209 混淆から緋色をほどくように



「長旅ご苦労さま! どうぞはいってー」

「はいはい、お邪魔します」

 

 初めて来た春咲の下宿は、案外と言ってはアレだがかなり女の子らしいものだった。カーテンやカーペットなどがピンクを基調とした配色で揃えられていて、可愛らしい空間を作りだしている。

 キモ可愛いという表現が適切そうな動物のぬいぐるみがベッドに並べられているあたりは、さすがのセンスというところだろうか。すべて口には出さないが。

 

「それにしても春の嵐って感じだねー」

「本当にな。来る途中も雷まで鳴ってた」

「ひょえー。なんかワクワクするね!」

「そうか?」

「それよりこーき。肩とか結構濡れてるよ? しょーがないからタオル貸してあげる!」

「それはありがたいことで」


 こころなしかいい匂いのするバスタオルを受け取り、俺は頭や肩を拭く。

 自分の家とは違う柔軟剤の匂いというだけなのに、これで春咲が身体を拭いているという事実が一瞬脳裏を過ぎる。駄目だ、妙な想像を打ち消さねば。

 今日はそんなことよりも、ずっと大事なことを話しに来たのだ。


「あのっ……この前の事だけど!」

「う、うん……!」


 勇気を出して本題を切り出すが、俺が緊張しているせいで春咲にもそれが伝わってしまったらしい。ピシッと背筋を伸ばした二人が、正座で向かい合っていた。


「お、驚かせてごめんな……急にあんなこと言って……」

「う、ううん! 私こそ、楓以外に告られたのなんて初めてだったから……びっくりしすぎちゃって……」

「そ、そうだったのか……」


 春咲の容姿や性格を考えるとそれはかなり意外にも思える。しかし、天賀谷と春咲は生まれた時から幼馴染だ。ずっと高校の時のように、周りに見守られていたのかもしれない。


「前の告白のことなんだけどな……」

「う、うん……」


 すう。

 言葉を吐こうと息を吸ったその時、地鳴りのような落雷の轟音が鳴り響いた。ほとんど真上からの強い衝撃に、思わずしゃがみ込む。

 

「きゃっ!」

「停電……?」


 その数瞬後灯りが消え、同時に春咲が悲鳴を漏らす。まずい。春咲は暗い所が苦手だった。

 真っ暗になった視界を照らすため、俺は急いでスマホを探そうとポッケを漁る。


「しまった。バッグの中に入れたままだ」


 目が慣れるまではそのバッグも探せそうにない。迂闊に歩いたら春咲にぶつかってしまうかもしれないしな。


「春咲、大丈夫か?」


 春咲はスマホの灯りに頼るという発想が咄嗟に出るほど賢くない。

 ただでさえ、落雷と停電でパニックになっているだろうしな。

 

「こーきぃ……」

「大丈夫。落ち着け、スマホの光を頼りにするんだ」

「スマホぉ……どこぉ……」


 闇の中から聞こえてくる声は、もう完全に涙声だった。しかし、彼女はどうやら無闇に手探りでスマホを探し続けているようで、ガサゴソと音だけが聞こえる。


「お、おい。無理に探すと危な……い!?」

「ひゃあっ……!」


 春咲を止めようと立ち上がった途端、俺は足を何かに引っ掛けて倒れてしまった。

 フローリングに四つん這いになる形で、なんとか受け身を取る。


「ん……?」

「はぁ……はぁ……」

 

 倒れ込んだ自分の耳元に、なぜだか荒い吐息がかかる。

 不思議に思って目を開けると、拳一つ分の距離に涙目の春咲がいた。


「は……春咲……!?」

「こーき……?」


 俺はどうやら春咲を押し倒してしまっているらしい。恐らくは、動き回っていた彼女とぶつかって倒れ込んでしまったのだろうが……。

 目が慣れ始めていた俺には、ぎゅっと目を瞑って怯えた春咲の顔が見えてしまう。俺と彼女の距離は限りなくゼロに近く、ほとんど抱き合うような形だった。

 直に触れ合う温もりや髪から香る匂いが、先ほどの妙な妄想を再び思い起こさせてくる。

 まずい。早くここから脱出しないと……。


「あ……」

「ん……?」


 なんとか動こうとしていると、視界が急に明るくなった。やっと電気が復旧したのだろう。

 しかし、灯りが付いたにもかかわらず春咲は何一つ喋らず、こちらを潤んだ瞳でじっと見つめてくる。

 彼女の心臓がバクバクいってるのが、身体ごしにも伝わってきた。


「は、春咲……?」


 こんな至近距離に好きな人がいたら、普通はどう思うだろう。

 きっと大抵は、触れてみたいとか、自分のものにしたいとか、そう思うんじゃないだろうか。

 それこそ他の異性が触れないようなところも触れられるような、そんな関係になりたいと望むのが自然なんじゃないだろうか。



「……悪い、俺は間違えてた」


「え……?」


 俺は春咲を踏まないようゆっくりと立ち上がる。

 そして、持ってきた鞄から包みをひとつ取り出した。涙目の春咲も呆然としながら、体勢を直す。


「これは……お前に作ったホワイトデーなんだけどさ」

「私に? くれるの?」

「いや、あげない」

「ええ?!」


 俺はそう短く答えて、中の大福を一気に貪り出した。

 さながら早食い競争のように凄まじい勢いで完食した俺を、春咲は口をぽかんと開けて見ていた。


「な、なんで自分で作ったのを自分で食べるの!?」

「悪い。これは過去の俺の産物だ。だから……後始末は自分でつけなきゃいけないんだ」


 そう。あの日始まった「好き」のカタチは……こんなモノじゃないのだ。


「悪い。告白したこと、撤回させてくれ。いや、訂正させてくれ。あれは……時制が間違っていた。お前のことはずっと好きだった。そう、過去形だ。……でも俺がずっと言えなかったから、終わらせられずにいたんだ」

「こーき……」

「だから電話したあの日、俺の恋は終わってたんだ。だから、付き合うとか付き合わないとか考えなくていい。それに俺の想いは……いつしかお前が天賀谷と幸せになることになってたんだよ。情けないけどな……今気づいたんだ」

 

 ずっと彼女が違う誰かにときめいてきたのを知っているからなのか。そんなときめいた顔をずっと横で見てきたからなのか。

 俺は春咲の何を見ても、何に触れても、自分のものにしたいとは思わなかった。


 春咲に対する俺の恋愛感情は、いつしか恋が抜け落ち、愛だけが残ったのかもしれない。だから、そのどちらもを混ぜこぜにした大福は、今の俺が渡すべきじゃないんだ。


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