110 俺たち二人は傍から見たら
「家の条件はこんなもんか……」
「そうね、後は不動屋さんと色々見て回って決めましょう」
あの後も俺たちは暇を見つけては、話し合いを重ね、契約書を作成。そして新しい住処の具体的条件を擦り合わせた。
ワンルームじゃなくなるので家賃は高くなるだろうが、これからは二人で折半だし、なんとかはなるだろう。俺は珍しく、春を待ち遠しく思った。
「あ、そろそろお買い物行かなくちゃ」
「なら俺も行くよ、折角の春休みだしな」
これまでは俺が学校にいる間にしてもらうことも多かった為、基本は彼女一人で買い物に行っていた。だが、ずっと任せきりというのも亭主関白のようでなんだか悪い。
「あらいいの? 誰かに見られるかもしれないわよ?」
「春休みだしな、いつもよりは確率的には下がる」
「ふふ、あなたがいいならいいのだけど」
そう、普段なら大学生がスーパーに寄る時間帯など夕方から夜に限られる。しかし、春休みなら朝や昼間に行くやつもいるだろうし、帰省して実家で暮らす人も多いだろう。
それならば東大生に見られる……なんて可能性も相対的に下がるというものだ。
「どのみち私がここに出入りしているのはよく見られてるしね」
「えぇ……」
意味ないじゃん……。まぁ、噂になって困るのは俺よか橘の方ではあるんだが。
なにせ橘はミス東大を断り続けたことで有名人らしいからな。
「私は別に噂されても気にしないわよ? だから行きましょ。二人で買い物とかちょっとしてみたいじゃない?」
「橘……」
ははっ、と思わず笑みが零れる。なんだかんだ確率論だの理屈を捏ねてはいたが、結局俺も橘と他愛のない話をしながら、買い物がしてみたかっただけなのだ。
「同感だ」
「ふふ、じゃあ行きましょうか」
*
歩いて五分もしない所にあるスーパーマーケット。
安いし、何より24時間営業なので橘が来るまではかなり重宝していた。あの頃は生活リズムが崩壊していたからな。
もちろん今もうちの妻が重宝しているんですが。
「今日何食べたい?」
「おお、それっぽいな」
「なによそれ。からかってるの?」
「いや感動しただけだ」
新婚らしい会話に感銘を受けただけなのに、橘は「いちいち何よ」みたいなジト目で睨んでくる。
どうやらもう橘さんは新婚気分などとっくに抜けて、倦怠期突入みたいです。いや寂しくなんてないけど。本当にない。
「まぁ、最近凝ったものばかり作ってもらってたし久々に鍋とかいいんじゃないか?」
「それは名案ね。もうすぐ春だし、今のうちに」
そう言い、彼女は一つずつじっくりと野菜を見定め始めた。ぐるりと野菜を全方向から見たり、触り心地を確かめたりしているようだ。
更には「あ、今日白菜が安いわ!」と興奮気味に駆け寄ったりして、もう俺の目にはただの主婦にしか見えなかった。一瀬には、野菜の相場が分からぬ……。
「そういえば。橘は春休み実家に帰るのか?」
「え、うーん。あなたが帰るなら帰らなきゃよね」
「いや別に鍵は貸してもいいんだが、帰らないのか?」
「うーん……」
何か気がかりなことでもあるのか、考えあぐねている橘。
そういえば一月に同棲を始めてから一度も実家には帰っていないように思う。
「一瀬はどうするの?」
「俺は一度帰るかなあ」
「いつ頃?」
「今月末くらい? それこそ新しい下宿決まったらきっと親のサインとかいるだろ多分」
「あっ……」
「だからそれ終わったら帰るかな……って橘?」
横を向くと橘の顔は茄子のように青ざめていた。
明らかに「どうしよう……」感が溢れるその表情に、一体何をやらかしたのかとこっちまで心配になる。
「どうしましょう……」
「どうかしたのか? できることがあるなら手伝うが」
「じ、実はね……────」
「ええ!? 親にまだ言ってない!?」
「う……うん……」
なんてことだ。一応しっかり者の橘のことだ。なんやかんやで親を説得して、同棲を認めてもらっているのだと思っていた。
「じゃ、じゃあ……親にはなんて?」
「いや、お母さんには話したのよ? ちゃんと話したら分かってくれた。でも……お父さんは……」
「お父さんはお前が今誰と暮らしてると思ってるんだ?」
「同性の友達の下宿に泊まっていることに……なってるわね……」
まずいぞ……同性と同棲……やかましいわ……そうじゃなくて。これ、本当のこと言ったら俺の印象最悪では? とても許してもらえるとは……。どうせぇっちゅうねん……だからやかましいわ……。
「そういや橘のお父さんってさ……」
「ええ……警察官よ……しかもかなり昭和のね……」
……うーんと。つまるところ詰んでない? チェックがメイトしてない?
昭和を生きる正義の権化みたいな人に、こんな結婚を認めてくれるとは到底思えないんだが……。
「そ、そうだ! お父さんには悪いけど、このまま秘密にして、お母さんのサインで誤魔化すっていう手はどうだ?」
「もうそれしかないわね……ちょっと電話かけてもいいかしら」
「どうぞ……」
スマホを取り出し、彼女はお母さんと思しき人に電話を掛ける。
「あ、もしもし。久しぶり、琴葉よ。うん、元気。ママは? ……そう。それでね────」
橘、家ではお母さんのことママって言うのか。でも友達の前ではお母さんって言ってるんだな。橘の意外なお可愛いところを知って、一人ほくそ笑んだ。スーパーでの不審者である。
「────うん、じゃあまた連絡するわ、うん、わかってる。じゃあね」
電話を切った橘の顔は青ざめたままだ。
「あの、一瀬……」
その滅茶苦茶申し訳なさそうな顔で、結果はなんとなく分かった。
「お母さんにちゃんとお父さんに話せって……」
「まぁそうだろうなあ」
「そ、それと……」
「ん?」
「今度二人でお父さんに挨拶しに来なさいって……」
「えっ、えええええええ────────!?」
「本当ごめん!」
橘が頭を下げ両手を合わせる。
「な、なんで」
「やっぱお父さんに話すならちゃんと会った方がいいってお母さんが」
「いやそこはもうママでいいけど」
「むう、恥ずかしいから言わないの」
軽くからかったつもりだったが、思いのほか顔を赤くしてくれた。
橘も年頃の女の子みたいな所があるんだな。主婦みたいなのに。
「悪い悪い。……はあ。まぁ確かに結婚だもんなぁ、傍から見たら。いや傍から見なくても結婚ではあるんだけど……」
仕方あるまい。これは腹を括らねばならぬ時だということだろう。
正直、一度顔を合わせたことがあるが橘の父親はとても怖い。強面なのだ。それに、娘思い。俺は八つ裂きにされるのではないだろうか……。
「それじゃあ一瀬、よろしくねっ」
「なんでお前が他人事なんだよっ!!」
俺はウインクする橘の肩に全力でツッコんだ。
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