210 嘘とカクシゴトと勘違い


「……おい、大丈夫か?」

「え……?」


 気持ちの整理をつけるように俯いていた話していた俺は、春咲の顔を見て驚いた。

 やっと止まりかけていた彼女の涙が、またぼたぼたと流れていたからだ。


「にへ……なんか安心したら出てきちゃって……最近駄目だなホント……」 

「春咲……」

「ごめん……私、ひとつだけ嘘ついてた」

「嘘……?」


 春咲が涙を拭きながら語り出す。

 再会したときに見たような、無理して作った笑顔を浮かべながら。



「私、ホントはまだ……楓のこと好きなんだぁ……」



 その切なそうな顔は、片想いをしていた頃とよく似ていた。

 なんで。彼女はようやく結ばれたのに、そんな顔をしなきゃいけないんだ。

 

「最近ずーっと楓が素っ気なくって……。忙しいからって、電話もしてくれなくなっちゃって……。会いたい会いたいってわがままばっかり言ってたら、『しつこい』って怒られちゃってさ……。それで、楓は私と一緒にいちゃ良くないんだって思って……だから……別れてって言っちゃったの……」

「そう、だったのか……」

「でも忘れなきゃって思うのに、全然忘れられなかった……あはは」


 そこまで言って、春咲はまた困ったように笑う。

 彼女は天賀谷のためを思って別れたと言うが、天賀谷だって春咲のことを死ぬほど大事に思っていたことを俺は知っている。


 何かすれ違いのようなものがあるような気がするが……。


 ひとつ、それとは別に気になることがあった。

 

「じゃあ、俺を家に呼んだのは……?」

「え? だから直接話したかったからだよ……?」


 そこは天然かよ。てっきり天賀谷を忘れるために、俺に乗り換えようとしたのかと思っちゃったじゃないか。恥ずかしいよ。


「……でも、好きって電話で言われて、こーきだったら安心かなぁっていうのはちょっと思っちゃった……。にへへ……ホント私、嫌な子になっちゃってるなぁ……」


 そう自嘲気味に言う彼女は、確かに天賀谷と付き合って変わったのだと思う。

 しかし人は往々にして、誰かと付き合えば、欲張りたくなったり、時には醜いことも考えてしまったりするものだ。


「気にするなよ。それは春咲が乙女になったってことだ」

「なんだよそれぇ……」


「それに、俺もひとつ言わなきゃいけないことがある」

「なに……?」


 春咲にまだ言っていない大事なこと。

 本当は真っ先に考えなくてはいけなかったことだ。


「俺、橘と結婚してるんだ」

「はええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 鼓膜をつんざくような春咲の悲鳴に、思わず耳を手で押さえる。

 うん、今のは俺の言い方が良くなかったな。反省反省。


「けっ、結婚!? 琴葉ちゃんと!? それなのに告白したの!? 最低! あれ、じゃあ私も最低じゃん! こーきのばかばかばかばか!」

「お、落ち着け春咲。気持ちは分かるが落ち着け。何も俺たちは好き合ってる訳でも付き合ってる訳でもない」

「ふぇ……どゆこと?」

「ん~~。説明が難しいが、要はただのシェアハウスだ」


 橘のお父さんに説明した時の苦労を思い出すが、いくら純真無垢な春咲といえど流石に現代っ子。話せば分かってくれるとは思うが……。


「異性と暮らしたらカップルじゃないの?」

 

 だ、駄目だったかぁ……。

 おとぎ話の恋愛しか知らないような純真無垢な子供に、俺たちの結婚を説明するとしたらどうすればいい。


「うーんと……お互い大事な友達だから、一緒に暮らしたら楽しいよねって感じ……なんだけど」

「なるほど……!」

「分かったんだ!?」


 分かりやすさを意識しすぎて幼稚園児みたいな言葉遣いになってしまったが。

 それ故になにか誤魔化してる感が否めないが、まぁいいだろう。子供はコウノトリが運んでくるのである。


「じゃあ琴葉ちゃんに謝りに行かなきゃダメじゃん……!!」

「えっ!? いやだから好き合ってる訳じゃ」

「大事なんでしょ! だったらこういうの良くなかったと思う!」

「う、うう確かに!?」

「よし行くよ!」

「今から!?」

「こういうのは早い方がいいの!」


 春咲はもう傘を持って玄関に駆け出していた。

 何も事情を知らない橘にわざわざ話すのは気が引けるが、春咲の言うことも正しいので俺も用意をする。

それに、勢いづいてしまった彼女を、もう止める術などないのだ。



       *



 こうして、まだ雷のゴロゴロとした音が聞こえるなか、俺は春咲と自分の下宿に戻ることになった。

 おそらく春咲と橘も、相当久しぶりの再会になるだろう。


「雷は怖くないんだっけか」

「当たり前じゃん。あんなの当たりさえしなきゃ痛くも痒くもないでしょ?」

「暗いのは怖いのにな」

「暗いのは心が痛いの! 心臓も痛い! だから怖い! 仕方ない!」

「ふふ、そうかい」


 帰りの道すがら、そんなどうでもいい話を呑気にしていた。

 乗せられてはみたものの、橘が今回の顛末を聞いたところで「あら、そうだったの」くらいにしか思わないだろうしな。

 

 とはいえ、アイツが俺との結婚生活をどう思ってるのかは分からない。そんなことを伝え合ったこともあまりない。

そのせいで俺は自分の気持ちすら見失っていた。


「確かに謝らないとな……ありがとな、春咲」

「急にどしたのさ」

「いや、アイツとの生活は本当に楽しいなって思い知ったからさ」


 俺がそう言うと、春咲は急ににやにやした顔で聞いてくる。


「こーき、やっぱり琴葉ちゃんのこと好きなんでしょ!」

「いやぁ……どうかな。好きか嫌いなら勿論好きだけど。アイツへの気持ちは、ずっとお前に抱いてきた感情とはまるきり違うからな」

「そっかぁ」


 俺が橘のことをどう思っているのか。少なくとも……恋愛感情ではない、と思う。

 一時はそう思ったこともあったが、春咲と出会ったことでそれとは違うとはっきりした。


「んん?」

「どしたの、こーき」

「いやこっちの話」

「……?」


 でも結局、春咲に抱いていた想いも普通の恋愛感情とは違った訳で。

 というかそもそも、恋愛感情は一通りで括れるようなものなのか……?


「ここ?」

「あ、そう。ここの三階」


 法学部なのにそんな哲学みたいなことを考えていたら、下宿に到着した。

 まずは橘にちゃんと事情を話すことから、だな。


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