第28話 笹川さん

「最近、笹川さん、来ませんね。」

僕は芝居小屋で松尾さんに聞いた。

松尾さんは流石に人力車を引いているだけあって、足腰がぼくの3倍位大きく、

胸周りもがっしりとしている。

平成・令和時代であれば、ラガーマンか、プロレスラー言ったところか。

「そ、そうですね。ど、どうしたのかな。は、八兵衛さん、し、知ってます?」

松尾さんはいわゆる吃音なので、どもりながら話す。

「知らねぇな」八兵衛さんは吐き捨てるように言う。

この二人の話のスピードが全く違うので、よく二人で会話になるもんだ、といつも思っている。

「あ、でもよ」八兵衛さんが思い出したように言う。

「この間、蕎麦屋のおやじにあったらさ、上機嫌だったんだよ。それでさ、

あんまりにも上機嫌だったから、蕎麦でもおごってくれねぁかな、と思って

話かけたんだ。したらさ、こんど店を引っ越すって言ってたわ。」

え?店を引っ越す?

「それって、今の裏参道から離れるってことですか?」

思わず、大声で聞いてしまった。

「わぁお、でけぇ声だな。そうなるな。」

「ど、どちらの、ほ、方に引っ越すんですか」

「詳しくは知らねぇけど、表参道の方みてぇだぞ。これからは客が沢山くる、って

蕎麦屋のヤツ喜んでたから。」

「じゃ、笹川さんも一緒に?」

「だからそれは知らねぇって。俺があったのは蕎麦屋の主人の方なんだから。」

「は、八兵衛さんも、さ、笹川さんに、あ、会ってないのかい」

「そうなんだよな。どこに消えちまったのかね。千代町娘の応援はもう飽きたのかねぇ?

困ったもんだな、な、陣内ちゃん。」

確かに困ったもんだが、真面目な笹川さんが挨拶もなく、いなくなるとはちょっと

信じられない。

何事も無ければいいのだけれど。何かヤバい気がするなぁ。


 * * *


僕らの噂話を聞いたかのように、久々に笹川さんが千代町娘の公演の手伝いにやってきた。

「笹川さん、久しぶりじゃないですか?」

「ど、どこに、い、行ってたんですか?」

「何か、一人でいいとこ行ってたんじゃないだろうな、おい」

僕・松尾さん・八兵衛さんの3人が口々に言うが、

笹川さんは「スミマセン」と言ったきりで、黙々と公演の準備をしている。

八兵衛さんの「ま、男には言えないことがあるもんだよな」の一言で何となく

その場は終わってしまった。

公演時間が近くなって、千代町娘の5人がやってくる。

彼女たちも口々に、

「あー、笹川さん。どこいってたの?」

「さびしかったのよ」

などと話しかけるが、

笹川さんは相変わらず愛想笑いをしながら、「すまん、すまん」というだけだった。

公演中は僕らはいつも観客と一緒に、叫んだり、拍手をしたり、飛び跳ねたり

して盛り上げている。

笹川さんは、最初は何となく居心地がよくなさそうだったが、

八兵衛さんが、

「おい、笹川、もっと声だせよ」というと

「小春~」とか「五月~」とかいつものように大声で声援をかける。

お客が拍手をしながら盛り上がってくるのが分かると、笹川さんも

僕らも大熱狂で騒ぎまくった。

公演が終わると汗だくだ。

千代町娘よりよっぽど動いているのかしら。

いや、歳のせいで体力がもたないだけだけど。

僕らがはぁ、はぁ、と肩で息していると

笹川さんが「やっぱり千代町娘はいいな」と言う。

「あ、当たり前だよ。い、今更なに、い,言ってるんだ」と

松尾さんが応える。

僕らは心地いい疲れと一体感で最高の気分だった。

突然、笹川さんがすくっと立ち上がり、僕らの方を向く。

なんだ?

笹川さんは、腰を90度位に折り、頭をさげ、

「ありがとうございました。本日で千代町娘のお手伝いをやめさせていただきます。」

そういうと、さっと踵をかえして、小屋から走りさってしまった。

えぇ?どういうこと?

あまりの素早さに追いかけることも出来ず、

僕らが顔を見合わせていると、公演を終え、着替えてきた千代町娘の5人がやってきた。

呆然としている僕らを見て、5人も不思議におもったのか清が聞いてくる。

「どうしたの?」

「笹川さんが、千代町娘の手伝いやめるって」

5人が口をそろえる。

「えー、どうして?」

どうして?

どうしてなんだろうね?

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