9.剣鬼と青春の学園祭

 衝撃的なかぐや姫の独唱から、『SF竹取物語』本編がついに始まる。


《これは、私達が知るかぐや姫ではない。されど、切ない恋物語である》


 亜依のナレーションが始まると、美優の遠隔操作によって舞台の真上にある3Dプロジェクターが起動し、青々とした竹林が舞台上に立体映像ホログラムとして投影された。

 そよ風に揺れる竹林を背景に、穏やかなBGMが流れ出す。


《竹取の翁の元に現れたかぐや姫。それはそれは、大層美しく、賢い娘であった》


 舞台中央に佇むかぐや姫。彼女を照らすスポットライトが徐々に暗くなり、やがて消灯する。


 背景が竹林から平安時代の街並みに切り替わり、庶民の黒いシルエットが無数に現れては、『ざわ……ざわ……』という字幕と共に、賑やかな喧騒の音が流れた。


《――しかし……何年、何十年たっても老いもせず、いつまでも若く美しいままの姿であるかぐや姫は、不老不死ではないかという噂がまことしやかに広まり、その噂はやがて帝の耳にも届く》


 寝殿造しんでんづくりの屋敷が投影され、その手前に智子が演じる帝と、その側近の絵里香、侍女の亜依が現れる。

「未だに、かぐや姫と不老不死を手にした者は、おらぬようだな」

 帝が威厳たっぷりに言うと、

「はい。それらを手中に収めんと、各地の貴族・権力者たちはこぞってあらゆる手を尽くしておりますが、かぐや姫の無理難題な試練に玉砕しております」

 帝の後ろで跪いた側近が、低頭して詳細を語る。

「無理難題、であるか……律儀なものよの。財と力を使い、実力行使で攫えば手っ取り早いだろうに」

「恐れながら、実力で攫おうにも、かぐや姫を匿っている竹取の翁によって、悉く阻まれているとのことです」

「ほう、竹取の翁か……それ程までに強いのか?」

「なにぶん、貴族たちにも面子がある手前、噂の域を出ませんが、一説によれば、鬼のような強さを誇るとか」

 解りやすく伝えるために、一言一句で区切るように意識してはっきりと台詞を回す役者たち。

「鬼か、面白い。鬼が相手ならば、そこに囚われた麗しき姫を救い出すことが、王道というものよ!」

 身勝手な台詞と共に帝は抜刀し(その際、シャキン! と効果音が付いた)、客席の方へ切っ先を向けた。

「兵を挙げよ! これより遠征じゃ! あの山を越え! その奥に潜む鬼を斬り捨て! 麗しきかぐや姫に、我が愛を示してみせよう!」

「ははっ」

 側近は立ち上がり、素早く舞台袖に消えていく。

「絶世の姫君に、不老不死……その全てを、この帝が頂く!」

 屋敷の風景と帝を照らしていたライトが消え、舞台には侍女だけが残される。そしてナレーターも務める彼女は、物語を進行していく。


《こうして帝は、かぐや姫を手中に収めようと、選りすぐりの兵士たちと共に遠征を始めた。朝早くから屋敷を出て、荒れた山道を越え、流れが急な川を越え、険しい谷を越え、ついに竹取の翁が住まう家に辿り着く。

