第四百四話 森をゆく
背中にレニーとジルコニスタを乗せて森を翔けている。この辺りの土地は『オモエと呼ばれているのだ』と、得意げな顔でレニーが解説してくれたが、それはかなり古い言葉で、現在一般的に『トゥルゴッド』と呼ばれている土地で、古来より猫族が住む場所で、猫族のルーツとなる大切な場所なのだと、ジルコニスタから補足の言葉が入った。
『トゥルゴッド』と聞くと、何か仰々しい印象を受けてしまい、思わず『ゴッドとは』と、口に出してしまったが、ジルコニスタによれば古い猫族の言葉で『月の森』という意味であり、神とは何ら関係の無い土地であるとのことだった。
それはそれで、なぜその様な名前がつけられたのか興味は尽きないが、それは後の楽しみに取っておくことにしよう。
この、半島の半分近くを占める森の奥深くに、目的地である『リンばあちゃん』の家が有るらしい。
その家の場所を薄っすらとしか覚えていないレニーのナビは早々に当てにならないことが判明した……というか、予想通りだったのだが、しっかりと覚えているはずのジルコニスタにすらまともに案内することは出来なかったのは誤算だった。
「すまん……普段は森の中を歩いて移動するのでな……。こうして森の上を飛んでいると実家からどの辺りの場所に居るのかすらわからない。何か目印になる物でも有れば良いのだが、生憎実家は森の中に隠されているようにあるものでな……」
まあ、仕方の無い話だ。
開けた場所であるならば、空から安々と目的地を発見してそこまで移動できるのだが、神の山よりも広く、ゲンベーラ大森林と肩を並べる程に広大で深いこの森では、とても上空から森の中まで見通すことは出来ない。
まあ、それは一般的な話だけどな。ロボである俺ならばレーダーを使えばどうとでも……と、満を持してレーダーを使おうと思った瞬間、レニーのカバンから白い塊が飛び出した。
「わぎゃっ!」
飛行中に突如としてカバンから飛び出したそれは、勢いそのままにレニーの顔にべチャリと張り付き、やがて膝の上に降り立った。
……そうか、お前か、お馬のカイザーか。
騎乗モード時にはパイロットを保護するための微弱なバリアが展開されている。これはいわゆる風防的な役割が強く、走行や飛行によって発生する風圧や飛び込んでくる障害物の直撃から守る役割がある。
それのおかげで、カバンから飛び出た瞬間に何処かに飛んでいくということにはならなかったのだが……ぬいぐるみの俺よ、ほんと無茶をしてくれるものだ。
パカパカと手足を動かし、何かをアピールしている仔馬がなにやら映像を浮かび上がらせた――ああ、成る程な。
『この辺りはレニーと来たことが有る。ナビは俺に任せろ、本体の俺よ』
そう、言っているのだ。
その地図データを俺に送ってくれればそれで済むのだが、仔馬の姿をした分体とは言え、あれでも俺には変わりは無いからな。考えて居ることはわかるぞ。
お前もレニーと旅をした思い出を生かして役に立つ所を見せたいのだろう? 非戦闘用の義体というのもあって、活躍する機会が殆ど無いからな……。お前だって、レニーの力になってやりたいんだよな、すまなかったお馬の俺よ。今日は思う存分活躍しておくれ。
「ええっと、もう少し左に飛んでってカイザーさんが言ってますよ、カイザーさん」
「了解だ」
「あっと! あの大きな木を右にってカイザーさんが! カイザーさん! え? カイザーさん? ああ、カイザーさん、すいません! 左だっていってます! カイザーさんが!」
どちらも『カイザー』だから……というか、レニーが呼び分けをしないから非常にややこしいな。俺が困っているのを知ってか、レニーの懐に収まるスミレはずっとクツクツと楽しげに笑っているし。
仔馬と再会した際にデータリンクをし、こちらで行動をしていた時のデータをダウンロードしていたため、先ほどから薄っすらと覚えがある地形だなと感じている。
しかし、それでも目的地までのルートはわからない。地形に見覚えがあると言う事は、データ提供元である仔馬の奴が通った事がある場所であることは明らかなのだが。
それでも奴は迷うこと無くナビを続けている。つまり、仔馬の奴が俺に渡していない情報がいくつかあって、目的地であるリン婆ちゃんの家までのルートもそれに該当している、ということだな。
物を言わぬ馬では有るけれども、中身は俺から別れた分体で、きちんと自我が芽生えている。帝国領からルナーサまで共に過ごしてきたレニーとの思い出は、俺では無く、仔馬という存在が体験した思い出だ。
大切な思い出までは本体にやらないぞ、これは自分の物だ! なんて思っているのかも知れないな。まったく、愛らしい姿をしているくせに、しっかりと
「っと、ここから高度を下げて地上を走ってください……ってカイザーさんが! カイザーさん!」
「ああ、わかったよ、あいつの後に続けば良いんだな? 高度を下げるぞ。捕まってろ!」
