第一章 私、異世界転職しました! 第一話

「私を、こちらで働かせてください!」

 黒髪のショートボブが、頭を下げると同時に彼女の顔にパラパラとかかった。この国──、エルバニア王国ではめつに見ない、黒くて美しい髪だ。

「私は、エルバニア王国だけでなく、シュヴァリエ王国も救いたい。このユグドラム大陸のために戦う、義勇軍の力になりたいんです。私にできることは……、事務仕事がメインになるかと……!」

「わ、そんな! 頭を上げて!」

 のうこんの髪色の青年は、さわやかな笑みを浮かべて、彼女をえた。まだ二十歳はたちにもなっていないであろう若い青年だが、彼には人をようする権限があった。何をかくそう、彼はユグドラム大陸の平和のために戦う義勇軍のリーダー、勇者フォルテである。

「クリス様が連れて来たんだ、間違いないよ。それに、瞳を見たら分かるよ。君はいい人だ」

 勇者フォルテは、こんきよはないが自信に満ちた言葉を発した。

「これからよろしくね。えっと、名前は……」

「清原しいなです!」

 清原しいなが新社会人となってから三年後──。しいなは異世界で、転職の採用面接を受けていた。エントリーしたのは、義勇軍の商人隊のマネジャー職だ。

 エルバニア王国、シュヴァリエ王国、それらの大国をようするユグドラム大陸といえば、しいなが大好きな《ユグドラシル・サーガ》──、けんほうが溢れるくうのゲームの世界だ。

 しかも今、目の前には、み深いゲームのキャラクターたちがいる。広がる景色も、せまいアパートやしらかべの事務室ではなく、疑いたくなるくらい爽やかな青空と、あざやかな緑の草原に立ち並ぶ天幕だ。そう、ここは日本ではなく、ゲーム異世界なのだ。

 何故なぜ、しいなが異世界で転職活動をしているかというと、それには不思議なえんと導きがあったからである。


    ◇◇◇


 元々、清原しいなは、小さな町の総合病院である優生会山川病院の事務員であり、用度課という、物品管理の部署に所属していた。新卒から勤務を続けて三年ち、ようやく仕事の要領をつかみ、院内のシステムにみ人間関係も築けてきて、戦力として数えられるようになってきたと感じていた。「真面目まじめけんじつに頑張れば、誰かの役に立てる」というのがしいなのかかげるモットーであり、それはこの三年間ぶれてはいないつもりだった。

 しかしある日、予想外の出来事が起きた。

「当院は、天羽あもうかい病院に吸収されます」

 用度課の課長の言葉に、しいなは耳を疑った。

「え! うちの病院、なくなるんですか?」

「なくなるのではありません、吸収がつぺいです。理事や経営方針は変わりますが、私たちがリストラされる訳ではないですから。これまでと同じように、頑張ればいいわけだから」

 しんりようをいくつか閉科したり、入院びようしようを減らしたりと、山川病院がコストカットにじんりよくしていたことは知っていた。また、しいなの所属する用度課も、できるはんでより安い資材の仕入れや、院内の職員への物品使用の節約のうながしなど、理事たちから指示を受けていた。

 だが、その努力もむなしく、山川病院は別の法人に経営をゆだねることになったのだ。そのことは、平職員のしいなにとっては全く実感がわかない出来事で、まるでドラマや映画の中の話のように感じていた。

「そう、ですよね。私たちがかんじやさんのために仕事をするのは、変わらないですもんね」

 その時のしいなは、なおに課長の言葉を信じていた。入社してからめんどうを見てくれた上司を、しいなはそれなりにしたっていたからだ。

 しかし、この課長はひと月の内に、げるように転職していった。おそらく、病院が吸収されると分かった段階から、準備していた転職だったのだろう。退職や転職の権利はだれにでもあるが、ギリギリまで知らされなかった部下としては、しようげきは小さくなかった。