 いつしか、日は沈み、夜を迎えていた。夜空には大きな満月が浮かび、その優しい光が夜の竹林を静かに照らし出す》


 その言葉通り、満月に照らされた夜の竹林が背景として投影された。鈴虫やフクロウの鳴き声、遠くから野良犬の遠吠えまでもが聞こえる。

 そこに、内藤新之助を中心とした男子生徒三人が演じる足軽隊が、舞台左手から現れた。

『かぐや姫の前に、まずは目障りな竹取の翁を捕えよ! 歯向かうものならば斬り捨てぇいッ!』

 姿は見えないが、帝の声が響き渡る。

 足軽三人は互いに顔を見合わせると頷き、左腰の刀に手を添えて反対側の舞台袖の方へ消えていった……と思いきや、三人とも抜刀して構えた状態で後退あとずさる。

 舞台右手から、クロガネが演じる竹取の翁が現れた。同時に、臨場感を煽るようなBGMが流れる。

 主役の登場に、客席に座る一部の生徒たちが『おおっ』と歓声を上げる。この後、翁が最大の見所である戦闘シーンで活躍することを知っているからだろう。

 白髪頭の竹取の翁はうぐいす色の着物を着込み、顔には能楽でお馴染みの『翁の面』を被っている。そして手には、抜き身の刀が握られていた。

 ゆっくりと、隙のない動作で舞台中央に進み出た翁を、足軽たちは取り囲む。そしてBGMのサビがピークに達した頃合いを見計らい、

「「「やぁあああッ!」」」

 三人は刀を振り被った――瞬間、刀を逆手に持ち替えた翁が身を翻す。


 ズバッ! ビシュッ! ザンッ!


 一瞬三斬。まさに早業だ。

 斬撃の効果音を伴って、照明の光が反射する刀を三人の首に走らせた。

 一部の観客が息を呑み、思わず腰を浮かせる。

 勿論、紙一重で当てていないが、「真剣で本当に斬ったのでは?」と思わせるような鋭い太刀筋だ。初見でも、翁の動きと技術が素人ではないと解る程に。

 翁が残心すると同時にBGMがキリの良い所で止まった。

 そして動きを止めた足軽三人を照らすライトが消えた途端、彼らはその場に崩れ落ちた。瞬殺された足軽役の三人は暗闇に紛れ、中腰の姿勢でいそいそと舞台袖に退場する。

 刀を勢いよく振り下ろす効果音を伴って、血払いをする翁。

 そこに帝が現れ、声を張り上げた。

「流石だな、竹取の翁よ! どうやら噂通り腕が立つようだ! どうだ? 我が軍門に下らぬか? その力を我のために振るい、かぐや姫を差し出すのであれば、見返りとして相応の褒美を与えよう!」

「断る」

 翁の拒絶に、伸ばしていた手を下ろした帝は、「ふんっ」と気分を害したかのように鼻を鳴らした。

「ならば、ここで朽ち果て、かぐや姫を奪われる様を見て後悔するが良い!」

わたくしに何用で御座いますか?」

 翁の後ろから、かぐや姫が現れた。

「おおっ! これはかぐや姫! 噂に違わぬ絶世の美女とは、まさに其方そなたのことだ! その美しさの前には、今宵の月も霞んで見えましょう!」

「お褒めに預かり、恐縮至極で御座います。それで、一体何用で御座いますか? 求愛ならば、謹んでお断り致します」


 ガーン! という効果音と共に、


《いきなりフラれる帝》


 とナレーションが入り、会場内のあちこちで、くすくすと笑い声が零れる。

「……では、其方が持つ秘密を教えて頂きたい!」

「秘密とは、何で御座いましょう?」

「知れたこと、不老不死のことだ!」

 かぐや姫は露骨に嫌そうな表情を見せる。

「かぐや姫よ! 其方のその百年も変わらぬ美しさは我が耳に届いております! いつまでも老いもせず、病に侵されず、永遠にこの世に留まることが許される手が存在するのであれば! 何卒、この帝に不老不死を授けてくれまいか!」

「……まだ求愛の方がマシで御座いました」

「では!」

「お断りです」


 ガガーン! という効果音と共に、またもフラれる帝。


《不憫》


 ボソっと呟くナレーションに、またも笑いが起こる。

「ならば致し方ない! 其方を守る竹取の翁を討ち、力ずくで其方と不老不死を手に入れて見せましょう! おい!」

「ははっ! 先生、お願いします!」

 帝に促された側近が、一人の剣士を呼び出す。

 左腰の刀に手を添え、隙のない身のこなしで舞台に現れたのは、長身の男だ。動きやすさを重視したのか、防具は籠手こて脛当すねあてのみで、胴は着けていない。先程の足軽よりも軽装だ。

