第二話・恩人

 僕、陽乃下湊には、感謝してもしきれない程の恩人が居る。

 その人は月下渚と言う男の子で、貴族なのに僕を虐めず、さり気なく虐めを中断させたり、泣き付いた僕に何も言わずに背中を撫でてくれたり、虐めから一週間が経って耐えきれなくなってきた頃にお父さんとお母さんを菊華に九年間出向させる形で僕も逃がしてくれたりと、様々な事をしてくれた。

 感謝も言えずにお父さん達に付いていって一週間が経過した頃、1枚の写真と手紙と男物の制服が届いた。

 差出人は僕を救ってくれた渚くんで、手紙には僕への執拗な謝罪と僕の高明学院への転校手続きが終了した事、御父様のよく詠唱している性転換魔法を詠唱したら中途半端に成功して女の子から戻れなくなったとの事だった。

 添付されていた写真は渚くんの面影を残した少女が写っていて、暗い青の瞳は右目が白く濁っていて、短く切り揃えられていた白髪混じりの黒髪は白髪の比重が増えて膝元辺りまで伸ばされ、左腕の手首を覆う右手の指の間からはよく見ると血が滲んでいた。

 返事の手紙を書こうとしたが血相を変えた両親に必死に止めろと懇願され、一年後にゴミ箱の中に渚君からの手紙が溜まっているのを見付けて両親に質問した時は今までに無く怒られた。

 渚君が準備してくれていた転校先の菊華の学院は平民に優しくがモットーらしく、虐めにあっていた私にとても手厚い対応を取ってくれて暖かい雰囲気だった。

 でもそんな学院生活も何処か虚しく感じ、九年経った先日ついに菊華から桜華へ戻ってきた。

 今日は秋霖学院で転校の挨拶をする日だ。

 渚君に渡された制服は僕の成長に合わせて大きくなるから今でもずっと使っている。

 魔法でしっかり汚れや匂いを落としているから綺麗なままだ。

「はい、今日は転入生を紹介します!陽乃下さん!どうぞ!」

 教室のドアの向こうから先生に呼ばれる。

 呼吸を整えて教室に入ると、最後列に一人で座っている少女と目が合う。

 年齢が一桁にも見える程幼い容姿と、殆ど白髪の中に少しだけある黒髪の隙間から覗かせる何処か虚ろなぐちゃぐちゃに濁った青い瞳と白く濁った瞳をした彼女は、僕が彼女を見た瞬間から明らかに狼狽えて肩で呼吸し始めた。

 私が何かしただろうか、と一瞬思ったが、よく思い返すと渚君が送ってくれた写真と特徴が酷似している。どうやらあれから殆ど成長していないらしい。

 左腕の手首を撫でているのはそこに刻まれているであろう傷を撫でれば落ち着くからだろうか。

「えー…陽乃下湊です。男みたいな格好してますが女です。宜しく」

 今まで僕を虐めてきた奴等も結構面影を残していて嫌気がさして少しぶっきらぼうに挨拶すると、渚君らしき少女が明らかに脅えて白い顔を青白く染め上げる。

「はい、皆仲良くしてあげてね?じゃあ、空いている席に座ってね」

「はぁ…解りました」

 虐めてきた奴の隣の席は嫌だと思いながら返事をして空いている席を探すが、見当たらない。

 渚君に聞けばいいかと思って近付くと、顔を逸らされる。

「ごめんなさい…今退きますから…」

 心配になって声を掛けようか迷っていると、少女が全ての荷物を持って左端に座り直した。

 少女の行動に少し悲しくなりながらも椅子に座ると、彼女が座っていた場所以外がひんやりとしていて驚く。

 この席までは木製の椅子だったから解らなかったが、金属製の椅子に座っていたらしい。

「ぅあ…痛っ!」

 だんだんと呼吸が落ち着いてきた彼女を眺めていると、不意に自分の右目に手を伸ばしたのであろう左腕が空を切って僕の首に伸びたので手首を強く掴む。

 転校前日の首絞めのトラウマが湧き出し、僕でも力を込めれば折れそうな程にか細い手首を強く握り締めてしまう。

「離…して…くだっ…さい…」

「…僕の首、絞めようとしなかった?」

 本当はすぐにでも手放して抱き締めたいが、親や友人に叩き込まれた事を反芻して大きな声でそう質問してしまう。

 彼女は考えてすらいなかったと言った表情を浮かべてだらりと全身の力を抜き、段々と充血してきた右目をガタガタと震わせて悟ったように微笑み、自分の首に右手を翳す。

 一瞬何をしようとしているのか理解するのを拒否して首を傾げてしまうと、彼女はぎりぎりと音を立てて自分の首を絞め始めた。

「んぐ…ぁ…ぎっ…」

 彼女の口から洩れた空気が潰れた音を出し、呼吸がピーピーと音を鳴らして酸素不足を訴える。

 相変わらず右目は赤く充血し、勢い良く尿を漏らす。

「ちょっ!渚君!?渚君!!」

 唯一変化が見られなかった虚ろな左目が閉じられたのを見た僕は急いで首を絞める右手を引き剝がしたが、対応が遅すぎたのか真っ赤に染まった右目が破裂して、僕に肉片と鮮血が飛び散ると同時に体の制御を手放した。

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