第四百六十一話 むかしばなし その2

 調律者という大層な役割を担った黒龍、グランシールですが、その仕事はシンプルなものでした。


 この大陸を循環する魔素が終着点とする場所に配置され、神が定めた量から溢れた魔素を喰らい、折を見て地に返すという……言ってしまえば空気清浄機の様な役割を長い年月に渡って担っていたのです。うん? そうそう、同盟軍基地の地下に設置した奴ね。室内の空気を吸引して浄化した後に吐き出すアレだよ……って、変なたとえしてごめんね。


 ごほん。話を戻します。


 10年、100年、500年……ただひたすらに魔素を吸っては吐く生活を送るグランシール。人里離れた地で与えられた仕事をひたすらにこなす日々。ただひとり、ひたすらに神から与えられた使命を熟すのです。


 それを、あの神は……知恵ある黒龍、グランシールに命じたんです――


 ――それがどれほど苦痛なのかを考えずにね。


 なぜ、そんな惨い事をするに至ったのかと言えば、まあ、一応は事情があったんです。普通に考えれば、そんな仕事は道具にやらせてしまえば良いと思うよね。神なんだから、大陸の魔素量を調整する道具くらい、息をするくらい簡単にできちゃうはずなんだ。


 でも出来なかった。大陸の魔素量を調整するために『浄化装置を作って設置する』という行為は、神が自らの手で世界に干渉する事柄に該当し、それは神界に於いて良しとはされず、避けるべき行動とされてるのです。


 だから神は抜け道を使った。


『魔素量を調整する"調律者"を配置する』


 グランシールを世界の新たな住人として地に降ろし、自分に変わって仕事をさせる分には『神の介入』には当たらないと屁理屈を捏ね、押し通したのです。


 神界はぐうの音も出ずにそれを承認し、事実、それで世界は上手く回るようになり、回復の兆しを見せました。


 けれど、神はグランシールともっと対話すべきでした。龍が唯一言葉を交わす事が出来る存在なのだから、もっと話を聞いて言葉をかけてあげるべきだったのです。


 グランシールは知恵有る存在です。定期的に神に向けての報告を上げていました。


『魔素量が前期よりも増加しています』『魔素の消費量が減っています』


 報告を受けた神は大陸のパラメータを確認し、許容値であることに満足をすると、一応は感謝の言葉を返してはいました。


 しかし、それ以上の言葉を交わすことはありませんでした。神の性格が悪いというわけではないのです。いくら神子とは言え、地に下ろされた存在です。上位存在である神と、必要以上の会話は誓約により制限されているのですから、仕方が無いと言えば仕方が無かった。


 でも、それでも、なんとか抜け道を作って地上で働くグランシールに声をかけ、龍の気持ちを聞くべきだった。そして龍の置かれている状況を識るべきだったのです。


 龍は孤独でした。孤独な龍にとって、神から届けられる言葉だけが楽しみでした。地中深くでじっと神の言いつけを護る龍はそれ以外の楽しみを知らなかった……いや、識ることが出来ませんでした。


 そしてある時、地上で大きな戦争が起きました。多くの人々が死に、多量の魔素が大陸に放たれたのです。何時ものようにそれを吸収した黒龍でしたが……翌年の始まりの日、龍はそれを吐き出すことが叶わなかったのです。何故ならば、大陸に住む生命体達は、前年吐き出した分の魔素をまだ消費しきれていなかったからです。


 戦争で失われた数多くの生命体は直ぐに数を回復することは出来ません。つまり、魔素の消費量はさらに激減してしまっていたのです。それでも龍は魔素を吸収しては、僅かに吐き出すという作業を毎年続けていました。前年より多く吸い、前年より少なく吐き出す。


 やがて……流石の黒龍にも限界が訪れます。その体に維持することが出来る魔素量が限界に達してしまったのです。


 しかし、神はそれに気づけなかった。


 なぜでしょう? きちんと龍の報告を受けていた筈ではないのでしょうか? 