「この者は、鬼のように強い竹取の翁を斬れると聞いて、我が軍門に下った国一番の剣士だ! 潔く我のものにならなかったことを後悔するが良い!」

 舞台袖に引っ込む帝と側近。

「どうか、ご無事で……」

 憂いを帯びた表情と言葉を残し、かぐや姫も反対側の舞台袖に引き下がる。

 舞台に残されたのは、竹取の翁と最強の剣士のみ。

 ついに訪れた頂上決戦。

 二人は無言で対峙する。

 剣士は刀の鯉口を切り、静かに抜刀した。対する翁も刀を正眼に構える。

 じりじりと互いに間合いを詰め、その緊張感が伝播したのか、観客も固唾を呑んで見守る。

 やがて、互いの切っ先が重なる一足一刀の間合い――瞬間、二人は同時に動いた。

 初手、いきなり心臓目掛けて刺突を放つ翁。

 それを剣士は切っ先でいなしつつ刀を振り被り、面を打ち込む。

 いなされた方向に翁は身体を回転させてこれを躱し、遠心力を乗せた横薙ぎの一撃を剣士の背中に入れようとする。

 剣士は振り抜いた刀の峰に右手を添えて振り向いた。変則的な逆風さかかぜ(真下から斬り上げる技)で翁の斬撃を受け取めると、両者はそのまま鍔迫り合いになる。

 一見、ただの力の押し合いに見えてその実、刀と手と重心の位置を奪い合う絶妙な駆け引きを幾度も繰り返す。

 やがて、拮抗すると踏んだ両者は同一のタイミングで後ろに跳び、距離を取った。

 ズサァ……と地面を滑る効果音と共に、どこかで聞いたことのある三味線ロックが、BGMとして流れ出す。

 剣士は八相の構えを取り、対する翁は脇構えを取った。

 呼吸を整え、息を止める。再び同時に仕掛ける。

 剣士は上から、翁は下から刀を振るった。

 互いの剣を全力で打ち付け合い、剣戟の音をなびかせ、両者は舞い踊る。

 そこから先はどちらが振るった斬撃なのか、リアルタイムで音響も担当する美優以外、誰の目にも追い付けなくなる。

 返す刀で振り下ろした刀を流し、逆襲するも、躱され、即座に切り返す。

 振り下ろす――弾く――切り返して薙ぐ――受け流し――即座に反撃――躱された面を刺突に軌道変更――いなされる――反撃――弾く――弾かれ――切り返し――振り下ろす――……

 両者は目まぐるしく繊細に立ち位置を変えながら、相手の太刀筋と動きを読んでその都度対応し、必殺の一撃を放つ――その繰り返しだ。

 激しく飛び交う銀色の閃光。

 速く、鋭く、そして激しく振るわれる二振りの刀。音響は元より、その刀身に照明の光が反射して殺陣に更なる彩りを加える。

 いつか見たオーディションの光景――否、あの時以上に鬼気迫るものを観る者すべてに感じさせる。

 これはもはや演技ではない。まさに、本物の真剣勝負だ。

 観客たちは皆、手に汗を握って前のめりになり、瞬きも忘れて彼らの一挙一動を食い入るように見入っていた。この一戦を、僅かでも見逃さないように。

 袈裟懸けに振り下ろした翁の刀をいなしつつ、剣士は肩から体当たりを仕掛ける。

 翁はその場で踏ん張るも、体格差で押し負けてしまい、体勢が僅かに崩れた。その隙を逃さず、剣士は翁を更に突き飛ばして刺突を放つ。咄嗟に打ち払ったものの、剣士は返す刀で上段から唐竹からたけ(真上から斬り落とす技)を放った。

 不安定な体勢では、その重い一撃を受け止め切れず、翁は刀を落としてしまう。

 観客たちが息を呑む。「ああっ」と思わず悲鳴を上げる者も居た。

 トドメとばかりに剣士は刀を振り被り、翁は咄嗟に左腕を掲げて盾にした。


 ガキィンッ!


