X04 二人の少女は目を交わす


「幼稚園児の頃、俺はこう見えても人見知りだったんだが」

「意外過ぎるわね……」

「一人でずっと皆が遊ぶのを見てたんだ。仲間に入れてって、怖くて言えなかった。でも、そんな時……ももかは俺に手を差し伸べてくれたんだ」

「ももかって……さっき言っていた春咲さん? そんなに昔からの付き合いなのね」

「うむ。だから俺はももかをソンケーしてるし、憧れてる。りすぺくとってやつだな!」


 それってもう「好き」を超えているんじゃ……。そんな風にも思えたが、口にはしなかった。

 だが、できることならその春咲さんという人とも、一度話してみたい気がした。


「もしあの時ももかが声をかけてくれなかったら、俺はあのまま一人寂しい思いをしていた。だから、今でも一人でいる奴には声を掛けたい。独りっていうのは怖くて辛いんだ……」

「そうね……」


 独りは怖い。かつての私は、それを身をもって実感した。

 だが、彼の俯く表情を見ると、まるで彼も私と同じであるような──ただ誰かに教えられた道徳を話しているのではないような──そんな風に感じた。

 もちろん、そんなことを聞ける間柄ではまだないけれど。


「時には、手を伸ばした相手に迷惑がられる時もある。俺は人の気持ちに鈍感だから、無理に踏み入って傷つけてしまったこともある。その時は、ごめんなさいとしっかり謝る。だけど……それでも、たとえ嫌われるかもしれなくても、俺は一人でいる誰かに声を掛けないなんてできないんだ」