 神は龍を信頼しきっていました。神がわざわざ確認を取らずとも、定期的に龍の方から連絡が届けられていたからです。龍の報告は何時もと変わらず『今年はこれくらい吸収しました』『なので新年はこれくらい吐き出す事にします』その報告にきちんと目を通し、異常に気づけていれば良かったのですが……信頼しきっていた故に、大丈夫だろうと見過ごしてしまっていたのです。

 

 神とて地上に目を向けていなかったわけではありません。大きな戦争が起き、多くの国が滅びてしまった事に胸を痛め、また、新たな国が生まれて再生の兆しが見えれば頬を綻ばせたり……してはいました。ただ、ひとつ神が犯してしまった失敗は龍の様子をきちんと見て居なかった事。龍だって人類と等しく神の子です。ならば、神が様子を見ても何も悪い事はありません。しかし、神は龍の姿をもう何百年と見なくなっていた。ただ一回、見ていればああはならなかったのに。


 やがて龍は神に報告をすることが出来なくなった――いや、自らの意思で神への報告を辞めてしまったのです。


 何故でしょうか? それは溜め込んだ魔素によって体内の魔石に変異が生じ、変異を起こしてしまったから。それは身体だけではなく、知能や感情にまで変化を及ぼしてしまったからです。


 その変化によって、今まで『この地から動いてはならん』と言う神の言いつけ――枷を外してしまったからなのです。


 枷を外した龍は地上に抜け出し、初めて自らが護っている世界を識ってしまったのです。それは報告の対価に受けられる神からの言葉よりも『素敵なもの』だった。神に連絡をするよりも、神の声よりも好きなものが出来てしまったのです。

 

 枷から完全に解き放たれた黒龍、それは善悪の判断もつかぬ無邪気な存在です。そんな龍が人界に降り立ってしまったのです。


 神は地上について龍にきちんと教えておくべきでした。地上に生きる全ての生命について、その営みについて、善悪について。せめて、最低限の教育をしておけば良かったのです。人類の友として共に歩める存在として地上に送り出しておけば良かったのです。


 それを怠った結果、何が起きてしまったのでしょう? それは非常に痛ましい結果を招きました。


 ある日神が地上を見ると、大陸に存在していた国家のうち3つが消滅していたのです。はて、戦争の兆候はあっただろうか? 人類の領域に魔物が侵攻するような事でも起きてしまったか? いや、その兆候も無かったはずだ、ならば何故だろうと、その原因を視た時に、神はようやく気づく事になりました。そういえば、ここの所めっきり定期報告が無くなっていたなと。あの愛すべき龍の声が届いていなかったなと……。


 過去を視た神の目には、人の世を焼き尽くす黒龍の姿が映っていました。一体何故……何故、神子であり調律者であるグランシールがこんな事を……神は嘆き、その理由を考えました。しかし、神はまだ知らなかった、グランシールが望んでいた事がなんなのかを。グランシールに与えるべきものがなんだったのかを。


 グランシールは識りたかった。魔素を糧とする者達がどういう生活を送っているのか。

 グランシールは視たかった。この大陸に生きる者達がどういう者達なのかを。


 しかし、グランシールは知らなかった。我が身に宿る強大な力を。そして、他の者とのふれ合い方を。


 黒龍はそれまで大陸の人間達が視たことが有るどんな魔物よりも大きく、強大な力を持っていた。そんな存在が現れてしまえば、人々の感情に畏れが沸き起こるのは当然です。黒龍に対し敵対行動を取ってしまったのです。


 そして黒龍もまた、それに対し、迎撃をしてしまった。放たれた矢や攻撃魔法に対して反撃をしてしまったのです。


 気づけば黒龍対国家の戦闘が勃発し、魔素によって思考が不安定になっていた黒龍は激昂。溜め込んだ力を使い果たすまで暴れ尽くし、神が気づいたときには更地の中心で眠りに落ちていたのです。

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