Y03 痛くて温かいこの場所で


「二人とも議長に立候補ですか? これは逆に困りましたね……」


 執行部の人が首を傾げてぼやく。

 これで二人も立候補者が増えてしまい、副議長の枠を含めても一人は辞退しなくてはならないからだ。


「あ、じゃあ私楓とこーきに譲るよ!」

「そうですか。では二人のどちらかが議長、どちらかが副議長ということで」


 なにやら話が進んでいるようだが、俺は今それどころではない。

 なぜ天賀谷が手を挙げたのか、そればかり気になって仕方がないのだ。

 だってそうだろう。こいつは春咲を推薦した奴の悪意には気付いていなかったはずなのに。まさか本当にただ単純に議長がやりたかったのか……?


「ふむ。じゃあ浩貴が議長だな!」

「いやなんでだよ!?」

「え? 嫌だったか?」

「え? 嫌だけど?」

「そ、そうか……。じゃあ俺が議長やります!」

「わかりました。ではよろしくお願いしますね二人とも」


 いやあぶねぇ……。話聞いてなかったら勝手に議長にされるところだったじゃないか。

 ていうか天賀谷のせいで俺の作戦台無しなんだけどな。

 俺が議長になり「推薦するほど意欲がある君に副議長をやってもらいたいんだ」とでもあの子に言えば、極力場を乱すことなく、彼女の思い通りにさせずに済んだのに。これじゃあただの引き受け損じゃないか。


「じゃあ、これから一緒に頑張ろうな!」

「はぁ……」

 

 さっき教室でも見たようなキラキラした笑顔で、また天賀谷は握手を求めてくる。

 俺は溜め息をつきながらも、一応手を差し伸べた。やっぱりまた痛かった。



      *


「やっと終わった……」


 その後は普通に簡単な自己紹介や分担決めなどで最初の議会はさっさと終わった。

 春咲は教室に荷物を置いてきたらしく、今は校門前で彼女を待っているという訳だ。どうやらこのまま四人一緒に帰る流れらしい。


「それにしてもあなたが議長に立候補するなんて意外だったんじゃない?」


 ほぼ初対面の橘にそんなことを言われる筋合いはない気もするが、まあ概ね異論はないのでそれは黙っておく。


「まぁ……見過ごせないだろ。普通に春咲が可哀想だったしな」

「ふーん。案外人の心があったのね」

「ありますよ誰かさんと違って」

「あら誰のことかしらね」

  

 そんな棘が見えそうな会話を橘としていると、


「なぁ、見過ごせないって何のことだ?」


 天賀谷が俺の言葉を拾ってこんな質問をしてきた。「ももかが褒められて嬉しい」と言っていた彼からすれば、それはもっともな疑問である。

 春咲もちょうどいないし、この際に説明しておいた方がいいだろうな。


「今だから言うが、春咲を推薦したあの子は、議長を誰かに押し付けたかっただけだと思う」

「なんだって?」

「議長をさっさと決めて早く帰りたかったんだろうな。だから本心から春咲を褒めたんじゃなく、言ってしまえば押し付けられるなら誰でも良かったんだ」

「そうね。春咲さんなら断らないだろうとでも思ったんでしょう」

 