「天賀谷くん……」


 驚いた。彼がそこまで分かっていたとは、正直考えてもみなかった。

 だがしかし、どこかですっと納得したような自分がいた。


 彼は私に対して下心などこれっぽっちも抱かず、優等生アピールがしたかった訳でもない。自分の確固たる信念に従っていただけなのだ。

 それは結局、エゴには変わりない。幼稚な正義と言われるものかもしれない。


 しかし、彼はそういった自分の幼さや身勝手さを自覚してもいた。


 私が今までに見てきた、自分すらも騙していい顔をするような……そんな卑怯な人間とは決定的に違うのだと、私はようやく確信した。


「だから俺は、お前を一人にしたくないんだ」


 まただ。また彼は、天賀谷楓は、こうして私をまっすぐと見つめてくる。

 こうして見つめられる度に、友達すらまともに信じられず、ちゃんと笑えていなかった私が、いかに臆病な人間だったかを思い知らされるのだ。


 もしも──。

 赤の他人にかまわず手を差し伸べるような勇気が、もし私にもあれば……何か変わるだろうか。


「ねえ、天賀谷くん」

「おお……どうした? 急に名前で呼ぶなんて珍しいな?」

「私、高校に入ってから、ずっとどうすれば一人にならないかだけをずっと考えていた。友達っていうのはその手段でしかなかったの」

「橘……?」

「だけど、そんなんじゃやっぱり駄目で。見抜かれてしまって。ずっと話しかけてくれていた友達に、ちょっとした陰口を言われてたの聞いちゃったの」

「そうだったのか……」


 そう。自分で距離を置いていたくせに、中途半端な期待をして、勝手に裏切られた気持ちになって……。


「だから、私が流していたのは身勝手な涙なの」


 私は今更のように、彼に自分があの日泣いていた訳を話した。

 それはきっと、背中を押してほしかったからだ。


「むむ……でももし。もしだぞ!? もしもボックスの話な!?」

「いいから早く続きを言いなさいよ」


 真剣に答えようと言葉を慎重に探しているのが伝わって、思わず笑みが零れる。きっと、自分の正義を人に押し付けて傷つけてきた過去があったのだろう。


「もしも俺が橘なら……ずっと話しかけてくれたその友達を信じたいと思う。だってその子は、自分が距離を置いて寂しかったから陰口を言ってしまったかもしれないだろう?」

「ふふ、本当にあなたってお人好しなのね。皆そんなにいい子ばかりじゃないわよ?」

「橘の言う通りかもしれないな。でも、ちゃんとお互い口に出さないと分からないだろう?」

「ええ……そうね」


 そう、彼なら自分の友達を疑わないことも分かっていた。


「私も……ちゃんと友達としてあの子と一度話してみたいの。でも友達になるのって……怖い」


 人を信頼してしまえば、裏切られる哀しみを覚悟しなくてはいけない。

 今回でさえこんなに苦しかったのに、本当に友達になったら、私はその痛みに耐えられる自信がない。

 何よりまた一人になるのが……こわい。


 私はまた俯いて、怖気づいて、静かに涙が頬を伝うのを感じた。

 こんな自分が嫌で嫌で、仕方がなかった。


「今、ちゃんと話してみたいって言ったか?」

「う、うん……?」

「よし、じゃあ行くぞ!」

「へっ!?」


 彼は私の腕をがっつりと力強く握って、部屋の外へ連れ出す。

 私は訳も分からぬまま、腕が引きちぎれないように必死に足を動かした。


「ちょっどこへ行くの!?」

「その子のとこに決まってるだろう!」

「あなた話聞いてた!? 怖いんだってば!」

「友達になりたいなら! ちゃんと喧嘩して! ちゃんと仲直りするしかないだろ!! 友達になった後も、何回でも喧嘩して喧嘩して仲直りして……! それを怖がっていたら、ずっと独りになっちゃうんだぞ!!」

「そっ、それはそうだけど……イタ!」


 前を走っていた彼が急停止して、私の彼の頑丈な身体に勢いよくぶつかる。

 急に走ったり止まったり、何なのよこの人。

 

「で、その友だちってどこにいるんだ?」

「はぁ!? 勢いにもほどがあるでしょう!」

「いややっぱ起承転結の転では走りながら叫んだ方が映えるだろうと思ってな……うむ」

「急にメタいこと言わないでくれるかしら……はぁ」


 どうやらとりあえず私の教室まで走ってきたようだ。さすがの彼でも、全くの考えなしで走ってはいなかったらしい。


「あ」


 私はちらっと窓の隙間から教室を覗くと、市川さんがまだ教室で他の女子数名と談笑しているのが見えた。今日は彼女も部活がオフなのだろうか。


「運がいいのか悪いのか……」

「お? いたのか? よかったな!」

「良くないわよ。あなたね、こっちにも心の準備ってものが……」

「橘」

「は、はい」


 また彼はまっすぐ私の目を見つめてきた。握ったままの手はそのままに。

 眩しくていつも逸らしていたその視線を、私は何故かその一瞬だけ、逸らすことが出来なかった。

 彼の視線から、その勇気を分け与えてもらおうと思ったのか、はたまた……。


「もし橘が喧嘩して上手く仲直りできなくても、心配するな! 俺はお前の友達だし、俺の友達も皆絶対! お前の友達になってくれる! 特にももかはな! 超いい奴だから!!」

「近い近い……もう手も離して」


 私はすぐに目線を外し、振りほどくように手も離したけれど、なぜだかまだ身体が熱い気がした。これからのことに、緊張しているのだろう。


「あぁ、すまない」

「乙女の身体をあまり触るもんじゃないわよ。訴えるからね」

「す、すまない! 慰謝料なら払うから……今月分の小遣いで許してくれ……!」


 そう言って彼が取り出したのは、五百円玉。

 いや、もう殆ど残ってないじゃない。私の身体、そんなに安くないのだけれど。


「……ふふ。まぁいいわ。気休めな言葉をありがと。じゃあ、行ってくるわね」


 私は端的にそう言って、教室の扉に手を伸ばす。


「おう。頑張ってファイトだ! アンパンチだ!」


 拳で語り合うタイプの喧嘩は恐らくしないと思うけれど。

 背後の彼の言葉に心中でツッコミを入れながら、私は努めて冷静を装って扉を開けた。


「あ……」


 市川さんが真っ先に気付いて、こちらを見る。

 先程、私が冷たい態度を取ってしまっただけに、気まずそうな顔だ。


「取り込み中のところ悪いのだけれど」


 私はそこで、もう一度だけ短く、ふぅと息を吐いて。


「市川さん、少しお話してくれる?」


「……もちろん!」 


 市川さんは、その言葉を待っていたかのように、笑顔で返してくれた。


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