閑話 迫りゆく黒騎士

 時は少々遡り、カイザー達が紅き尻尾に向かっている頃、帝国軍黒騎士団所属の若き騎士、アランドラ・ヴェルンは一人デッキに立ち、波間から遠く見える大陸を眺めていた。


「ったく、なんで俺がトリバなんて田舎に行かなきゃねえんだよ、なあ、お前らだってそう思うだろう?」


 そう毒づくアランドラを船員が苦笑いをして遠巻きに眺めていた。

 アランドラと言う男は騎士という立場では有るものの、少々素行が悪く、機嫌が悪い時に迂闊に近寄ればいらぬとばっちりを食らう羽目になる。


 それをわかっている船員たちはただただ愛想笑いを浮かべ、適当に返事をするのみ。

その様子に、アランドラの機嫌は更に悪くなり、やばい怒らせたと船員たちが震え上がった所で助け舟が入った。

 

「言わないの。たまには船旅も悪くはないでしょう?」


 アランドラを宥めるのは副操縦士して同行するリリイだ。

 彼のパートナーとして行動を共にするリリイにはアランドラも頭が上がらず、彼が何かしでかそうとした時はいつもこうして間に入ってなだめてくれるのだ。


 故に、彼女の声を聞いた船員たちはホッとした表情を浮かべて今のうちにと、素早くアランドラの視界から姿を消した。


 その様子をしっかりと睨みつけていたアランドラだったが、既に不機嫌な表情は何処かへ消え去り、ただただつまらなそうな表情でリリイに言葉を返す。


「おめえはいいよな。俺の後ろに乗ってぼんやりしてりゃいいんだからよ」


「……別にただ乗ってるわけではないでしょう? 私が計器の情報を読み取って、周囲の変化を伝えてあげてるからこそ、貴方は安心して戦えるんでしょうに。

 それにこの機兵は二人じゃないと長く動かせないのよ? 私が居ないと動かない、わかる?」


「へいへい、わーってるよ、せいぜい頼むぜリリイ様よ」


「だったらもう少し私を敬いなさいな、まったくもう……」



 魔導高速艇『マキャレル』


 黒騎士団専用機『シュヴァルツ弐型』を運搬するそれの船は専用に設計された大型魔導炉を2機搭載することにより、従来の軍用船舶では考えられない程に高速で移動可能な新造艦である。


 トリバの任務に向かうのは船員を除けばアランドラとリリイ2名のみ。

 いくらマキャレルとは言え、搭載可能な機兵はせいぜい2機が限度。まともに小隊を派遣しようと思えば、大げさな船団を組む羽目になり、トリバの防衛軍に感づかれる恐れがあるためだ。


 今回の任務は正式な手順を踏まぬ密入国。

 そもそも、国交が殆どないトリバに帝国の軍用機が入ろうとすれば、大げさなほどに監視をつけられるのは目に見えている。


 故に今回の任務は少数精鋭……どころか、1機のみの単独任務で、目立たず気取られず密やかに実行させるよう、上の方からきつく言われているのだ。


 ……リリイが。


 そんな彼らの上陸ポイントはトリバ北西の岬で、付近に街はおろか、村すら存在しない未開拓地域。

 

 稀に暇なハンターが探索に来る程度で、トリバ防衛軍の哨戒地域からも除かれている無防備な場所なのである。


 なぜ、防衛軍がその様な脆弱なポイントを生み出してしまったのか?

 それは旧ボルツ領、現在では『禁忌地』と呼ばれるかつてのボルツ国領が理由だ。


 大陸北部に位置する禁忌地は、トリバ北東部に隣接していて、パインウィード東部の森を抜けた所に位置している。


 禁忌地は大戦後からずっとどの国も手を付けること無く荒れ果てたままの土地で、大戦時に天罰で滅びたと言われるその土地は人が住む事が出来ない不毛の地として近づこうとするものはまず居ない。


 そしてトリバ東南部に隣接するのは同盟国ルナーサ商人連邦だ。

 仮想敵国であるシュヴァルツヴァルト帝国はそれよりさらに東の半島に位置しており、もしも帝国がトリバに攻め込もうと思えば、ルナーサを通るか海を移動する必要がある。


 ルナーサは同盟国であり、共に帝国を仮想敵国として認識する国でも有る。

 もしも帝国が陸上から攻め込もうとすれば、直ぐにルナーサから連絡が入ることとなる。


 そして、海上からの移動も反時計回り、つまりは大陸北部を迂回するルートは北東部の海流は非常に荒く複雑であり、どんなに高性能な船舶であろうともまともに進むことが出来ないため反時計回りの移動に限られてしまう。


 故にトリバ共和国の防衛軍は大陸南部の海沿いに兵を置き、海上南ルートの監視に重点を置いているのである。


 しかし、いくら見張りを置いた所で陸から見えぬほど沖合を移動されれば見えないのではなかろうか? 勿論、それはそうなのだが……幸か不幸か、カイザーの転生により機兵文化が根付いてしまったこの大陸において、機兵というものは何より優先される思想が根強い。


 機兵に頼ることが難しい水上交通の発展はないがしろにされ、機兵を乗せ、沖合の波が荒い海上を移動する技術が発達しなかったのだ。


 それでも大型船は存在しているし、機兵を運搬する事だってもちろんあるのだが、それはあくまでも波が穏やかな沿岸沿いにゆっくりと移動するのがやっとの性能だ。


 故に、万が一目が届かぬ程に沖合を移動していたとしても、それは自殺行為であり、わざわざ対処しようとしなくとも、波が勝手に沈めてくれるのだ、トリバ軍の認識ではそうなっている。


 しかし。


 マキャレルは話が別だった。


マキャレルは他国が想像する船舶の数世代先を行く性能を誇り、荒い波の上であろうとも速度を保ったまま移動することが可能なのは勿論の事、長期に渡って補給が出来ない状況を想定して様々な秘密兵器が搭載されている。


 その一つが浄水の魔導具だ。

 

 これはかつて帝国沿岸部において発生した水不足を解消するために作られた魔導具なのだが、タンクに海水を注ぎ、魔石に魔力を籠めると塩分をはじめとした飲用に適さない不純物を取り除き、飲料水に変えるという素晴らしい道具。


 この魔導具のおかげで水の補給と言う、航海において重要な事柄が解消されているのだ。

 

 そして、もう一つ、無補給航海を実現する要が保存食、いわゆるフリーズドライ食品である。

 

 誰が開発したのか、どうやって作るのか、それは機密扱いで非公開となっているが、この糧食自体は帝国軍で広く普及している。


 傷まず、かさばらず、栄養面にも優れていて、お湯や水で戻せば数倍に膨れるその糧食は浄水の魔導具の力と相まって今回の任務を実現させる大きな力となったのだ。

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