第三百三十七話 リムールの夜
いよいよ明日から旅の本番、難攻不落の岩山アタックが始まる。参考までに目視で試算してみたところ、挑む山脈は軒並み標高6000mを超え、8000mを超えているであろう箇所も数多く確認出来た。
カーゴを抱えて飛行する場合、安全を考慮すれば高くとも3000m、もう少し頑張ってせいぜい3500mが関の山だ。
カーゴは機密性が高く、空気の浄化と供給もしているために客員の体調に影響が出にくいようにはなっているが、流石に高度を上げすぎればカーゴ自身の耐久力が怪しくなってしまうのだ。
となれば、途中からは機体による徒歩での山越えとなるのだが……山に挑む事になるパイロット達を少々心配に思う。
いくら機体を操縦しての移動とは言え、ずっと中に居るわけには行かない。休憩や野営などで何度か外に出る必要があるだろうし、何かトラブルが発生すれば、生身での行動も必要となるかも知れない。
標高が高い山での登山という物は素人が簡単に挑めるものでは無く、しっかりとトレーニングをして体を鍛え、事前に念入りな用意をし、その他にも荷物持ちや道案内などを雇って何重にも生存のための保険をかけて挑む物だ。
それでも、地球における登山では毎年何件も死亡事故が発生し、高名な冒険家や登山家等も数多く命を落としている。
ブレイブシャインのパイロット達はと言えば……身体能力は一般的な住民と比べれば圧倒的に高く、高地においてもそれなりに耐えられるのではないかと思う。
しかし、体力はともかくとして心配なのは高山病だ。いくら異世界とは言え、体の組成があらかた地球人と共通している以上、それは避けては通れないはずである。
となれば……山の中腹までひとっ飛びをしてそこから登るというのは避けた方が良いだろう。
地球に居た頃に読んだことがあるのだが、高地にある国に飛行機で向かった者が空港で降り立った後、間もなく高山病にかかってしまうことがあるのだという。
即座に症状が出なくとも、時間を置いた後に頭痛や吐き気、膨満感等の症状が現れ、とてもまともに行動出来なくなるらしい。
そして高山病には死のリスクもある……。
危なかった。もしも俺が『ルゥ』の義体を得ていなかったり、OS内で前世の姿に戻ったりという経験をしていなかったらば、すっかりロボの身体になれきってしまって人間という立場に立って物事を考えられなくなっていたかもしれないな。
今こうして『カイザー』となり、攻略作戦を考え直しているのも昼間の観光中、ルゥとしてうろついているときにハタと思いついたからこそだ。
こちらの身体だと、あちらと違って落ち着いて論理的な思考をすることが出来るからな。それに加えてルゥでの生活と、あの経験から得られた……というか、完全に取り戻せた人間的な感覚のおかげで余計なトラブルを防げたわけだ。
……冗談みたいな義体に結果的にこうして助けられているわけなのだから、まったくスミレには頭が上がらないな。
と、ほのかな光を帯びた球体――スミレがコクピットにはいってきた。
「お仕事は終わったようですね」
「ああ。ほんとは今から皆を集めて会議をしたいところだが……今夜それをやるのは無粋だろうからなあ」
「当たり前です。あの場から1人抜け出して仕事をしている事自体、無粋だと知りなさい。あの子がさっきからずっと貴方を探しているんですよ? さあ、ミシェルの『おうち』に戻りますよ。
「やれやれ……少しでもカイザーとして過ごす時間を増やして『俺』を取り戻そうと思ってたんだが……」
「何を言ってるのやら。どちらかと言えば『ルゥ』の方が本来の貴方に近いでしょうに」
「くっ……それでも今の俺はカイザーなんだよ……あーもう、わかったわかった。そんな顔をするな。今行くよ」
そして『私』はルゥに身を移し、スミレと共にミシェルのおうちに戻る。今日はミシェルのお家にパイロット達が全員集合しているんだ。
おうちの内部は空間制御の
皆が集まっているミシェルの部屋は綺麗に片付けられていて清潔感こそあるけれど、やたらと高そうな家具が幾つか置かれているため、パイロット達全員がはいってしまうと……流石に若干の窮屈感を感じるね。
なのにわざわざ皆が集まっているのかと言えば、明日からの会議……ではなく……。
「ただいま戻りました。ほら、マリネッタちゃん。白いのを連れてきましたよ」
「わあ~! 白い妖精さんだー! どこ行ってたの? 夜は危ないんだよ!」
……そう、今夜はマリネッタちゃんをゲストに招いたパジャマパーティーという事らしい……のです。
明日から本番だと言うのに何を悠長なことを……と思わんでもないけれど、だからこそという考え方もできるか。
