第3章
~2020 April~
301 天がまた晴れるように
ああ。まただ。
「ね! 手つなご?」
そう手を差し伸べるももかの笑顔は、とんでもなく眩しくて。
こんなにもドキドキするのに。
「楓? 顔色悪いよ、大丈夫?」
「あぁ……大丈夫だ。繋ぐぞ何本でも!」
「いや一本でいいけどね?」
どうして。どうしてなんだ。
こんなにモヤモヤして。こんなに怖い気持ちになるのは。ももかといるのは嬉しい。楽しい。そのはずなのに。
ここ最近何故か、ももかといる時に限って、身体が逃げ出したい衝動に襲われる。
「にはは……今日はもう帰ろっか!」
「え? いや何言ってるんだ。これから思う存分でーとをするんだろ?」
「うーん、また楓が元気になったらね!」
「そ、そうか……すまないな……」
ももかは寂し気な顔ひとつ見せずに前を走っていく。ずっと前から今日のでーとを楽しみにしていていたのに。
ももかを幸せにしなきゃいけない俺が、むしろももかを悲しませているじゃないか。
俺は、俺の身体は、一体どうしてしまったんだ……。
*
「どういうことだ、天賀谷」
「ちゃんと説明してもらえるんでしょうね、楓」
時は戻り、3月下旬。
俺たちは千葉県某所、天賀谷の下宿に話を聞きに来て──否、取り調べに来ていた。
「ひ、久しぶりだな二人とも。急にどうしたんだ? 何の話か全然──」
「楓、正座」
「……へ?」
「正座」
「はい……」
人の家に上がって早々、橘が家の主を正座させているが、俺たちが天賀谷と会うのはおよそ二年ぶりである。俺に限って言えば、大学に入ってからは一度も連絡さえしていない。
だが、今はそんなことは関係ない。春咲にあんな悲しい顔をさせた罪は重いのだ。
「単刀直入に聞こう。お前はもう春咲のこと好きじゃないのか?」
「ち、違うぞ!? 俺はももかのこと大好きだ!」
「お、おう……そうだよな」
とりあえずその言葉が聞けて一安心だが、ここまで堂々と言われるとこっちが照れてしまう。まあ、はっきり言葉を言えるのは天賀谷のいいところだけどな。
「じゃあもう一つ確認。あの子に『しつこい』とか言ったのは事実?」
「はい……ごめんなさい……」
「謝るのは私にじゃないわよね?」
「はい……ももかに謝る……です」
橘も春咲のために本気で怒っているようだが、もうすっかりお母さんと子供にしか見えなかった。橘はいいお母さんになるかもな。あと天賀谷は早く大人になってくれ。
「さて事実確認はここまでだ。本題はここから。どうして好きなのに、そんなひどいことを?」
「ちが、違うんだよ……」
「犯人は皆そう言うのよ」
……俺もあまり人のこと言えないけど、橘さん心のどこかで楽しんでますよね?
「俺はただ……ちょっとももかと距離を置こうとして……。でも、上手く伝えられなくて……」
「なるほど? 距離を置きたいのに春咲がデートや電話を催促したからつい言ってしまった、と」
「そうなんだ浩貴ぃ……分かってくれるかぁぁ!」
「うんうん、まったく分からん」
俺は暑苦しく抱きついてきた天賀谷を引き剥がそうとするも、俺と違って筋肉質なその腕は、非力な俺の腕力ではびくともしなかったので諦めた。
ともかく、天賀谷の言い分は理屈としては通っているように見えるが、おかしいところもある。
「そもそもなんで距離を置こうとしたの?」
「そこだな」
そうだ、今までそんなことは一度もなかった。
天賀谷と春咲はおそらく喧嘩ひとつしたことがないんじゃないだろうか。それなのに、距離を置きたいと思うほど、何がそこまで天賀谷を追い詰めたのか。
「それは……ももかに会うのがこわいから……」
「はい?」
「どういうこと? それは雷などに対する『こわい』と同じ意味で?」
さすが橘、天賀谷の扱いには慣れたもの。すかさずカウンセラー並みの誘導をして、天賀谷の感情を紐解いていく。
さすがにあの
「いや違うな。ももかに会ったり触れたりすると、なんかこう……そう! 逃げたくなるんだ!」
「「逃げたくなる?」」
いや、そんな「ひらめいた!」みたいな顔されても。隣のカウンセラーの方も口をぽかんと開けてますよ。
「んー、分かる! 俺の説明が足りないのは分かるぞ! んーちょっと待ってくれ。えーっと……そう! まるで自分が自分じゃなくなるみたいな!」
「おお!」
「いいわよその調子!!」
「なんかドキドキするのにモヤモヤして!」
「おお!」
「なんか腹の底がぐぉぉぉってなって!」
「おお?」
「全身ずががががががぁんって感じ! そう! これだあ!」
「いや分かんねえよ!?」
ちょっと途中までこのまま行けると思って、応援していた俺たちが馬鹿みたいじゃないか。
後半ほぼほぼ擬音しかヒントなかったからね? 雷にでも打たれたの?
