」
ひとりで満足気にしていたら、書いたところを天賀谷くんに見られてしまっていた。
咄嗟に隠すも、もう遅い。
「橘は教師になるのか! 俺と一緒だな!」
「え……ってことはあなたも?」
「おう!」
「嘘……でしょう? その学力で? あなた、教師なめてるの?」
「え……いや、なめてない……です」
私の圧を感じて、みるみる青ざめる天賀谷くんに、私は冷酷に言い渡した。
「明日からまた特訓だから。中間テストは上位50位以内に入ってもらうわよ」
「そ、そんなああああああああああああああああああああ」
・・・
私は楓と出逢って、きっと大きく人生が変わった。
少なくとも高校生活は、それまででは考えられないくらい楽しいことの連続だった。でも、それについてのお話は、また別の機会にしましょうかね。
大学生になった私は、彼がくれた勇気をいま、改めて思い出さなければいけないのだから。
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