 効果音ではない、本物の金属音が会場内に響き渡る。

 剣士が本気で放った袈裟斬りを、翁の左腕が受け止めたのだ。

 剣を引き、油断なく正眼に構えて剣士は距離を取る。

 翁は衣装の左袖を右手で掴むと、力任せに引っ張った。

 ビリッと音を立て、左袖が肩口から剥がれ落ち、その下に隠されていた鋼鉄の義手が露わになった。

 会場内に、どよめきが起こる。



 ***


「よしっ」

 観客の予想通りの反応に、絵里香がガッツポーズする。

「上手くいったねっ」

 智子が声を弾ませた。

「……うん、よかった……」

 亜依も嬉しそうに頷く。

 舞台袖に控えていた文化研究部の三人娘のアイデアで、【竹取の翁】の衣装にはあるギミックが施されていた。

 それがマジックテープで仮止めした左袖であり、【最強の剣士】との戦闘シーンの途中で、袖を引き千切る演出を取り入れたのだ。

「……後々の展開で明らかになる竹取の翁の正体、その伏線があの義手……」

「採寸の時に思い付いたネタだけど、やって良かったわー」

「むしろ、翁の役がクロガネさんだからこそ、出来た設定だったけどね」

 いよいよクライマックスだ。

 戦闘シーンのアクションはクロガネと新倉に一任しているため、この後どういう展開になって次のシーンに繋げるのか……それは文化研究部の誰一人として知らない。

 初見の観客同様、一同は期待を胸に、戦闘シーンの再開を待つ。



 ***


 コバルトブルーに彩られた電子の海にて。

「流石に骨が折れますね……」

 人魚の姿を模した美優の情報体は、光のハープを激しく弾いていた手を緩めた。

「お二人のアクションが速すぎて速すぎて……私じゃなかったら、効果音もまともに付けられませんよ、ホント……」

 誰に言うともなくぼやいた。

 このハープはネット回線を通じて才羽学園の音響と照明設備とリアルタイムで同期しており、弦の一本一本が各機材と連動している。

 つまり、舞台の照明から立体映像の投影による背景、BGMや効果音などの音響の操作も全てこのハープを『演奏』することで行っているのだ。

 しかも、弦を弾く際の微妙な力加減一つで、各機材の操作が変化するため、美優のAIでも繊細な技術が要求される。

 ハッキリ言って、これは美優以外には出来ない芸当だ。人間では絶対に不可能な並列処理マルチタスクを、彼女は「ちょっと大変」程度でこなしているのである。

「いよいよクライマックス……私の反応速度集中力も研ぎ澄まされて来ました。いつでも何でもドンと来いです。クロガネさん、新倉さん、頼みましたよ……」



 現実世界では、機械仕掛けのかぐや姫。

 電脳世界では、電子の人魚姫。


 どちらも同一の存在でありながら、異なる二つの世界を同時に認識し、異なる思考と動作をそれぞれ行っている。

 

 かぐや姫は仲間たちと共に、舞台を舞う。


 人魚姫は広大な電子の海で独り、ハープの音色を響かせた。



 ***


 丸腰になった竹取の翁――クロガネは、翁の面を外した。

 義手を晒した時とはまた違う意味でのどよめきが、会場内で起こる。

 ……面を外したのは、台本通りだ。竹取の翁の正体は、年若い青年――役者としてではなく、実際にそういう設定なのである。

「なんと!?」

 智子が演じる帝が、再び舞台に現れる。

「竹取の翁と言うからには、年老いた老いぼれかと思っていたが、その鉄の腕といい、まさか貴様も不老不死なのか!?」

 その台詞に、観客も『翁の面』を外したのは演出であることに気付いたようだ。

「いいや」

 クロガネはゆっくりと首を横に振り、否定する。

「俺は、寿の薬を飲んだ、ただの人間だ」

「何? 不老不死ではないのか?」

 戸惑う素振りを見せる帝に、かぐや姫が現れた。

「その者は、故郷へ帰る術を失ったわたくしをずっと守るために、不完全な蓬莱ほうらいの薬を飲んでしまった、この星の者です」

「蓬莱の薬……それが不老不死を叶える薬であるか」

「いかにも」

 肯定するかぐや姫に、帝は問い掛ける。

「不完全、とは?」

「この星に生きるもの全てには、寿命という『呪い』が蔓延しています。それは蓬莱の薬すら蝕み、不完全なものへと変えてしまったのです。つまりは飲んでも不死にはならず、老いの進行を引き延ばすだけの薬となってしまいました」