今回我々が通るのはレニーやフィオラがこちら側にやってきた一般的で楽なルートではない。ヴァイオレット姉妹が使用したルートは、途中で洞窟を通る必要があるらしく、そこがまたカイザーチームの体格ではとてもじゃないけど通れない人間用の小さな洞窟で、どう考えても利用出来ないときたもんだ。
なので私達が向かう先は前人未到の予測不可能なルート……私が散々頭を悩ませながら緻密なシミュレーションを重ねていた山越えルートなのである。
こうしてゲストを迎えての賑やかなパジャマパーティーには、必ずまたここに戻ってくるぞという気持ちと、明日以降厳しくなる行程を前にしてこの旅最後となる緩やかな時間を過ごしたいという気持ちが込められているのだろうさ。
だから私には文句は言えないし、それはとても尊重したいと思う。
そして何より、忘れちゃいけないのがマリネッタちゃんの存在だ。最早末期的に限界を迎えていたリム族の集落では、子供が産まれても長生きをしなかったり、そのため子供を作ろうと考える者が年々減ってしまったりと、マリネッタちゃんが産まれてから新たな子供が産まれる事は無く、彼女は同年代の友達が居ないまま寂しい思いをしてきたんだ。
彼女にとって唯一の娯楽というのが姉達、年上グループと行く食料調達だったというのだから泣けるよね……。現に今日だっておじいちゃん……もとい、ガシューさんと2人でお散歩していたわけで。
リムールとして生まれ変わった今の街には今後も住人が増え、新たな子供が産まれたり、他所から越してきたりと、彼女のお友達が増えることだろう。
せめてその日までマリネッタちゃんが楽しく過ごせるよう、素敵な思い出を作ってあげようという彼女たちの気配りなのであった。
現在彼女たちはミシェルが作ったらしいぬいぐるみパペットで遊んでいる。どうやらそのパペット達は『子供』役のようで……どうやら『ままごと』をしているようだ。肝心のお父さんとお母さんは誰がやってるのかな? って思ってたら、唐突にマリネッタちゃんから無茶ぶりが飛んできた。
「はい、白おかあさんがようやく帰ってきましたよ。ほら、スミレおとうさんは白おかあさんに料理をお願いしてください」
「ふふ。カイザー、お腹が空きました。ごはんのしたくをしてください」
……スミレが父で、私が母? えっと、それは……逆なのでは? 百歩譲って人形のようなこの体だから、人形代わりに使われるのは良いとして、キャスティングが逆なのではないでしょうか?
「はい! 白おかあさん! ごはんをつくって!」
「は、はい。トントントン……今日は新鮮なヒッグ・ホッグが手に入ったのでお肉ですよー」
「私は甘いのが食べたかったのですが……まあ、いいでしょう。いただきます。ぱくぱくぱく」
「わあい、おにくだー! こどもたちもみんなでたべましょー! ぱくぱくぱく」
マリネッタちゃんは監督役なのかと思えば、両手にそれぞれパペットをはめて子供役をはじめた。ミシェル達は参加しないのかと見てみれば……ぐにゃりと蕩けた表情で完全にやられていて、ままごとを出来る状態では無さそうだった……。
こうして暫くの間、私とスミレ、そしてマリネッタちゃんによるままごとが続けられたのだけれども、マリネッタちゃんの可愛らしいあくびを合図に寝る支度が始まった。
皆で端に寄った後、一斉に端末を操作してベッドを取り出し、ピチピチっと並べて大きな大きな寝台を作り出した。
「わあ! おっきなベッドね! ねえね、今日は皆で寝るの?」
「そうだぞ! みんなでゴロゴロ寝るんだぞ!」
マシューがマリネッタちゃんの犬耳をくしくしと撫でながらデレデレと言う。なんだかホントの姉妹みたいで微笑ましいな。
ベッドに興奮し、皆で仲良く横になった事に興奮し。完全に眠気が覚めてしまったかに見えたマリネッタちゃんだったが、寝物語にと、皆で順番に冒険譚を語り始めると……いつの間にか、スウスウと可愛らしい寝息がきこえはじめ。
それに気づいた皆は、ほっこりと笑顔を浮かべていた。
「ねえ、みんな。また、ここに帰ってきてこうしてマリネッタちゃんとお泊まり会をしような」
「勿論ですわ、カイザーさん。次に来る時はお仕事をすっかり片付けて、一週間くらいゆとりをもってやりましょう」
「ああいいなあ、あたいもまだこの街をじっくりと歩けてないからな。今度は皆であちこち回ろうぜ」
明日からの厳しい行程、そしてこれからの戦い。その全てを皆で切り抜けて、またこの幸せな時間を皆で過ごすんだ。
マリネッタちゃんの安らかな寝顔を見ていると余計な力が抜けていく。
ありがとうね、マリネッタちゃん。とってもいい休暇になったよ。
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