生き生きと俺達を先導する仔馬を追いかけ、無駄に木々を傷つけてしまわないよう、慎重に森に潜り込んでいく。
なるほど、これでは空からまったく見えないわけだ。木々がみっしりと入り組んでいて、地表に届く日光は僅かな物だ。なので昼間だと言うのにかなり薄暗い。この森は王家の森ともゲンベーラ大森林とも違う、また不思議な場所だな……。
「この森は美味しいキノコがたくさん生えてるんですよ。ね、ルッコさん」
「ああ、そうだな。季節外れなのが残念だが、秋に採れるマツダケやボーロが絶品でな……幼い頃は母さんと良く採りに行ったものだ」
言われて思い出す。そうだよな、今はもう冬なんだよな。だと言うのに、この森は紅葉もせず、青々とした葉っぱを拡げる木々が多く茂っている。
特徴的にはブナのような樹木なのだが、俺が知っているブナはしっかりと紅葉するし、初冬ともなればキチンと落葉もする。決してこの様に冬だと言うのに青々とした葉を拡げたままでいることはない。
地球と良く似た生物が多いこの世界だが、鹿と呼ばれる動物は青い体をした似て非なる物だったし、やはりよく似ていても別物なのだろうと1人納得していたのだが。
「そうそう、カイザーさん。この森不思議なんですよね。秋になると葉っぱが散っちゃうブンブンやナンギの木もこの森だと青々としてるんですよ。リンばあちゃんが言うには精霊の加護? があるとか? 後……森の名前も違う名前で呼んでましたね……」
「ややこしいことに、この辺りの森は繋がっているように見えるが、実は二つに分かれているらしいんだ」
「二つの森がくっついてしまったんですか?」
「そう言う事になるのだろうな。この森に突入して間もない頃に見えた景色を覚えて居るか? 森の外周に近い浅場の木々はしっかりと紅葉していただろう?」
「あっ確かに」
「そう言われてみれば、紅葉が綺麗だなと感じた覚えがあるな」
「実家がある土地は『燐火の森』と呼ばれている土地でな。
燐火の森には決して散らぬ葉を持つ木々が茂り、昼間でも明かりが必要なほど鬱蒼としている。けれど、ほのかに明かるいのは地名の由来となった燐光が舞っているからなんだ」
……なんでも、大昔には二つの森の間には平原があり、そこには猫族が住む村がいくつか存在していたのだという。しかし、長い年月を経て、猫族達は暮らしやすい場所へと住処を移し、手入れのされない平原は森に浸食されていく。結果として内側に、内側にと広がったトゥルゴッドは燐光の森と合流し、外周部だけは通常の植生で、内側は特殊な植生のなんとも不思議な土地になってしまったそうだ。
燐光が舞う森というのは幻想的で、綺麗な場所だなと感じたのだが、付近の住民達は何故かひどく畏れているらしい。
『森に住み、気軽に彷徨いてる人間はうちの母くらいのものだな』
と、ジルコニスタがどこか嬉しそうに笑っていた。
そして暫く移動していると、何か見つけたのか、レニーが大声を出す。
「あ! 見てくださいカイザーさん! あの木!」
「どうした? 何か見つけたのか?」
速度を落とし、大きな木に向かって歩く。背中のレニーが興奮し、喜んでいるのが伝わってくる。この木……一見すると、周囲の物と特に変わりが無い様に見える。ならば場所自体に何か思い入れがあるのだろうか。
「この木です! ここは私がミノムシみたいに枝からぶら下がって一夜を明かした場所なんですよ!」
「レニー……貴方、一体なにをしてるんですか……」
「一体どうしたらそんな事をしようと思うんだ……」
「へへへ……それはリンばあちゃんにも言われました。って、それはよくてですね! この木が有るということは、もうすぐですよ、ばあちゃんの家。ね、ルッコさん」
「あ? ああ、そうだな……そうか、レニーはここで母さんに拾われたか……ククク…そうか、お前がロープに絡まってぶら下がってた木というのは……よりによってこの木だったか……クク……」
愉しげに笑うジルコニスタ。彼がここまで嬉しげな表情を浮かべるのは中々に珍しいが、一体この木になにがあるのだろう。
「いや何、俺も昔は良くこの木に吊るされていてな、面白い偶然があった物だと……ククク……」
「も、もー! 確かに面白いけど、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
……この木はこれから会いに行く、リンばあちゃんなる人物がお仕置きに使っていた木なのだという。かつて悪ガキであったジルコニスタ少年は、しばしば何かしらやらかしては、罰としてこの木に夜通し吊るされていたのだという。
木に吊すのはともかく、こんな森に子供を一晩中吊したままにするとは……なんとも凄まじい教育方針を持った御方のようだが……一体どんな人物なのか、少々会うのが怖くなってきたぞ……。
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