「なんと……」驚愕する帝。

「ゆえに、あなた方が追い求める不死の薬など、もはやこの世に存在しません」

「では、その鉄の腕は?」

 帝がクロガネの義手を指差す。

「それは、わたくしが造ったものです。ある貴族が私に狼藉を働いた際、私を庇って斬り落とされた腕に代わり、返り討ちにした貴族の刀や鎧を溶かして造りました」

「なんと! そのような話は見たことも聞いたこともない! かぐや姫、其方はいったい何者ぞ?」

 驚愕した帝の問いに、かぐや姫は夜空に浮かぶ月を見上げ、手を伸ばす。

わたくしは、あの月で造られたアンドロイド……あなた方『ヒト』の理解には遠く及ばない知識と技術を有したカラクリ人形、それが私で御座います」

 衝撃の真実と共に、タイトル通りSFっぽくなってきた。

「そして、やんごとなき事情でこの地に降り、帰る術も失ったわたくしを匿い、守って下さったのが、ここにいる【竹取の翁】と呼ぶ者で御座います」

 言葉を失う帝に、かぐや姫は凛然と言い放つ。

「これまで百年もの間、わたくしに求愛を申し込む者が後を絶ちませんでした。ですが――」

 言葉を切ると、振り向いたクロガネと目が合った。

わたくしが身も心も全てを捧げ、仕え奉る伴侶は、この者だけなのです」

 クロガネを見つめるかぐや姫の表情は憂いを帯び、観客の一部からは切ない溜息が漏れる。

「不老長寿の薬も、効き目は精々百年の時を延ばす程度。この者はすでに百年もの時を生き、わたくしを守って下さりました。せめて、残された時間を静かに、共に過ごしたいと思う素朴な願いさえ、あなた方は叶えてくれないのでしょうか?」