 しいなは、なんだか捨てられたような気持ちと、早い者勝ちみたいに逃げて無責任だとおこりたくなる気持ちが入り混じり、胸中はモヤモヤとしていた。

 だからこそ、しいなは病院吸収後も、変わらず真面目に堅実に働こうとした。そうすれば、新しいかんきようでもやっていけると信じていたからだ。

 だが、新しい上司にとっては、そんなことは関係なかったようだった。

 用度課の新しい課長は、天羽会病院の元総務課係長であり、物品管理に関しては完全に素人しろうとだった。そのため、業務に関する指示やフォローはかい。代わりにあるのは、天羽会病院から連れてきた部下との私語と、山川病院組へのじような説教や、無視といったいやがらせの数々だった。

えろ、耐えろ、私」

 しいなは、日々自分に言い聞かせながら、作りがおを仮面のようにり付けて仕事をこなした。つらくても、上司からの冷たい視線やかげぐちは、その人のキャラクターとしてまんしようと、見えないふりと聞こえないふりを続けた。

 そうして、心をざした機械のように仕事をしているうちに、しいながホッとできる時間は、高校生の時から大好きなRPGゲーム、《ユグドラシル・サーガ》をプレイしている時と、となりに住んでいるくりおばあちゃんからの差し入れのおかずを食べている時だけになってしまっていた。

「最近、元気がないね。しいなちゃん、何かあったのかい?」

 職場のどうりようせんぱいも次々に退職し、誰にも不満やなやみを相談できないしいなに、栗栖おばあちゃんだけはやさしく接してくれた。しいなが残業で帰りが遅いにもかかわらず、温かい笑顔で「おかえり」と言いながら、おかずのぎっしりまった容器を差し出してくれるのだ。それは、自宅と職場をたんたんと往復するだけのしいなにとっては、とてもありがたいことだった。

 そして、美味おいしいおかずを食べながら、大好きなゲームをする──、とくに、最愛のしキャラであるヴァルドロイを強く育成する時間が、しいなにとっての至福の時だった。

 ヴァルドロイは、ゲームを始めた当時高校生だったしいなのはつこい相手といえるキャラクターであり、その姿、そのボイスはいやしそのもの。エネルギーの源であり、心の支えだった。好きすぎて、もうゲームを何周プレイしたかは覚えていない。

「えへへ。仕事がいそがしくって、ちょっとつかれたみたい。栗栖おばあちゃんの差し入れと、ゲームで元気回復するから、だいじようだよ! ありがとう」

 と、しいなは明るいけれども、ぎこちない笑顔を栗栖おばあちゃんに返した。

 しかし、正直に言うと、しいなはギリギリの状態だった。毎日毎日、ぼうだいな量の仕事とかくとうし、仕事をしない上司からは圧力をけられ、居場所はないに等しかった。ただ、しいなが仕事をめなかったのは、上司や職場に対する意地と、自分はもっとがんれるはずというのろいのようなプレッシャーだった。

 そんなきんちようの糸がピンと張りつめた状態が続き、残業でどんどんゲームをする時間もなくなってきたころ、しいなは上司に呼び出された。

「清原さん。看護部からの物品らいリスト、提出してないよね?」

「えっ? 私、先週末に課長におわたししました。課長はその場で引き出しにしまわれていて……」

「いや、知らないし。俺が、清原さんから受け取った覚えがないって言ってるんだから、ないんだよ」

「そんな……。私、たしかに……」

 しいなは嫌なあせをかきながらも、必死に頭を回転させた。そして思い出したのは、念のために課長の受け取り印を押してもらい、その書類のコピーをファイリングしていたことだ。

「そうです! ひかえを取っています。そこの青いファイルの中にあるはずです!」

「はぁ? あーりーまーせーんけど? ほら、君の言ってたファイルすらない」

 しいなは、不自然に空になっているファイルだなを見せられ、上司の態度にいきどおりを感じずにはいられなかった。これは、意図的にしいなをおとしいれようとしているとしか思えなかった。

 くやしい! 悔しい!

