第三百三十九話 麓
リムールから飛び立って６時間が経ち、我々は今夜の野営場所であり、これから挑む難所のスタート地点である山の麓に到着した。
きっと、かつてはボルツの人々から何らかの名前で呼ばれていたのだろう、名を失いし山々は、こうして麓から眺めてみればまさに聖地と外界を隔てる強大な壁。わかってはいたが、やはり登山道というものは存在せず、人の足であれば踏破するのは非常に困難であることがうかがえる。。
この辺りまで来ると、ボルツのやらかしの影響は無く、きちんと植物が茂っているのだが、高度が高いために生えている樹木は背丈が低いものばかりだ。
他にも可憐な花々がアチラコチラに見られるが、そのどれもが大地にへばりつくようにして生えている。いわゆる高山植物と言うやつだな。
現在の高度を測定してみると、麓である現時点で既に標高１９８２ｍ。飛行中に上から見ている分にはそうは見えなかったが、なかなかに高い場所に降り立っているようだ。
これから挑む山に緊張しているのか、流石の乙女軍団も今日はおとなしい。ラムレットとフィオラ、それにマシューは先程取り出したシュトラールのメンテナンスに忙しいし、レニーとミシェル、そしてシグレは俺がプリントアウトした簡易マップを見ながらうんうんとルート構築をしている。
一応俺もナビをするつもりだけれども、この山の事情に詳しいレニーやフィオラの意見はぜひとも取り入れたい。なので、手が空いていたレニーに地図を渡してルート構築の案を出してもらっている。
しかし……登山か……。いつ以来だろう？ 目覚めた場所が『神の山』だったから、下界に降りるべく山を下ったからな……それもある意味登山と言えなくもないが……あれは下りだけだし、なんかちょっと違うよな。
まともな登山と言えばケルベラックがそうなるか。ただ、アレもこの身体だと、ちょっとした裏山に登ったくらいの感覚でしか無いな……やっぱりこちらの世界でまともに登山をした記憶は無いな。それを考えれば、前世以来の登山となるのだろうな。。
しかし、眼前にそびえるこの山脈は凄まじいな。前世で登った山といえば精々標高が２０００ｍちょっと届かないくらいの山だった。それでもそれなりに大変だったし、かなりの満足感は得られたが、ファミリー向けの穏やかな山だったから、小さな子供がひょいひょいと登ってたりしたんだよな……。
そんなささやかな登山経験しかない俺が冒険家たちが挑むようなこの巨壁に果たして勝てるのか不安がないでも無いが……まさかトンネルを掘って抜けるわけにも行かないからな。
弱音を吐かず、頑張るほか無いだろう。
流石に普段の装備で登るのは心もとなかったので、対冬山登山装備をリックとジン、そしてザックに依頼して作ってもらった。
とは言っても、そこまで特別なものでは無く、人間の登山装備をそのまま大きくしたものだ。足に装着し、しっかりと氷を踏みしめるアイゼン。壁に打ち付け張り付くためのピッケル。そして強度が高いワイヤーと、寒冷地仕様のウィンチだ。
普通の登山道具をそのまま大きくしただけとは言え、そのどれもが機体サイズなので……こうして
麓とは言え、平地と比べるとそれなりに標高は高く、それにくわえて秋だと言うこともありって既に結構寒い。カイザーになってれば寒さは感じないのだけれども、ご丁寧にも妖精体には人間同様の五感が備えられているからね……こうして律儀に暑い寒いを感じることが出来るってわけだ。
一見するとデメリットにしか思えない仕様だけれども、これに関してはちょっと嬉しい気持ちのが強いんだ。自ら望んで機械の身体を手に入れたわけだけれども、食の欲求があったのを見れば分かる通り、私は別に人間の体に未練がないというわけではないからね。
本人に言うつもりはないけれど、
以上の事からわかるとおり、このキャンプ地はなかなかに冷え込んでいる。これまでのように、焚き火を囲んで暢気にダラダラ出来るような気温では無く、早々に寒さにやられた乙女軍団はさっさとそれぞれのおうちに潜り込んでしまった。
おうちは謎バリアによって保護されているために冷たい風を通すことはないし、常時可動しているエアコン的な設備が内部の気温を一定に保ってくれるため、どんな極地であろうとも『おうち』が故障しない限りは内部の住人は快適に過ごせてしまうのだ。
うう、日が傾いてきたらますます冷えてきたな。私もレニーのおうちに逃げよっと。
◆◇
……そして翌朝。