 かぐや姫の悲痛な願いを、帝は聞き入れるのか否か。

 帝の答えは――

「例え不死でなくとも、百年も生き長らえるのであれば、充分に価値あるものだ! 竹取の翁もじきに死ぬとあらば、まさに願ったりである!」

 悪役、ここに極めり。

 最低の答えに、客席からはブーイングを出す者も居る。完全に物語にのめり込んでいる証左だ。

「そしてかぐや姫、其方も手に入れる! 例え人ではない人形だとしても、其方は千の財宝よりも遥かに価値あるものであろう!」

「お断りで御座います。我が伴侶は、生涯にただ一人」

「ならば! その者を斬り伏せ、新たな伴侶の座に我が着こうぞ!」


《だが、戦うのはお前ではなく、そこの剣士である》


 的確なツッコミを入れるナレーションに、会場が笑いに包まれる。

「行け、我が剣よ! 我が恋路を阻む者を斬り捨てよ!」


《まずは、お前の腐った性根を斬り捨てろよ》


「やかましいわッ!」

 ナレーションと帝による突然のコントに、爆笑する観客たち。


「翁……どうかご無事で。必ずわたくしの元へ帰って来てくださいまし」

「御意」

 一方で、かぐや姫側は終始シリアスだ。その帝側とのギャップが、逆にシリアスな笑いを誘う。

 帝とかぐや姫はそれぞれの舞台袖に引っ込むと、クロガネは最強の剣士――新倉と再び対峙する。

 そして、クロガネは懐に手を伸ばし、ある物を取り出した。



 ***


「えっ、ちょっと何あれ?」

 舞台袖に控えていた絵里香が目を疑った。

 クロガネが取り出したのは、

「ナイフ? 刀じゃなくて?」

 智子も戸惑った声を上げる。

 それはやや大振りで、柄にナックルガードが備わったトレンチナイフだ。

「……あれは確か、新倉さんが持ってきた刀と一緒にあったナイフだ……」

 亜依が確信する。

 クロガネはナイフを右手の中でくるくると回転させ、逆手に構えた。左の義手も上げて、ファイティングポーズを取る。

 対する新倉は、攻撃的な八相の構えを取った。

 彼我の距離は六メートル程。

 ナイフにリーチで勝る刀でも、少し遠い間合いである。


 だが次の瞬間。

 二人の間合いは一気にゼロとなる。


「えっ」 


 会場内に居た全員――美優ですら虚を突かれ、反応が遅れた。

 二人の真剣勝負は、さらに過激さを増す。



 ***


 戦いの極意は、でしかない。


 静止した状態から最速の始動へ瞬時に移行する。自身が引き出せる最高速度を以て、眼前の敵を討つ。単純な筋力に任せた動きでは遅い。破壊力を生み出す『溜め』の動作に余計な時間を費やしているからだ。

 互いの距離と位置。手にしている武器。身長と体格。視線。呼吸。リズム。

 思考はシンプルに。合理的で必要な情報のみを抽出。

 無駄な動作を極限にまで削ぎ落とす。

 早く、速く、迅く。

 迅速かつ確実に、息の根を止める。


「――!」

 訓練用とはいえ、かつて愛用していたナイフを手にしたことで、身体は本来の戦い方を思い出し、思考がシャープになる。

 相手がかつての戦友とはいえ、本気で自分を殺す気であるのなら、油断も妥協も手加減も一切不要。全力で迎撃し、圧倒し、殲滅する――それが、の共通認識だ。


 『無拍子』で技の気配を消し、『縮地』で一気に距離を詰めたクロガネと新倉は、舞台中央で激突した。重い剣戟の音と共に重なった刃は、滑るように離れた。

 互いに得物を手元に引き戻すや否や、順手に構えたナイフを新倉の大腿部――大動脈を狙って一閃。摺り足で後退した新倉がこれを躱し、クロガネの脳天目掛けて刀を振り下ろすも、刀身の側面を義手で払って軌道を逸らせ、今度は喉元目掛けてナイフを突き出す。

 新倉は払われた刀を即座に引き戻し、柄頭でナイフを持つ前腕を突いた。今度はクロガネの攻撃が逸らせられる。

 そのままクロガネの右頸動脈に刃をあてがおうとするも、柄を握る右手を義手が掴んで押し返す。そしてクロガネは間合いを詰め、新倉の腹に膝蹴りを喰らわせた――寸前で、新倉は後ろへ跳んでダメージを半減させつつ、首を狙った横薙ぎの一閃を繰り出す。

 クロガネは膝から脱力して前のめりに躱すと同時に地を蹴り、追撃を仕掛けた。膝を柔らかく使った回避運動と同時に得た推進力で、一気に新倉との間合いを詰める。

「!」

 だがこの時、新倉の左手にはいつ抜いたのか、刀の鞘が握られていた。

 右手の刀と左手の鞘から放たれた連撃を、クロガネもトレンチナイフのナックルガードと鋼の拳で迎え討つ。

 両者はその場で足を止め、激しい打ち合いを演じる。

 リーチと一撃の重さには新倉の刀が、手数と小回りの良さはクロガネのナイフと拳がそれぞれ勝っている。

 こと乱打戦になれば、手数で圧倒できるクロガネに分がある筈なのだが、新倉は互角以上に渡り合っていた。

(こちらの間合いが、遠い……!)

 ナイフと拳が届かない、刀に有利な間合いだ。新倉の懐に飛び込む前に打ち合う羽目になってしまった。加えて――

(この、馬鹿力め……!)

