第26話 葵と父
葵は家族での夕食が終わり、父が晩酌を始めたタイミングで父に話しかけた。
「お父さん、お願いがあるんだけど。」
「何だ?そういえば、千代町娘か、お前の。あれは上手くいっているのか?」
葵の父親は百姓らしいごつごつとした手で、酒の猪口を持ち、徳利から酒を注ぎながらそう聞いた。
「うん。そのことなんだけど。秋になったら、お米が沢山とれるよね。」
「そりゃ、うちは百姓だからな。沢山とれないと困るよ。年貢だってあるんだから。」
「うん。そのお米、余ったのを千代町娘を観に来た人に配れないかかな?」
「何だ?どうして芝居を観に来た観客に米を配らないといけないんだ。」
「いや、配らないといけない、ということじゃないんだけど、観に来てくれた人に
感謝の気持ちを表したいのよ」
「芝居見て、米をタダで貰えるんじゃ、ワシも芝居を見に行きたいわ。」
「え、じゃ、いいの?」
「良い訳なかろう。ワシの米はタダで配ってやるようなもんじゃない。1年間かけて
精魂込めて作っとるんじゃ。なして、その米をタダで配らなあかんのじゃ」
「そういうことじゃないんだけど。小春ちゃんも、五月ちゃんも、咲ちゃんも
家の仕事で千代町娘を盛り上げたりしてるから、ウチもなんか出来ないかなって…」
「あん?何を言ってるんじゃ、葵。お前を貸し出して、歌って踊らせて、何で更に
米まで差し出さんといけんのじゃ。」
葵の父親はぐっと杯を空ける。そして大声で葵に吠えた。
「そんなんなら、千代町娘なんて辞めてしまえ!」
父親の大きな声に、葵は驚き萎縮したように身を小さくして
「スミマセン」と小さくつぶやくと台所の方に身を移した。
葵の父親はぶつぶつと言いながら、不味そうに酒を飲み続けた。
* * *
葵が父親に怒られた翌日。
清が団子屋の掃除をしていると、浅黒い顔の男がやってきた。
どこかで見たような気がする。
「陣内さんはいるかい?」
野太い声を聞いた瞬間に清は思い出した。
葵ちゃんのお父さんだ。
「はい、ちょっとお待ちください。」
葵ちゃんのお父さんが何で、陣内さんに話があるんだろう?
清はそう思いながらも、先日の陰口のことを思い出していた。
もしかしたら、葵ちゃんはあの時、私達の陰口を聞いていたのかしら。
それをお父さんに言ったのかな?
いや、でも、話が終わってから入ってきたんだし。
そんなことを思いながら、陣内を捕まえる。
「陣内さん。葵ちゃんのお父さんが来てます。」
「え、葵ちゃんの。葵ちゃんも一緒?お父さんだけかい?」
「ええ。お父さんだけです。」
「…うん。分かった。」
そう言って、陣内は立ち上がり、勝手口を出て、裏から団子屋の方に回った。
「あ、葵ちゃんのお父さん。ご無沙汰しております。」
「おう、陣内さん。いつも葵がお世話になっているな」
「いえいえ、こちらこそ。今日はどうされました?」
「あぁ。お前さん、葵を愛獲留か、その千代町娘だ。
あれに入れる時何といったか覚えてるか?」
「え、えーと」
「俺が儲かるのか?と聞いたら、儲かります、と言ったんだ。」
そういえば、確かにそんな会話があった。
あたしも一緒にいたから覚えている。
陣内さんは、最初は見習いだから儲からないけど、そのうち、みたいなことを言ったんだ。
「あ、そうですね。言いました。言いました。」
「で、どうなんだ。儲かるようになったのか?」
「えーと、徐々に、ですね。まだまだ儲かると言えるほどではありませんが。」
「そうかい。じゃ、娘はもう辞めさせるわ。」
えっ?
葵ちゃんのお父さんは、あんまりにもあっさりとそういったので、
私の方が驚いてしまった。
陣内さんも声を詰まらせてる。
「それは…、それはご本人の意思なのんですか?」
「ご本人?あぁ、葵か、葵にはまだ言ってない。後でワシから言う。」
「あの、お父さん。確かに千代町娘はまだ儲かっていないですし、今後も爆発的な
利益が出るとは、さすがに思えません。ただ、すごく人気も上がってきてますし、
何よりも葵さんは、千代町娘を楽しんでいると思います。
本人も辞めたくはないと思いますが。」
「楽しんでいる?葵がか。」
「はい。そう思います。」
「そこのねぇちゃんもそう思うか?」
そこのねぇちゃん、って私のことよね。
そりゃ、千代町娘は楽しいし、葵ちゃんも辞めたいなんて、思ってる訳…
「ワシは娘が楽しんでやっている、とは思わねんだ。楽しくない、儲からない、
ならやめた方がいい。そう思ってるだけだ。
あくまでもワシの考えだがな。」
やっぱり、葵ちゃんはお父さんに何か言ったのだろうか?
いや、そうじゃない。
葵ちゃんは何も言っていない。けど、お父さんは葵ちゃんの何かに気づいたんだ。
だから、辞めさせようと言ってきたんだ。
「わかりました。利益の配分については、検討します。もう少しお時間ください。」
陣内さん、そうじゃないんだよ。
それは葵ちゃんのお父さんの言い訳なんだよ。辞めさせるための口実なんだ。
「利益の配分ね。楽しみにしてるわ。ワシの思惑と合わなかったら、
娘はやめさせる、それでいいな。」
ほら。最初から思惑と合わせるつもりなんかないのよ。
でも。葵ちゃん、本当に辞めたいのかしら。
お父さんは本当に葵ちゃんをやめさせちゃうのかしら。
これは、千代町娘の一大事よ。
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