111 この借りはチョコレートで

 

 ……という訳で。

 俺たちは橘の父親にご挨拶をするため、急遽千葉に帰ることになった。


「悪いわね、一瀬。今月末も帰省するのに」

「お前の親に呼び出されちゃ仕方ないさ……でも」

「?」

「こんなことになったのは黙ってたお前が悪いんだからな」

「わ、分かってるわよ! 今度ちゃんとこのオトシマエはつけるから!」


 いやヤクザか。別に貸しにしたい訳じゃないんだが……。

 俺はこれ見よがしに恩着せがましく言う。


「結局今年はチョコくれなかったしなぁ」

「えっ、一瀬バレンタイン欲しかったの?」

「そ、そりゃ欲しいだろ! 悪い!? 大学になって親からも誰からも貰えずにいた俺が今年は橘がいるしな、とか思ってちゃ悪かった!?」

「ちょっと執念が怖いわ……」

「まあ、それは冗談にしても」


 別にこんなことで貸しを作るのもアレだしな。このお返しはチョコということにしてもらおう。

 そしたら今年も誰からも貰えなかったという悲劇は避けられる……。うん、やっぱり俺執念深いな? いやでも、高校の時は義理でも友チョコでもくれてたのになんで今年は……。


「あ、でも一応当日トッポ買ってあげたじゃない」

「いやアレカウントされんの!? 買い出しで買ったやつじゃん! 俺、半分払ってるんだが!?」

「てへっ」

「いや可愛くないけど」


 ま、同じ家に住んでて手作りなんてのもこっ恥ずかしいか。お互いに。

 ……ん? てことは橘、今年は誰にもあげてないってことなのかな。


「仕方ないわねぇ、じゃあ手作りチョコで手を打ってあげるわよ」

「うーん。上から目線なのが引っ掛かるがまぁ許そう」

「よし」


 ところで、橘の家に入ったことはただの一度もない。高校の友達、しかも異性ともなれば別にそれは普通だ。

 だが、駅から続くこの住宅街の風景を、俺はなんとなく覚えていた。

 そう、あれは確か高二の夏祭りの時だ。トラブって帰るのが遅くなり、俺は橘を家まで送ったことがあった。


 ***


「大丈夫か? 橘」

「ええ、なんとか……」

「……ったく慣れないもん履くから」

「うるさいわねぇ」


 俺は足を痛めた橘に肩を貸して、家まで送っていた。

 人混みを歩くのは危険と判断し、祭りの客が帰るのを待っていたら時刻はもう日付が変わる寸前だった。

 橘を支えて歩くのにも時間がかかるため、ある程度は仕方なかったのだが……。


「親に連絡できてないのがなぁ……」

「私が怒られれば済む話よ、気にしないで」

「いや心配はするだろ」


 残念ながら、祭りの間に何度も電話をかけまくったこともあり、俺も橘もスマホの充電がご臨終していたのだ。実際心配されるようなことがあったのだから、俺も橘の親には合わせる顔がない。


「それもそうだけど……元は私の不注意よ。一瀬は悪くないわ」

「はぁ、橘がそう言うなら」

「おい」

「!?」


 その時だ。夜も更けた住宅街、灯に照らされた強面の男がドスの効いた声で話しかけてきたのだ。また不審者かと思い、俺は橘を手で庇う。


「うちの娘をこんな時間までほっつかせるな!」

「お、お父さん……」

「お父さん!?」


 噂には聞いていたが、これがあの……。

 思わず何とか橘琴葉の要素を見出そうとまじまじと顔を見てしまう。


「今何時だと思ってるんだ」

「あっ、すいません。少しトラブルで……本当に申し訳ありません」

 

 うむ、全く似ていない……。橘の顔は母親譲りということだろうか。

 

「一瀬は謝らなくていいの。お父さん、詳しくは後で話すから家に戻って」

「む……お前も夜な夜な男と遊ぶようになったってことか」

「ちが、違うに決まってるでしょう!? ほら、早く……」


 橘(娘)に背中を押され、橘(父)は家の中に押し戻されていった。

 警察官ということで上下関係には厳しいかと思っていたが、今の悶着を見る限りではなんだか普通の父娘らしい。娘を溺愛し、そんな父親を少し娘は煙たがっている思春期にありがちな関係に見えた。


「じゃ、じゃあ一瀬、送ってくれてありがとね。悪いけど私はこれで……」

「ああ全然。ちゃんと誤解は解いておくんだぞ」

「当たり前よ。じゃあね」

「おう、またな」



 ***


 あれからもう三年。改めて高二が三年前とかヤバいな。

 まだまだ若いなんて思っていたらあっという間に墓場に入っていそうだ。


「そういや、橘のお母さんはどういう人なんだ?」

「んー、分かりやすく言うならお父さんと真逆って感じかしら。だからとんでもない自由人よ。デザイナーやってるって前話したかしら?」

「えっ、いやそれは知らなかった。デザイナーって服作る的な?」

「まあそんな感じよ」

「ほはぁ……」


 ファッションデザイナーと警察官……。あまりに珍奇な取り合わせに感嘆の息をつく。

 挨拶の時は母親も話を取り持ってくれるとのことだったが、大丈夫なんだろうか……。


「あ、着いたわ。ここよ」

「おお……」


 前来た時は暗くてあまり分からなかったが、橘や父親の雰囲気とは打って変わって洋風のオシャレな建物だ。外観は造花や人工芝などで装飾されていて、雑貨屋だと聞いても納得するほどだ。

 これがデザイナーの家か……。聞かずとも母親の趣味だなと思った。

 あの強面が住む家ならもっと和風で、盆栽とかないとおかしい。それは偏見か。


「さ、どうぞ」

「お、お邪魔します……」

「あらー、いらっしゃい!」


 緊張で震えた声で扉を開くと、奇抜な服を着た綺麗な女性が玄関で出迎えてくれていた。

 かなり若く見えるが、橘のお母さんだろうか。というか、その服の作りどこがどうなってるんですか。


「君が一瀬クンね! 琴葉ちゃんから聞いてるわよ~」

「もうママ! 余計なこと言わなくていいから!」

「……はは」


 友達みたいな親子だな、と思った。

 同時に、これはあまり頼りにならなそうだな、とも。


 俺、本当に結婚なんて許してもらえるんだろうか・・・。


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