 一太刀一太刀が、悉く重い。両手で扱うことが前提である刀を、新倉は軽々と片手で操っているのだ。単純な身体能力だけでなく、技術力も凄まじい。一太刀ごとに『手の内』を入れて斬撃の威力を上げていることからも、新倉がどれほどの鍛錬を積み重ねてきたのか、相対しているクロガネには解る。


 ……二人の顔色が悪い。

 互いに致命的な隙を見せないよう、無呼吸状態での連撃を高速で繰り出しているのだ。酸欠でどんどん顔色が悪くなってきている。

 どちらかが先に、少しでも呼吸しに打ち込みを緩めた方が負ける。

「――――!」

 クロガネは『生存の引き金』を発動した。目に映る世界が色褪せ、時間の流れが緩やかになる。


 義手の人差し指と中指を伸ばし、その間に振り下ろされた刀を挟み止める。

 指二本による、真剣白刃取り。

 続いて振り下ろされる鞘の鯉口を、右足のつま先で蹴り上げた。

 新倉の手から、鞘がすっぽ抜ける。

 そして、蹴り上げた反動を利用して上体を逸らし、続く左足で放った月面宙返り蹴りムーンサルトキックが、狙い通り新倉の手から刀を弾き飛ばす。

 頭上でくるくると、刀が宙を舞った。


 ――『生存の引き金』の効果が切れた。


 綺麗なバク宙を描いて着地したクロガネは、新倉に向かってナイフを投げた。

 投擲されたナイフを、両手で挟み止める新倉。こちらも白刃取りを披露する。

 そして、頭上から落ちて来た刀をクロガネがキャッチした。

「おおっ」と観客たちが歓声を上げる。

 互いの得物を交換して構えるクロガネと新倉。汗だくで、肩を上下させて荒い呼吸を繰り返す二人は、意識的に息を整える。

 落ち着いた頃合いを見計らい、二人は刃を自分の方に向けて刀身を持ち、柄を相手に向けて歩み寄る。本来の持ち主にそれぞれの武器を返した二人は、再び距離を取った。


 仕切り直し……否、次が両者ともに最後の一撃である。


 クロガネは右半身をやや前に出し、右手に持ったナイフを左腰辺りに添えて僅かに身を沈める。その構え方は、まるで居合のようだ。


 対する新倉は、刀を上段に構えた。剣の奥義の一面は、その太刀行きの速さであるという。剣は瞬速、二の太刀要らず。振り被った初太刀を、ただ振り下ろすのみ。


 『動』から一転、『静』へ。


 ……ごくり。

 ついに、決着の時が訪れたことを自然と悟った観客たちは、固唾を呑んで勝負の行方を見守る。

 緊張感を煽るBGMが、徐々に盛り上がっていき、最高潮ピークに達した――瞬間。


 世界が無音となる。


「「!」」

 クロガネと新倉が同時に踏み込み、互いの刃を振り抜いた。

 二つの影が交錯し、擦れ違った二人は背中合わせのまま動きを止める。

 やがて、クロガネが先に片膝を着くと、観客たちは「まさか」と身を乗り出した。

 だが、次いで新倉が両膝を着き、ばたりと前のめりに倒れると、所々で観客たちは止めていた息を吐き出した。


「翁っ!」

 慌てた様子でかぐや姫が飛び出し、翁にしがみつく。


《ついに、【竹取の翁】と【最強の剣士】の頂上決戦は終わりを迎えた。だが、凄まじい死闘の末、竹取の翁は勝利するも致命傷を負ってしまう》


 亜依のナレーションに続き、帝が側近と共に現れ、二人に迫る。

 かぐや姫は瀕死の翁と共に、舞台袖に消えた。帝と側近もその後に続く。


 舞台が暗転し、新倉が退場すると、物悲しいBGMが流れ出す。

 やがて、背景に激しく燃え上がる翁の家が投影された。

 舞台中央に現れた翁とかぐや姫を、立体映像の炎が取り囲む。

 翁がその場に崩れ落ちた。

「翁……ああ、……」

「すま……な、……い……かぐ、や……」

 息も絶え絶えに、朦朧とした様子で義手を伸ばした翁は、必死に言葉を紡ぐ。

「守ると……誓った、の……に……」

 かぐや姫は伸ばされた義手を掴み、自身の頬に当てる。

