302 図書館ではお静かに
「さあ、これを読みなさい」
天賀谷の目の前にドサッと置かれた本の山。
そう。俺たちがやって来たのは、最寄りの図書館だ。なんでも橘には何か作戦があるらしいのだが……。
「これを全部か!?」
「ええ、そうよ? ああ、安心して。どれも名作ばかりだから」
「お、おう。ありがとう……?」
橘が持ってきた「名作」という本は、確かに三島由紀夫から村上春樹まで
「ふむ。よく分からんがこれも自分の為なのだろう! とりあえずこれを読んでみるか!」
「お、おっふ……。 おい天賀谷、お前本当にそれでいいのか……?」
「ん? いや、これが一番新しくて読みやすそうだったから選んだだけだが、駄目だったか?」
「あ、いや……。うん、それも一理あるか……悪い、気にせず読んでくれ」
「おう!」
そう言って天賀谷が結局手にしたのは、村上春樹の代表作ともいえる長編小説だが……。
俺は意気揚々と読み始めた天賀谷を横目に、橘に近づき耳打ちする。
「おい……どういうつもりなんだ」
「何? 言われなきゃ分からないの? あなたもこれくらいは読んだことあるでしょう?」
「あるけど……いやお前まさか」
「名作には官能的な描写が付き物でしょう? だったら名作も楽しんで、そういう気持ちも理解できるようになれば一挙両得じゃない!」
「やっぱりそういう感じね……」
嫌な予感しかしなかったが、とりあえず俺たちも適当に本を読んで天賀谷を待つことにした。
「……はっ」
軽く読んでいたつもりが、すっかり物語の世界に夢中になってしまっていた。気づくともう一時間以上経っている。まぁ、こうして現実を忘れられるのが読書のいい所なんだけどな。
そしてお隣の言い出しっぺも例によって我を忘れて、物語に耽っていた。ていうか問題の天賀谷の様子は──。
「……おい」
「なによ、今いいとこなんだけど」
見兼ねて俺は肘でつついて橘の読書を中断させた。お前、ここに来た理由忘れてるだろ。いや忘れる気持ちはよく分かるけどさ。
なんか前も読書で本来の目的を忘れたことがあったな……。橘のお父さんが来た時か。学習しないな俺たちも。
「見てみろよアレ」
「ん……え?!」
俺が指した先にいた天賀谷を見て、橘は思わず立ち上がった。驚きのあまり。
それもそうだ。天賀谷はまだ30ページもなさそうな序盤の序盤を読んでいたのである。
「か、楓……? もしかして2週目……?」
「ん? まだ初見だぞ?」
「!?」
「はぁ……そりゃそうだ」
300ページ近くある単行本を一時間で読んで理解できる人なんて橘くらいしかいねぇよ。
しかし、これは天賀谷の読解力が問題じゃないだろう。
「すまん……なかなか難しくて先に進まなくてな……はは」
「いや、これは俺たちも悪い。元々難しい文章で有名な人だ。下手したら古語の物語より読みにくいまである」
「そうかしら……私は結構サクサク読めるのだけれど」
「次席合格で東大文学部にいるお前と他の奴を一緒にするな」
「そう……いい方法だと思ったのに……」
「いや、申し訳ない! 俺の読解力がないばかりに。だがもう少し頑張ってみるぞ」
天賀谷は健気にもそう言って、本を読み進めていこうとするが、俺はそれを手で制した。
この際だからはっきり言ってしまおう、俺は橘に向き直る。
「これ昔もやったじゃん!? 駄目だったじゃん!?」
「う……」
そうだ。天賀谷に恋心を自覚させるため、高校時代俺たちはあらゆる小説や少女漫画、ラブソングなどの娯楽を天賀谷に体験させた。しかし、何の成果も得られなかったのだ。
「あの時学んだろ。作品を読んでも、それと自分の気持ちを理解することは別なんだって!」
「で、でも……0から1を理解するのが難しいけれど、1を知った今なら10を理解できる可能性もあるでしょう?」
「出来なかったからこうなってんだよなあ!」
「なるほど!」
「え?」
急に天賀谷が閃いたと言わんばかりの顔で立ち上がった。もしかして今の会話で察したか?
「そうか! 俺の気持ちは、好きって気持ちの延長線上にあるものだったんだな!?」
「お、おう……そうだ!」
「遂に分かったのね? 楓」
「つまりこれは……『大大大好き』ってことだな!?」
拳を握りしめ、彼は自信満々にそう叫んだ。
うーんとね、えーとね。俺は橘と苦笑いで顔を見合わせ、同時に言い放った。
「「違う」」
「ええ!?」
「図書館ではお静かにお願いしますねー」
「……」
結局この日は司書さんに怒られただけでなんの収穫も得られず、お開きとなってしまった。そういう訳で、俺たちは一度この件を持ち帰り、また再び作戦会議をすることに相成ったのである。
*
「はぁ、前途多難ね」
「このままじゃ埒が明かないな」
帰りの道すがら、俺たちは揃ってため息をつく。
「やっぱり彼自身が自覚しなきゃよね」
「そうだな」
「じゃあ私がホテルにでも連れてく?」
「は、はあ!? いや駄目だろそんなの!」
なんてこと言うんだこいつ……。
いや、天賀谷のこと好きならむしろ当然の発想か? 冗談にしては過激すぎる。
「ふふ……」
「おい何考えてる」
何やらにやにやした表情をこらえている橘。
まさか頭の中であんなことやこんなことを……。
「もう、そんなに怖い顔して。なんであなたが怒ってるのよ」
「いや別に……」
怒ってる? 俺が? なんで。
い、いや、怒るだろ。俺の願いは春咲と天賀谷が幸せに付き合うことなんだから。橘と天賀谷がそういうことをする妄想なんて、したくないに決まっている。そう、そうだよな……。
「とにかくはそれは駄目だ!」
「はいはい分かってるわよ。最悪の場合、楓は私が目の前で裸になっても『寒くないのか?』とか平気で言ってきそうだもの」
なんでそれが『最悪』の場合なんだ、と突っかかりたくなったが、口には出さなかった。それで、天賀谷のことが好きなのだからと答えられては俺は何も返せない。でも、橘も今は二人を応援してくれているはずだ……。
「まぁ要するに、ももかがいないと話にならないってことね」
「そ、そうだな……なんとかして協力を仰ごう」
「ええ、そうね」
こうして俺は胸の
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