第七十九話 ヌタ場の主

 そして翌朝。


 現在の時刻は4時を少し回ったところだ。この本日の日の出時刻は5時18分。

 当然、辺りはまだ真っ暗で、インカム経由で叩き起こしたパイロット2名は非常に不機嫌そうな表情を浮かべていた。


『ううう……かいざあさあん……何時だとおもってるんですかあ……』

『んだよお……まっくらじゃねえ……ぐうぐう……」


「おはよう諸君。現在の時刻は午前4時18分。気温は12.3度 湿度21% 降水確率は0%……非常に爽やかな朝だぞ」


『そういう事をいってるんじゃないんですよお……ふぁあ……しかも無駄に詳しいし』

「昨夜言ったことをもう忘れたのか? 本日は調査任務、我々は現地調査に向かうことになっていただろう」

『うー……あ、ああ! そうでした! すいません、カイザーさん! あたし寝ぼけちゃってて! ほら、マシューも起きて! ほら!』

『ああん……? まだくれえよお……朝ごはんにゃ早いってば……』

「……出発は15分後だ。遅れるなよ、二人共」

『え、ちょ、カイザーさん? マシュー起こすの手伝ってよ! ねえ、カイザーさーん!』

『えっへへ……こいつが鹿肉かあ……』


……


 一騒動を経てすっかり覚醒したレニーと、まだ少し眠そうなマシュー。

 本日の早朝調査任務はこの2名で行うことになっている。


 ミシェルが同行していないのは危険であるという事もあるけれど、彼女には彼女の仕事、村内での情報収集という重要な任務を与えているからだ。


 現在もすやすやと寝息を立てているであろうミシェルは、さぞマシューから恨めしそうに見られたことだろうと思うけれど、本日のミシェルには村中を駆け回って様々な人からお話を聞くというヘビーなお仕事が待っているので、そっちはそっちで大変なんだよね。


 そもそも……護衛対象であるミシェルに仕事をさせるというのがアレなんだけれど……そこはそれ、依頼主様からの追加依頼のようなものだと思って飲み込んでしまうしか無いね。

 

 一緒に行動するうちだんだんと分かってきたけれど、ミシェルもまた、中々に熱いところがあるからね……特に今回は商人にも関わる案件だから、こうでもしないときっと共に現地に行くといって聞かなかったろうさ。


 それに商人ギルドの会員になっているくらいなんだ、きっと情報収集の腕もお手の物だろうさ。適材適所ってことで、いいじゃない。ねえ?


『誰に対する言い訳なのかは知りませんが、私としても良い選択をしたと思いますよ』

「あ、しまった。スミレに聞こえちゃってたか……」

『ふふ、私と貴方は一心同体ですからね……っと、カイザー。間もなく現場に到着します……ああ、これは酷い』

「いやあ……確かにこれは酷い、な……」


 土砂がかなりの広範囲に渡って街道を覆い尽くしている。

 厚みもかなり有り、ここを馬車で抜けるのは到底不可能だろうな。


 そして……あちらこちらでが確認できた。


 驚くほど巨大な足跡に、高質量の物質が転がりまわったような形跡が残っている事から、討伐対象がぬた場として使っているという情報の裏付けが取れたと言える。


 スミレにお願いをして、土砂が元々あったらしい、痛々しくむき出しになっている斜面の地質分析をして貰った。


 その斜面は水分を多く含む粘土質の土で構成されていた。

 元々そうなのか、雨か何かでそうなったのかはわからないけれど、地すべりが起こる条件を満たしてしまっている。


『ここ最近の気象データによれば、天候由来の地すべりが発生するとは思えません。

 カイザー、ここの数値を見てください。外部から何らかの干渉を受けたことを示しています』

「なるほどわからん……けれど、他とは大きく違う事はわかった」

『カイザー……』

 