 しいなは、そんな言葉を飲み込もうとしたが、課長のストレートな言葉だけは、耐えることができなかった。

「清原さん、責任の取り方はさすがに分かるよね? 君の馴染みの同僚も、先輩も辞めてるよ。君の代わりはほかにもいるから、安心して」

 それはまさしく、山川病院出身者を退職に追い込みたい、という意図がけて見える発言だった。

 しいなにはいつしゆんだけ、心を殺して耐えるというせんたくかんだが、とうとう我慢の限界に達してしまった。

「そんなこと分かってます! わざわざ言われなくったって!」

 しいなはき捨てるように言うと、そのまま病院を退職することを決意した。

 もう、自分がいなくても、いや、むしろいない方が良かったのだ。自分にしかできない仕事なんてありはしない。機械や歯車のように仕事をしていたのだから、当然だろう。入社当初にいだいていた熱意や希望も、今となってはまぼろしのように感じてしまう。

 そして、次におそってきたのは、今後への不安だ。「やってしまった」と思うことはもちろん、事務職にとって就職難のこのご時世に、先の見通しなく無職になってしまったことは、生活的に非常にまずい。

 課長には明日あしたから来なくていいと言われ、キリのいいところまでは有給きゆうてることになったが、それも一週間程度の話だ。身のり方を早急に考える必要がある。

 その一方で、自分でも、あのようにとつぱつ的に退職を決めてしまったことにおどろいていた。勢いで退職するほど、自尊心が大きかったのか。誰かに認められたい、必要とされたい、自分の中でそんなしようにんよつきゆうが、ここまでくすぶっていたとは思っていなかった。

「《ユグドラシル・サーガ》みたいにはいかないなぁ」

 ゲームのキャラクターは、誰かのためを思い、仲間としんらいし合って、自分にしかできないことを成していく。その人の代わりなんていないということは、今のしいなには心底うらやましかった。

 そしてしいなが、なまりのように重い足取りでアパートの階段を上っていると、お隣の栗栖おばあちゃんが現れた。

「おや、今日は帰りが早いね。早退かい?」

「栗栖おばあちゃん、ただいま。ちがうんです、仕事、辞めることにして……」

 無職になるんです、と力なく笑うしいなだった。が、栗栖おばあちゃんは逆にうれしそうに、目をかがやかせていた。

「へぇ、しいなちゃん、あの病院辞めたのかい! 吸収されてから、評判悪かったしねぇ。そうだ。良かったら、わたしの知り合いに口をきこうか? 二十人そこそこの会社なんだけどね、物品の管理者をしゆうしてるのさ!」

「ぶ、物品の管理だったら、今までの仕事の経験をかせるかもしれないけど……。おばあちゃん、そこは何ていう会社なの?」

 ぐいぐいせまってくる栗栖おばあちゃんにあつとうされつつも、しいなはその話に食い付いた。

 どうせ転職先のアテがないのなら、信用できる人のしようかいというのも悪くない。今は、一つでも可能性を広げておきたい気持ちだった。

「ギユウグン株式会社さ。今ちょうど、わたしの家に責任者が来てるからね、会っていったらどうだい?」

「ギユウグン株式会社? 初めて聞くぎよう名なんだけど、どういう会社……、って、おばあちゃん! 待って! 面接の準備なんて、ぜんぜんできてないから!」

 あわてるしいなをよそに、栗栖おばあちゃんはどんどんと自室へと、しいなを引っ張って行った。老人とは思えない力の強さだが、老人らしく耳が遠いのか、しいなの言葉は丸っきり無視である。

