112 娘さんを僕に

 


 橘の家は外観もさることながら、内装もその個性は際立っていた。

 クリーム色を基調に、木や金属から和紙のようなものまで、色々な素材で様々な模様が壁一面に広がっている。

 それでいてごちゃごちゃしておらず、むしろ調和しているのだから不思議だ。


「ごめんなさいね、パパ今日は仕事休みだったはずなんだけどさっき何処かに出かけちゃって。すぐ戻ってくるとは思うんだけど」


 紅茶を出してくれた橘母は、にっこりと笑ってそう言った。

 口調は橘よりむしろ柔らかいくらいで、見た目も40代とはとても思えない。

 ファッションが奇抜なのもあるが、やはり橘の母親というだけあって、その美貌が若々しく見せているのだろう。


「あのっ、俺、じゃなくて僕と琴葉さんは……」

「もうっ! そんな固くならないの! 普通に、俺でいいわ」

「そうよ一瀬。気にしないで」


 母親に軽く肩を叩かれ、思わずドキッとする。

 ……したことないけど、海外のホームステイかってくらいフランクだなこの人。

 まぁ、橘がそう言うなら。


「俺と琴葉さんが好き合ってる訳じゃないのは知ってるんですよね?」

「ええ、知ってるわ」

「それについては何とも思わないんですか?」

「別にいいんじゃない? 好きじゃなきゃ結婚できないなんて法律はないでしょう?」


 橘母はなんでもないように首を傾げる。

 橘の言った通り、母親の理解はある程度得られているようだ。


「疑いもしないんですね……少し驚きました」

「ふふ、昔からあなたの話はよく聞いてたのよ」

「ちょ、ママ……!」


 橘が慌てて母親の口をふさごうとするが、俺もそれは気になるので身を乗り出す。


「一体どんな話を……?」

「本当に他愛ない話ばかりよ。テストで打ち負かしてやった、とか。文化祭で一瀬くんのアイデアが凄く良くてむかついた、とか。受験前はずっと眠そうで心配、とかね。可愛いでしょう?」

「べ、別に可愛くないわよ! そんなこと今関係ないでしょう!」

「……」

 

 バシバシと母親の胸を叩いて抗議する橘。本当に友達みたいな間柄なんだな。

 それにしても、人伝いに聞く自分の話ってなんかめっちゃ照れる……。

 

「だから、疑わないの」

「……?」


 キッパリと言う橘母に俺は首を傾げる。

 すると彼女は、まるで愛おしいものを見るような目で、笑ってこう言った。


「この子は好きな人のことを家族や友達に話すようなタイプじゃないから」


 その答えは予想の斜め上を行きつつ、いかにも橘らしくて。

 俺は思わず笑ってしまった。


「……ははっ。俺もこういう小賢しい奴を好きになるタイプじゃないですよ」

「人の愛娘に言うわね~あなた~」

「ちょっと。誰が小賢しいよ」

「小賢しい超えておおざかしいの間違いだったか?」

「それはもはや……褒めてるのか貶してるのかどっちなの?」

「さあ……」



        *



 こうして暫く三人で談笑していると、不意に玄関の扉が閉まる音がした。


「あ、やっとパパ帰って来たわね」


 橘母が立ち上がり、玄関に出迎えに行く。

 俺は思わずゴクッと唾を飲みこむ。すると、


「別にあなたが気負う必要はないわ。私が基本的には説明するから、あなたは堂々としていてくれればいい」

「あ、あぁ……助かる」

 

 橘父のことをより知っているのは当然だが娘である橘だ。

 情けないが、ここはお言葉に甘えるとしよう。


「それにしても、お母さんの前だとそんな外向きの顔もするのねあなた」

「そりゃあ仮面ペルソナの一つや二つは持っているもんだろ」

「明るくてノリがいいあなたなんてちょっと怖いわ」

「おい悪口だろそれ」



 そうやって二人で軽口を叩き合っていると、


「はじめまして、一瀬くん……だったかな」


 そう言って橘のお父様はリビングに現れた。

 盛り上がった腕や胸板の筋肉が私服だとより際立ち、思わず身震いする。武者震いというやつだろうか。


「お邪魔してます、一瀬いちのせ こうです。はじめまして」


 こちらも立ち上がり、深々と礼をする。

 一度前に会った時のことはきっと覚えていないのだろう。

 まぁあれもちゃんと話したわけじゃないから、覚えていてもノーカウントでナイストゥミートゥーだ。本当にナイスかどうかはこれから次第だが。


「まあ座りたまえ。呼び出したのに待たせてすまなかった。少し煙草を買いに出ていてな」

「いえいえ大丈夫です……!」


「では単刀直入に聞こうか」


 重々しい口調で、両腕を組む橘父はこう続けた。



「君に娘を幸せにする覚悟はあるのかね」



「……!!」

「パ、パパ……!」

 