 それはまるで「私はここに居ます」と、示すかのように。

「……良いのですよ、あなた。人ではないわたくしと、共に生きる道を選んでくださって、今まで守ってくださって、私は……私はとても、幸せで御座いました」

 翁を膝枕するかぐや姫の声が、涙ぐみながらもとても優しく、慈愛の感情が込められている。

 二人の迫真の演技に、感極まって涙する観客が現れ始めた。

「もう、充分です。だから、ゆっくりと休んでください……」

 やがて、かぐや姫の頬に伸ばした義手が落ち、竹取の翁は息を引き取る。

 燃え盛る炎の中、翁の亡骸を前に俯くかぐや姫。

 そこに、帝が現れる。舞台の上ではなく、観客席側の中央通路に立った帝に、スポットライトが当てられる。舞台を境界線として、炎上する家と安全地帯を演出したのだろう。

「かぐや姫よ! そこはもう危ない! 早くこちらに!」

 焦った様子でそう呼び掛ける帝に、かぐや姫は首を横に振って拒絶し、翁のナイフを手に取った。

「かぐや姫!? 何をするつもりだ!?」

「……わたくしは、誰のものでもない」

 感情のない声音でそう言うと、両手でしっかりとナイフを持ち、その切っ先を自身の喉に向ける。


 そして――


「我が生涯の伴侶は、ただ一人!」

 心の底からそう告げると、ナイフを自身の首に突き立てた。

 思わず息を呑み、あるいは悲鳴を上げる観客たち。

 竹取の翁に折り重なるようにして倒れたかぐや姫は、激しく燃え盛る炎に包まれた。


 舞台が暗転し、翁とかぐや姫がそそくさと退場する。

 やがて、離れた位置から炎上する翁の家が投影された。

 静かに舞台に上がった帝の背中が、観客たちの目にはどこか物悲しく映った。


「不老不死など、願うものではなかった……」

 帝が、嘆くように言った。

「この世で最も美しく、尊い存在は、決して手が届かぬ所へ行ってしまった……」

 背景が、立ち昇る煙に沿って垂直に移動し、やがて大きな満月を映し出す。


《……竹取の翁とかぐや姫……炎に消えた二人の魂は、立ち昇る煙に紛れて天を上り、月へと還った……》


 感慨深いナレーションで締めくくると、帝を照らすスポットライトの光量が徐々に落ちて、やがて消えた。

 月の映像も、静かに消える。

 そして会場内が暗闇に包まれると、ここで再びジャズのスタンダードナンバーが流れ出した。

 曲は冒頭でも流れた『Fly Me to the Moon』。


《……これで、文化研究部による『SF竹取物語』は、以上となります。ありがとうございました!》


 大きな拍手が会場内に巻き起こった。

 軽快なBGMと拍手の中、舞台上にスポットライトを当てられた出演者たちが次々と現れ、舞台最前列で横一列に並ぶ。

 全員が繋いだ手を頭上に掲げて、

『ありがとうございました!』

 一斉に頭を下げた。

 拍手が更に一際大きくなり、大歓声が上がる。

 顔を上げて見れば、観客たちは皆スタンディングオベーションをしていた。

 その最大級の称賛に、文化研究部の面々は顔を綻ばせ、ある者は感極まって涙を流した。




 こうして、美優が受けた依頼――廃部の危機にあった文化研究部、その最後の活動にして最高傑作と言っても過言ではない演劇は、大成功という結果で幕を閉じた。



 そして、今年の才羽学園・学園祭のMVPに文化研究部の『SF竹取物語』が選ばれ、以降十年以上もの間、学園の『伝説』として語り継がれることになる。

 当然というべきか、懸念されていた廃部の話は撤回された。


 余談だが、文化研究部は来年以降の入部希望者が増えていき、彼ら彼女らの手によって、また新たな『物語』が紡がれることになるのだが、それはまた別の話だ。

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