 俺の説明に橘も頷いてくれたが、天賀谷は拳を震わせて──


「どういうことだ!? あれは褒めてるんじゃなかったのか!? 彼女はあんなに笑ってたぞ!」


 ──めちゃくちゃ混乱していた。


 コイツはもしかして童話以外の物語を読んだことがないのだろうか。天賀谷の思考回路があまりに無垢で眩しくて、俺は助けを求めるように橘に小声で話しかけた。


「なぁ、天賀谷ってこういうところもいつもなの?」

「今頃?」

「うそん……」


 彼女の冷たい返事に俺は愕然とする。

 そう考えると、天賀谷はつくづく俺と正反対の人間のように思えた。


「例えばお金持ちの先輩を、ある人がかっこいいって褒めたりするだろ?」

「ふむ。その先輩を尊敬してたんだな!」

「違う、そうじゃない。そういう時、その子は先輩と仲良くなって奢ってもらえることを期待してるんだな……って俺は思うんだ。お前と違って捻くれてるから」

「な、なるほど!?」


 ……俺は一体何の説明をしているんだろう。

 悪いことは何もしていないはずなのに、なんだか真っ白のものを穢しているような罪悪感があった。

 俺も、お前みたいに純粋な心を持っていたらどれだけ楽だったろうか──。



「すっっごいなそれ!!」


「え?」

「そうやって人の気持ちが分かるって、俺羨ましいぞ!」


 天賀谷は感動したようにわなわなと肩を震わせて語った。

 そして少し恥ずかしそうにして、さらに言葉を続ける。


「俺どうしても相手の気持ちをそのまんま受け取ってしまうんだ。それでたまに怒られたり、傷つけたりも……するんだ。ほら、琴葉の時もそうだったけど」

「こら、余計なこと言わない」

「?」

「と、とにかく! だからそういうのが分かるって俺すげえ尊敬するよ! だってそのお陰で浩貴はももかを助けられた訳だしさ!」

「天賀谷……」


 終始、無邪気な顔で語る天賀谷を見ていたら、少しだけ心が軽くなった気がした。

 そうか。人を嫌う理由にしかならないと思っていたこんな性格も、役立つことだってあるんだな……。そう思うと、自分のことが少しだけ許せそうで、嬉しかった。

 そこにツンツンと、水を差すように橘が肘でつついてくる。


「ふふ、楓もたまにはいいこと言うでしょう?」

「なんでお前が自慢げなんだよ」

「別に?」

「ていうか、じゃあ天賀谷。お前はなんで手を挙げたんだ? 本当にただ単純に議長やりたかっただけなのか?」


 俺がずっと気になっていたことを尋ねると、天賀谷はあっけらかんと答えた。


「ん? それは、ももかが嫌そうだったからだぞ」

「そう? 私には満更でもなさそうに見えたけれど」

「俺もだ」

「アイツはああ見えて断れないタイプだからな! ももかの顔見れば分かる!」

「そうか……」


 なんだよそれ。全然分からなかった俺への当てつけか。いや、コイツがそんな器用なことが出来る奴じゃないのはもう分かってるだろ。

 単純に、これが春咲と過ごした年月の差ってことなんだよな……。


「じゃあもう一つだけ教えてくれ」

「いいぞ、なんだ?」

「お前は、春咲のことが……好きなのか?」

「あなたなにを──」

「ああ、もちろん」

「「……!!」」


 やっぱり天賀谷も春咲を……。


「もちろん琴葉も好きだ!」

「「は!?」」


 な、なに堂々と二股宣言してんだこいつ……。


「もちろん浩貴も好きだぞ! みんな好きだ!!」

「あ、そういう……ね……」


 まぁ、なんとなくそんな予感はしてたけども。

 天賀谷にはもしかしてまだ恋愛感情っていう概念がないのかもしれないな……。


「でも……ももかは少し特別かもしれないな」

「え?」

「さっきも言ったけど、俺は馬鹿だから、相手を怒らせたり傷つけたりしてしまう時もある。だけど、それでも俺は困ってる人に声をかけるのをやめない」

「それはどうしてなの」


 橘が訊くと、天賀谷は照れながらも堂々と胸を張って答えた。


「俺はももかみたいに、色んな人に手を差し伸べるヒーローになりたいからだ。あいつは俺のヒーローなんだ」

「ふふ、そうなのね……」


 微笑ましそうにそう言う橘の目は、どこか切なそうだった。

 彼はやっぱり自覚していないだけで、春咲を想っているんじゃないだろうか。そして橘はそんな彼を……。



「みんなおっまたせ~!」


 そうこうしているうちに、やっと春咲が荷物を抱えて戻ってきた。

 

「おっ、ももかやっと来たか!」

「ごめんごめん、なんか迷っちゃってさー」

「おいおい、もう二年生だぞ?」

「だって高校広いんだもーん」


 天賀谷と笑い合う春咲を見て、なぜだか胸が痛くなる。

 どう見てもお似合いな二人を、俺は見ていることしかできないのだ。


「あ! こーき!!」

「な、なんだ? どうした?」


 春咲は思い出したかのように俺のもとに駆け寄ってくる。


「今日は助けてくれてありがとね!」


 そして、満開の桜のごとく俺に微笑みかけるのだ。


「べ、別に……春咲のためじゃないぞ」

「そう? でも嬉しかった! 楓もありがと!」

「おう!」


 あぁ。ずるいなぁ。その笑顔は反則だ。

 たとえ見ていることしかできなくても、俺はきっとこれからも、二人を見続けてしまうのだろう。なんとなく俺は今、そう悟ってしまった。



「じゃあ皆で帰るか!」

「そうね。ちなみに私はバスだけど皆は?」

「ももかと俺もバスだぞ。浩貴は?」

「……自転車」


 ポツリとそう言った俺に、春咲たちは顔を見合わせる。

 ……悪かったな。空気読めなくて。まぁ別に一人で帰るのなんて苦じゃないし……。


「よーし! じゃあ今日は皆で歩いて帰ろー!」

「ええ!?」

 

 春咲の唐突な提案に、俺は思わず声を上げる。いや、結構遠いでしょあなたたち。


「そうだな! せっかくだし」

「ま、皆がそうするなら仕方ないわね。別に予定もないし」

「そ、そうか……」


 去年の自分には到底信じられないな。友達と一緒に帰路につくなんて。

 こういうのって……案外いいな。


「ふふー! 皆で手つないで帰るー?」

「なんで? 俺チャリあるんだが」 

「ならあなたは抜きでいいんじゃない?」

「おい待て」

「じゃあ俺は浩貴の腕を抱くぞ!」

「それはそれであぶねぇし、気持ち悪いわ!!」


 うん。まぁ……仕方ないな。

 恋とかそういうの以前に、この場所が楽しいから。


 俺がここにいる理由はそれだけでいい気がした。





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