 唐突な重い言葉で、リビングの空気が一変する。

 ただ一人、橘母だけはのほほんと微笑んで見ているが。

 

「だから言ってるでしょう? 私たちのはそういうんじゃないって!」

「結婚は結婚だろう?」

「友達とシェアハウスしているだけよ!」


「でも相手は男だろう?」

「男だけど友達なの!」


「お前を好きでもない男と寝るような子に育てた覚えはないぞ!」

「う~、そうだけどそうじゃないのよ……!!」


 お、俺は漫才でも見ているのだろうか……。

 ううむ、やはり完璧に理解してもらうのは難しいか。価値観が違い過ぎて食い違いまくっている。


 一方ふふふー、と穏やかに微笑むだけの橘母。

 あれ、あなたサポートしてくれるはずじゃ……?


「もう! ママも何か言って!」

「パパ、琴葉達ちゃんはね────」


 と思っていたら説得に動いてくれるようだ。ふう、と安堵の息をつく。


「新居に住むからそのサインをしてほしいんだって」

「何ぃ!? 学生で家だと!?」

「ママ!?」


 いやいや。いやいやいや。説得どころか余計驚かせてるじゃん……。

 さすがにこれは父親が反発するのもやむなしだろう。


「おい、君!」

「は、はい!」


 急に指をさされて、油断していた俺は一気に背を伸ばす。


「結納はいつするのかね」

「ゆ、結納!?」

「そうだ、結婚なんだから当然だろう」


 ま、まじか……。

 昭和を地で行き過ぎだろこの人……。そりゃ日本の伝統だけども。


「仲人は誰に頼もうか」

「仲人!? いや要らないですよ?!」


「そも祝言しゅうげんはいつ執り行うんだ?」

「祝言!? それ江戸時代とかでしょ!?」


「和歌は詠み交わしたのか? 垣間見は?」

「いや古すぎるだろ!!」


 令和に垣間見なんてしてる人がいたら覗きで捕まっちゃうから警察おとうさんに。

 っていうかなんで俺同級生の父親と漫才してるんだよ。


「……ふむ、いまいち理解できんな」


 橘父はそう言って、ソファに深く座り直した。

 荘厳な表情で目を瞑っているが、ちょっと今の応酬楽しんでたよね? そういう血なの?


「ねえ琴葉ちゃん、祝言って?」

「キリスト教の結婚式が伝わる前に、婿の家で行われていた婚礼の儀のことよ」


 横で橘母娘おやこがこそこそと耳打ちをしているが、それはまあいい。

 このままでは、あの狭い下宿に住み続けなければならないどころか、橘が無理矢理連れ帰されることになるかもしれない。


「お父さん」

「お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはないが」


 ……そういう漢字では言ってないです。


「聞いてください、お父さん。僕らの生活が、関係がどういうものなのかは、実際に見て頂ければすぐ分かります。それくらい僕らの関係は普通の友達と変わらないものです」


「一瀬……」


「いつ来ていただいても構いません。アポも要りません。うちに遊びに来てください」


 俺はまっすぐ目を見て、真剣な顔で言った。

 お父さんに好かれそうな、男らしさというペルソナを付けて。


 ……有り体に言えば、見栄を張って。



「……よかろう。サインはしてやる」


 なんとか絞り出した誠意は伝わったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

 橘父はそれで満足したかとばかりに部屋を後にした。

 

「ちょっと。あんなこと言って大丈夫だったのかしら」


 若干弱気気味に話しかけてくる橘に、俺は自信満々に返す。


「とはいえ娘が夫と住んでる家なんか普通来ないだろ。それだけの覚悟がありますよって見せるのが大事なんだよこういうのは」

「……あなたって意外と器用よね。お父さんが来たらまた態度全然違うし」

「意外は余計だ」


 驚いたような感心したような顔で言われてなんだか複雑だが、今は無事に一件落着ということでよしとしようじゃないか。



 こうして人生で最も緊張したご挨拶編は、なんとか幕を下ろした────はずだった。



      *


 その一週間後のことだ。


 ────ピンポーン。


 まだ春休み真っ只中の穏やかなワンルームに、呼び鈴の音が鳴った。


「あら、配達かしら。何か頼んだ?」

「いいや、最近は何も」

「じゃあ勧誘かしら……」


 橘が対応しようと玄関に向かうのを横目に見つつ、俺は読書に耽っていた。


「パ、パパ!?」


「ええっ!?」


 俺は驚きすぎて椅子から転げ落ちた。 

 慌てて本を置き、玄関まで行くと本当に橘の父親がそこには立っていた。



 いやいや。

 いやいやいや!


 ────本当に来るのかよ……!!!?



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