「わ……雪ですな……」
「げえ……まじかよ。まだ秋だぞ？」
我々がおうちから顔を出すと……そこは雪国だった……。
いや、そこまで大げさにつもっているわけじゃないんだ。うっすらと雪が地面を覆っている、積雪量にしてみれば１ｃｍにも満たない程度だ。しかし、それでも……視界に広がる雪景色は私達に衝撃を与えるのには十分だった。
「あー、そっかもう１０月だもんね」
「山の方は早いからねえ」
それに動じないのがヴァイオレット姉妹。
２人が言う事にゃ、村で採取や狩りをする際に向こう側で山の麓に向かうことがあったらしく、向こう側でも同じようにこの季節になると、山の辺りは早々雪化粧を身に纏うということで、２人にとっては見慣れていて当たり前の光景だったようだ。
姉妹以外は雪を見てテンションがだだ下がり気味で、朝食の支度やらなんやらの作業に挑む姿が非常にだらだらとしていて、一向に終わりそうがない。
まったく、ほんとこういう所は駄目な連中だよな。
「ほらほら、さっさと支度しよ？ 作業が終わらないとおうちで暖まれないし、出発してしまえば暖かい機体の中で寒さは気にならなくなるんだ、早く支度を終えた方が幸せになれるよ」
私の言葉を聞いてからは早かった。うだうだだらだらしていた乙女軍団がてきぱきてきぱきと手を動かし始め、あっという間に支度が終わってしまった。
よほど寒いのが嫌なんだろうな『今日はおうちでごはんにしよう！』と、誰かが言い、たちまち全員が賛成の意を示したと思ったら、あっという間におうちの中に朝食が運び込まれていった。
いやまあ、確かに雪が積もるほどに冷え込んでいる外で食べることもないだろうと思ってたし、誰かが言わなくとも、私が提案してたけどね。にしても行動が早すぎるよ。
このくらいの寒さならまだ外で調理が出来るけど、これから先、高度がもっともっと上がっていけばキツいというか、まあ無理だろうな。流石におうちの中で調理は無理があるけれど、ストレージの中には未だ大量の完成済み料理が貯蔵されているから、十分それで凌ぐことが出来るか。
ブレイブシャインはパーティーメンバー全員が食にこだわりをもっていて、何処かに寄る度、大量に『補給』をするからね……それが６人分ともなれば、ひと冬越せるだけの量は余裕にあるんだよな……。
朝食をあっという間に食べ終えた乙女軍団。普段であれば、少しの間外でだらだらしたりするのに、今日ばかりは流石にさっさと機体に乗り込んでいった。
「いやあ……謎機能で室温が保たれているいるコックピット……ほんといいものだなあ」
私だって寒いのは寒いのだ。コクピットに入るなりついそんな独り言がこぼれてしまった。
「カイザー、あれくらいの寒さでだらしないですね。あ、閃きました。移動中、義体のまま外装にしがみついて身体を鍛えてみてはいかがでしょうか」
「一緒にスミレが付き合ってくれるならやってもいいよ」
「御免こうむります」
私の妖精体はスミレの色違いとも言っても過言でも無い程にほぼ同等の設計らしいので、スミレにも私同様に五感が備わっている。
冗談に冗談で返したら即座に否定されたし、やっぱり流石のスミレもこの寒さは嫌なんだな……。
よし……出発するか。身体をカイザーに移し、出発の声を掛ける。
「よし、皆乗ったな。フィオラ、ラムレット。君たちの機体は最新型とは言え、それでも寒冷地の影響をひどく受けると思う。何か困ったことがあったら我慢せずに直ぐに言うように」
「はーい」
「了解！」
一応シュトラールにもエアコン的な魔導具が搭載されているし、通常の機体よりも気密性を高くしているためにそこまで冷えるということはないと思う。しかし、俺達のようなトンデモ謎設計で色々な不都合をナアナアで済ませ、普段と変わらぬ環境のままでいられる……というわけではない。
機体トラブルだって発生するかも知れないし、シュトラールの様子はこまめにチェックしたほうが良いだろうな。
「本日は１５時前後の野営地到着を目標として移動する。途中、１０時に休憩、１２時に昼休みとするが、それ以外にも体調や機体に変化があれば、それが些細な事であってもすぐに言うように。では、出発！」
こうして俺達の登山１日目が幕を開けた。今の所は魔獣の反応はないが……この山に居ないとは限らない。油断をせず進んでいこう。
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