 スミレ先生によれば土砂災害発生前に存在していた丘に外部からなんらかの衝撃が与えられ、その振動により、脆弱な箇所が大きく崩れ、周囲を巻き込む大規模な土砂崩れが発生してしまった――ということらしい。


 意図的ではないにしろ、魔獣の影響で発生した災害であることは間違いなさそうだな。


 しかし、見事なヌタ場だなあ。

 たんなる土砂崩れであればまだよかったんだけど、どうも近くの森から水が溢れ出してきているようで、そいつが現場をドロッドロにしてイノシシ好みの立派なヌタ場に仕上げてしまっているんだ。


 念の為、水の出処を調べてみれば……案の定だ。

 土砂崩れは街道だけではなく、森を流れる大きな沢にもなだれ込んでいた。

 木々を巻き込んだそれは、沢に立派なダムを形成し、その脇から溢れ出た大量の水が街道に向かって新たな沢を作り出していたのだ。


 いやあ、こりゃ戦うのも大変そうだなあ……。


『お、見ろよカイザー。足跡が向こうに伸びてるぞ』

「森の奥に向かってるんようですね? 向こうに犯人のおうちがあるのかな」 


 パイロット達が言う通り、ヌタ場から森の奥へと向かって大きな足跡が続いている。

 そのサイズからすれば、バステリオンよりも大きな魔獣であろう足跡の主。


 奴が縄張りとして住み着いてしまっているらしい、この森こそが恐らく鹿の狩り場名物の調達先なのだろうな。


「足跡を見るに、沢筋に沿って森から現れ、ヌタ場で遊んだ後また同じルートで戻っていく……そんな感じだな。

 思ったより規則正しい行動を取っているのはありがたいが、お前達で何か気づいたことはあるか?」


 そう言われ、ビクンと身体を震わせた後、ワタワタと改めて周囲を確認するレニー。

 これは恐らく何も考えていなかった奴だなー? 調査に来ているのに、それはいけないぞ、レニー。


「そ、そうですねえ。あ! そうだ。あの沢、せき止められてて危ないですよね。大雨なんか降ったら鉄砲水になってもっと被害が広がりそうですよ」


「そうだね。彼処をなんとかしないと街道はぐちゃぐちゃのままになっちゃうし、レニーが言う通り新たな災害を呼び出す原因になりかねない。あれはそのままにしておくと危険だよ。それで、マシューからは何かないか?」


『…………』

 

「……マシュー?」


『カイザ~マシュ~寝てるよ~』

『腕組みして難しい顔のまま寝てる-』


「……オルトロス、コクピット内の重力制御をオフにして逆立ちしろ……」

 

 コクピットには重力制御が働いている。


 そのため、我々がどんなに無理な動きをしても中のパイロットが酷い事になることは無い。

 考えても見てくれ、リアルで設定で二足歩行のロボットが歩いたらどうなる?


 アニメのように跳んだり跳ねたりしたら、ましてや高速でキリモミ回転をしたり、高く跳躍して飛び蹴りなんて動きをしたら……中のパイロットがどうなるかわかるかい? 


 気持ち悪くなるどころの騒ぎじゃ無いよ。いくら安全器具で身体を固定していたとしても、Gの影響と言うのはどうにもならないだろう? 想像したくない程に……深刻なダメージを受けちゃうはずさ。


 なので、コクピット内はGの影響を受けないように、例え天地が逆になっても頭に血が上ったりしないように、ぶつけたりしないように……常にコクピット下面が下になるよう、重力制御が働いている……らしいんだ。


 ああ、仕組みなんかの詳しい話は聞かないでね? その辺りの設定も読み込んで知っていたはずなのに、思い出せなくて悲しいんだから!


 ……さて、それをオフにして逆立ちなんかしたらどうなるだろう?


