208 笑顔で手を振って
3月14日。ホワイトデー当日。
空の機嫌はすこぶる悪く、窓を叩く雨粒の音が喧しいほどだった。
「すごい風雨ね……」
目を擦りながらそう言う橘はまだ起きたばかりで、普段は綺麗な茶髪も乱れ気味だ。
もう昼だというのに、珍しく夜更かしでもしたのだろうか。
「橘。そ、そういえばさ……」
「んー?」
なんとも間抜けな返事をする橘に、俺は冷蔵庫から取り出した包みを渡した。
中身はもちろん、稲藤の家で作った例の大福だ。
「その……ホワイトデーだからな、今日」
「?」
「まぁ……ケーキありがとなっていうお礼だ」
「大福……? どこで買ったの?」
中身を見て、首を傾げる橘。
「それは……て、手作りだ」
「へっ!? あなたが手作り!?」
声を上げて、橘は先ほどまでの眠気眼を突然カッと見開いた。
……良かった。この様子だと本当にサプライズはバレていなかったようで胸を撫で下ろす。
「それにしてもホワイトデーに大福って……」
「笑うな。好物なんだから文句ないだろ」
「それはそうなのだけど……ふふ」
堪えるように笑う橘がとても憎たらしいが、喜んでもらえたようで一安心である。
まあ、問題は味なのだが……。
「起きてすぐに大福ってのもアレだろうし、好きな時に食べてくれ。まずかったら……俺が食べるから残しといてくれ」
「残さないわよ。そういうしつけ方をされてきたもの」
「いや、まぁ……口に合えば何よりだ」
寝起きに渡してしまったのであまり驚いたリアクションは見られなかったが、橘の嬉しそうな表情が見れたので、一応サプライズをした甲斐はあったというものだろう。
「じゃあ……ちょっと俺用事あるから行ってくるわ」
「ええ。行ってらっしゃい」
俺が玄関に向かうと、橘はバレンタインの日のように見送ろうとついてきた。
「気を付けなさいよ」
傘を渡しながら言ったその表情は、今まで見たことがないほど晴れ晴れとした笑顔だった。それはもう、むしろ不自然なまでに。
しかし、そんな彼女の違和感に気付かないほど、俺の心はそれどころではなかったのである。
・・・
「俺が好きなのは……春咲だけだから」
遂に言ってしまったという焦りからか、胸の鼓動が速まるのが分かった。呼吸も乱れる。それでも、遂に言えたという解放感や達成感も、確かに心に感じていた。
「…………」
だがそれも春咲の無言が続くうちに消えていき、遂には不安でいっぱいになった。
え、これ聴こえてますよね……? もしかしていきなりの告白にドン引き……?
「あの……もしもし?」
「ご、ごめん……! え、えっと……えっと……これ、どっきり?」
「ち、違う! 今度は本気だ。本当はずっと前から、出逢った頃から、お前が好きだった」
「ふええぇ、そうだったんだ……」
逸る鼓動と呼吸に乗せられるように、言葉がするすると出てくる。
恥ずかしいことを言っていると俯瞰した自分もいるのに、彼は俺の口を閉ざしてはくれない。
「うぅ……」
一方、春咲は俺の言葉に困惑しきっているようだ。
まぁ、突然そんなこと言われたらそりゃ驚くよな。しかもかなり長い付き合いの友達に。
「……ちょっと考えさせて」
「え?」
「こーきがうちに来るまでに考えておくから!」
「えええ!?」
言い残して春咲は、返事も待たずにブツッと電話を切ってしまった。
なんだ。なんなんだ。考えるって一体何を……。
いや、告白されて考えることなんてひとつしかない。付き合うかどうか、だ。
そこに考える余地があることにも驚くが、自分の告白にそういう意図がなかったことに、俺は今更ながら気が付いたのだった。
・・・
「気まずい……」
俺の今の心境を一言で言うと、それだった。
告白した相手に求めてもいない返事を貰いに行く。こんなに気まずいことがあるだろうか。
そもそも、俺は春咲と付き合いたいのだろうか……。
春咲の下宿は、二度ほど乗り換えをして四十分ほどで着くらしい。
未だ答えの出ない気持ちを抱えたまま、歪な形をした大福を鞄にしたためたまま、俺は電車に揺られていた。
────私たちはただの幼馴染……アイツにとってはね。えへへ……。
春咲と出逢った日、初めて見た彼女の恋する表情を不意に思い返す。
あの日始まった「好き」のカタチは……。
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