「いや……まさかね……」
「え?」
ぼそっと言葉をこぼした橘は、さながら探偵のように顎に手を当てていた。
もしかして、何か分かったことでもあるのだろうか。
「ねぇ、逃げ出したくなるって特にどんな時?」
「う、うーむそうだな……。前はでーとなるものをしていて……あ、そうだ。手を繋いだときだったぞ! あと初めて春咲がここに来た時も凄い怖かったな……」
「やっぱり……」
「え……おい、おいおいまさか……」
「ええ、そのまさかみたいね……」
橘と顔を合わせるも、お互い苦笑いだ。
だって、そんな馬鹿なことあるはずない。仮にももう20歳の男子大学生が。
「なぁ、念のため確認しないか?」
「い、いいけど……あなたがチャット送ってちょうだい」
「えっ、いやそれは不公平だろ。同時に送ろう」
「し、仕方ないわね……」
少し顔を赤らめた橘の意見は即却下して、俺たちはスマホのアプリを開く。
そしてその文字を打ち込んで、いつでも送信できるようにしておく。
「じゃあ、せーので送ろう。いいな?」
「ええ、じゃあ」
「「せーの」」
送信。
その瞬間、チャット画面に表示された二つの言葉は、全く同じの二字熟語だった。
────性欲。
*
「やっぱりか……」
「え、そんなことある!? 仮にも男子よね!?」
天賀谷には一旦待ってもらい、俺と橘は背を向けて小声で会議を始めていた。
「でもこいつは情緒で言ったら春咲より遅れてるんだぞ! 初めて恋心を自覚したの高校生の時なんだぞ!」
「そ、そうよね……でもできれば同時に自覚してほしかったわ……」
「そんなこと今言っても仕方ないだろ……はぁ。どうする? これ、本人に直接言って伝わると思うか?」
「そもそもどう伝えるのよ! あなたが説明してくれるんでしょうね?」
「いや……き、きつい……」
そもそもこういう類の感情は、他人から教えてもらったところで分かってもらえないことの方が多い。でなければ、高校時代俺たちはあんなに苦労していない。恋が分かっていない人間に「それは恋です」と言っても、ピンと来ないのはもう実証済みなのだ。
つまり、結局今度もまた、天賀谷は自分の本能を自ら気付くほかないのである。
「はぁ~、しゃーない。またやりますか」
「ほんと、世話が焼けるカップルだこと」
俺と橘は溜め息をつきながらも、覚悟を決める。
今回は前回以上にデリケートで厳しい戦いになるだろうが、二人の幸せのためだ。何だってやってやろう。
「よく聞け天賀谷」
「な、なんだ? 浩貴」
「お前はそのよく分かんない気持ちがどういうものなのか分かりたいんだよな?」
「そうだ。これが分からないまま謝りに行くのは良くないと思うんだ。何よりももかに会わせる顔がない……」
「そうね。なあなあでとりあえず謝っても筋が通らないわ」
そう、春咲と天賀谷をもう一度くっつけるのは簡単だ。しかし、どのみち避けては通れない道。問題の解決を後回しにしていても仕方がないのである。
「よし、俺たちに任せろ。必ずお前たちがまたくっつけるように、協力してやる」
「それじゃあ、行くわよ」
「い、行くって今からか?」
「当たり前でしょう、長いことももかを悲しませるわけにいかないもの」
こうして、俺と橘のなんとも奇妙な『あまはる復縁大作戦』が始まるのだった────が。
この時すでにとんでもない勘違いを俺と橘がしていることなど、俺たちはまだ何も知らない。
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