「あ、シートベルトを外すのも忘れるなよ」

「うわー……あたし、何があっても居眠りしないようにしよ……」

『懸命な判断ですよ、レニー』 


『カイザーなかなかひどいことさせるよねー』

『ま~、マシュ~の自業自得なんだけどね~』


『『えー~い』』

「……ぬがっ!? うおおっ!? な、なんだ!? おーいってえ! 何が起きた? なんだ、敵か?」


 天井に頭から落ちたらしいマシューの目覚めの声が聞こえてくる。

 バイタルは若干暴れているが、大きな損傷はなし。せいぜいタンコブが出来るくらいだな。


「おはよう、マシュー。よく眠れたか? 作戦中に眠るとは良い度胸だ。流石マシューだな」

『へへ、褒めてもなんもでねえよ。しかし何が起きたんだ? なんか視界が逆さまになってるしよ……』

 

 褒めたわけじゃないし! まったくまだ目が覚めて無いのか? しょうがない奴だな……。


「オルトロス、戻って良し。ただし重力制御は体勢を戻してからオンにしてくれ」


『おっけ~』

『逆立ちもうおしまいかー』


「うおっ! な、なんだ? ぎぇえ、い、いってえー! 尻! 尻打った!」

「ははは、どうだ? 良い目覚ましになっただろう? ほらほら、目を覚ましたならお前も真面目に……」

『どうやらお遊びはここまでのようです。カイザー、オルトロス。身を低くして静音モードに入って下さい。レーダーが対象を捉えました』


 スミレの声に慌てて静音モードに切り替える。


 静音モード、それは機体の出力をギリギリまで抑え、外部に漏れる音を最小限に抑えるスニークモードだ。


 当然、このモード中は動くことはかなわないが、いざという時は即座に解除し、通常動作に戻れるので何かあったとしても問題はない。


 流石にこの状態で攻撃をすることはできないけどね。


「何か……地響きが……聞こえますね」

『こりゃあ……想像以上かもしれねえ……』

 

 ズズン、ズズンと辺りを揺らす地響き。バキバキメキリと、時折何かが折れるような音……音の方を見れば、森が大きく蠢いている様に見える。


 地響きに、森の蠢きに追われるようにしてバタバタと音を立て、空に向かって大量の鳥たちが飛び去っていく……これはあれだ――


 巨大生物登場演出だ……。


 ヌタ場の規模はかなり広い。その広いヌタ場がかなりの範囲にわたって使んだ、足跡からも推測ができたとおり、敢えて誰も言葉にはしていなかったのだけれども、やっぱりこれは……現実を……眼の前の存在を受け入れなければいけないな。


『目標目視可能まであと5、4、3……映像出ます……これ……は』


 スミレが絶句している。俺も絶句している、レニーもマシューも……皆言葉を失っている。


 現れたのは予想通りイノシシ型の魔獣だったが、凄まじいのはそのサイズだ。

 四足で歩く小山……そう表現するのがわかりやすい大きさだ。バステリオンもかなりのものだったけれど、こいつはさらにデカい。


 ゆっくりとした動作で全身を現したそれを計測すると……全長26.8m……長さだけ見ればまるで大型クルーザーが陸を歩いているかのようなのだけれども、イノシシ型というだけあり、長いだけじゃあない、横にも上にもデカい……どうだみてくれ全幅18.2m、全高14.6m……! 正直こいつはヤバい!


 こんな質量おばけに体当たりなんかされたら目も当てられない。

 異世界産のやたら頑丈な俺やオルトロスでも結構なダメージを受けてしまうだろうさ。


 ギルドで出会ったハンター達……機体を破壊されたとがっかりしていたけれど、こいつとやりあってそれで済んだのは幸いというか、素直に凄いと言えるよね……。


 そんなイノシシさんは到着するなり、さっそくの泥遊びだ。

 小山のような巨体がごろんごろんと転がるたび、地面が揺れ、地響きが辺りに響き渡る。

 俺達あれを討伐しにきたんだよなあ……マジかあ……。


 酒場で啖呵を切ったマシュー先生は一体どんな顔をしているのだろうな?

