電球蘇生活動


雨の音がする。

朝から空が元気なかったけど、

どうやら今日は泣きたい気分らしい。


わかるよ。

私もそんな時あるもん。

泣いた後なんだか笑えてくる通り雨みたいな時もあれば、

ずっと太陽と会えない梅雨みたいな時もある。

あれ、太陽ってどんな声してたっけ、って分からなくなる。

そして私の梅雨は日本の天候とは違って、一年に一度とは限らない。




ごろん、とベッドに寝転んで、天井を見上げる。

いや、嘘をついてしまった。

我が家にベッドはない。お布団だ。


もう一回やり直してもいい?

ごろん、とお布団に寝転んで、天井を見上げる。


照明を見上げると二重のドーナツのうち内側の小さなドーナツは息をしていない。

電球が一つ切れているわけだ。




コロナウイルスによる自粛要請で街がだんだん静かになった頃、我が家は真っ暗になった。

電球が生を全うしたわけだ。


ネット注文してもすぐには届かないし、私は心の中でごめんなさいと謝罪相手が浮かんでいないのに謝りながら家電量販店へ向かった。


謝ればいい、とは思っていないが、

罪悪感を口にせずにはいられなかった。

不貞を働いた芸能人の謝罪会見もこんな感じで開かれているのだろうか。




往復30分歩いて何か悪いことをしている気持ちを抱えながらそろり足で家電量販店内を探し回った甲斐も虚しく、

帰宅後電球は一つしか回復しなかった。


なぜ内側の電球はつかないのか?

接触が悪いのか?

しばらく内側の電球の蘇生活動を続けたが、引き上げてしまった。


やむを得なかった。

私の腕は限界だったのだ。

これ以上の活動が二日遅れの筋肉痛という大きな損害を招くことは明白だった。




だらん、と床に突っ伏した後、

再び天井を見上げると、

なんだか外側の電球に「俺だけで十分だろ」と言われている気がした。


ふと「人という字は人が支え合って〜」と言うものまね芸人の声が脳内に響いた。

昔からよく聞く言葉ではあるが、私は小学生の頃から「いや、1人怠けてるじゃん」と心の中で突っ込んでいた。


土台になっている右のはらえの真面目で直向きな性格をいいことに、左は楽をしている。


宿題を忘れれば右のはらえにノートを見せてもらう。

職場で同じチームに配属されれば、右のはらえがせっせと動く中、左は先方へ電話をしている風を装いその場から離れ、右のはらえに全てを任せる。




小学生の私は確かに賢かった。

表向きは「支え合う」姿を装いながらも、その実ずる賢い人間がスルスルと苦労を掻い潜っていくこの世の仕組みに気づいていたのだから。




ただ、私を上から見下ろす外側の電球と対面して、小学生の頃の私共々負けた気がした。


なんだか虚しくなった。




あれから1ヶ月以上経ったのに、

まだ内側の電球は黄泉から帰らない。

行きは良い良い、帰りは怖い、である。


蘇生活動は多大な労力と気力を必要とするため、活動できる時期が限られる。

しかし、これからも活動は続けていくつもりだ。


助け合うのが、人だから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る