 非常に興味深く思ったので、少々意地悪だとは思ったけれど、こそっとオルトロスに頼みコクピット内の映像を回して貰った。


 そこに居たのは勇ましく敵機を見つめるマシューの姿……は無くて、目と口をぱっかりと大きく開き、呆然とした顔で小さくカタカタと震えていた。


 そうだよな……思ったとおりだよ。だってうちのコクピット内でレニーも同じ顔をしてるもん……。


『カイザー、マシューとレニーを観察するのは後にしてください。今はアレに集中しましょう。失礼ながら先に照会させていただきましたが、図鑑にそれらしき名前を確認できましたよ』


 そうだそうだ。そういや魔獣図鑑を取り込んでおいたんだった。

 ええとなになに……――


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 名前:ヒッグ・ギッガ

 全長:12m~18m

 主な生息地:ゲンベーラ大森林北部


 大森林北部、ルナーサ領スガータリワにほど近い旧ボルツ領内に生息するヒッグ・ホッグは最大でも6m程度の魔獣だが、数年に一度大型化した特殊個体が発見されることがある。通常種と比べ、脅威レベルが著しく向上することから、ギルドへの発見報告をする際、区別をするため、分類上は同種で有りながらも大型であることを現す「ギッガ」の名を冠している。


 長らく大型個体に至る要因が明らかになっていなかったが、魔獣研究者ルミィ・リプラ・ロッパー女史によりそれが判明。

 それによると、ヒッグ・ホッグは10頭から20頭の群で暮らす魔獣であり、その群内でも特に強い雄の個体がギッガ化し、群れを率いて雌や子を護る統率者となるらしい。


 その特性から原則的に一つの群れで1体のみがギッガ化されるのだが、極稀に2体の個体がギッガ化する事も確認されており、その場合は統率者の座を賭けた一騎打ちが行われ、敗北した個体がそれでも統率者に逆らう場合は群れから追い出されハグレ魔獣となるとのことである。

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 なんだか随分と読みごたえがあるな。チラッとしか目を通していなかったけれど、暇な時に読み物として楽しむのも悪くはなさそうだ。


 パインウィードのギルドで記録させていただいた地図には細かい地名は記載されていないが、領土の区切りくらいならわかる。


 恐らく大陸北部をごっそりと抱え込んでいるのが旧ボルツ領なのだろう。

 そこから東側がルナーサ、西側がトリバ。


 図鑑の説明からすれば、本来の生息地はパインウィードよりも大分東のはずだ。

 なるほど、ハグレ魔獣ね……こんな巨体でも敗北するとは……一体どんな怪獣大決戦が繰り広げられたのだろうな? あんまり想像したくないな……。


 しかし、随分と泥遊びが好きなようだな……先程からずっとゴロンゴロン、バシャンバシャンと転がり続けているぞ。

 これでメカっぽい見た目じゃなけりゃただただ巨大なイノシシにしか見えないな。


 イノシシが泥浴びをする理由はダニや寄生虫を落とすのが目的だけど、機械の身体にそんな物がつくとは思えない。


 魔獣となった身体でもそれをするのはただの名残なのだろうか? 

 もしかしたら案外そうなのかもしれないけれど、きちんとした理由があるかもしれないぞ。


 根気よく観察を続ける。この巨体を前にしては流石のマシューもウズウズするということはなく、安心してじっくりと観察ができるね。


 あっちへゴロゴロ、こっちへゴロゴロ。

 一体どれだけそれを繰り返しているのだろうか。ゴロンゴロンと転がるたび、ぬた場から蒸気が立ち上り、まだ日が昇って間もない時間で涼しいせいか、それが霧のように辺りに広がっていく。

 

 ……蒸気、か……。


 シュウシュウと音をたて、身体から湯気を立ち上げるヒッグ・ギッガをじっと見つめていると、スミレからスキャンが完了したと報告が入った。


 今回はこれ以上得られるものはなさそうだ。

 今日のところはこれで任務完了としよう。

 

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