「さぁ、しいなちゃん。入って入って」

 せめてしようくらい直させてくれ! とさけびたかったしいなだったが、栗栖おばあちゃんの部屋に入って、改めて叫んだ。

「えぇ! うそでしょ?」

 そこは、自分の部屋と間取りが違うというレベルではなかった。映画や歴史の資料集で見るような、布でできた天幕の中だったのだ。

「え、栗栖おばあちゃん、リフォームしてるの?」

 しぼり出した言葉は、しいな自身も的外れだとは思った。なぜなら、目の前にいるギユウグン株式会社の責任者は、ゲーム《ユグドラシル・サーガ》に登場する主人公──、勇者フォルテだったからだ。

「うそ? フォルテがいる!」

 しいなは信じられない光景に、気絶するおもいだった。

 のうこんかみさわやかながおちつじよえたりよくを持つという無法のけんイリーガルソードが、しいなのおく内のフォルテといつした。どこからどう見ても、ゲームで見慣れたキャラクターだ。

 どうして私の前に、二次元イケメンがいるの? 《ユグドラシル・サーガ》は、いつの間にVRゲームになったの? と、しいなは混乱せずにはいられない。

「あれ、これはげんかく? それとも私、死んだ?」

「僕が見る限り、幻術異常もないし、HPの減りもなさそうだけど……。じよ様、彼女はどこか具合が悪いのかい?」

 フォルテは栗栖おばあちゃんを、「魔女様」と呼んだ。そのことにしいなは驚いて、栗栖おばあちゃんを振り返った。

「びっくりさせちまったね。わたしは、ここいらじゃ、【導きの魔女クリス】、なんて呼ばれてるんだ。エルバニア王の相談役でね、義勇軍を助けるように命じられているよ」

「えぇぇぇぇっ?」

 栗栖おばあちゃんが、魔女! ゲームには登場しなかったよねっ?

 でも、かたきとフォルテの反応的に、すごくえらい人なんじゃない?

 しいなは単純な情報しかさばききれず、口をぱくぱくさせた。

 ここは夢の中ですか? ゲームの中ですか? それとも……。

「ここはユグドラム大陸のエルバニア王国。あんたにとっては、見知った異世界ってところさ! どうだい? 心機一転、義勇軍に住み込みで働いてみないかい?」

 全力でまどうしいなに対し、クリスは、肩をポンとたたきながら笑いかけた。

「異世界ぃっ? 働く?」

 正直、訳が分からない。おとなりさんが魔女で、付いて行ったら大好きなゲームの世界で、しかも住み込みで働かないかとかんゆうされている。

 異世界って、トラックに引かれたり、なぞほうじんしようかんされたりして行くものかと思ってた! あくまでも、小説とかアニメの話だけど……。でも、まさか私が? 信じられない。

 クリスから提示された就労条件は、勤務時間が八時三十分~十七時三十分、きゆうけい一時間。週休二日。衣食住保障あり。物品管理なので前線で危険にさらされることはないが、命に関して絶対の保証はなし。給料はやや少ないが、エルバニア王国から安定して給付される。大陸のための仕事なので、やりがいと達成感は計り知れない……、というものだった。

 そこでしいなは、ハッとわれに返った。

 くつは全く分からないが、これはチャンスに違いないのだ。新しい世界でリスタートを切るためのチャンスが、目の前に転がっている。しかも、企業研究はばっちりだ。

 異世界転生? 違う、異世界転職だ!

「私を、こちらで働かせてください!」

 しいなは、ガバッと頭を下げて叫んだ。ほとんど反射的なスピードだった。

「私は、エルバニア王国だけでなく、シュヴァリエ王国も救いたい。このユグドラム大陸のために戦う、義勇軍の力になりたいんです。私にできることは……、事務仕事がメインになるかと……!」

 今度こそ、自分にしかできない仕事がしたい。代わりがいるなどと、言われたくないと、しいなは強い想いで転職を志願した。

 そして、その熱意が伝わったのか、フォルテは力強くうなずきながら「ぜひたのむよ」と、採用を決めてくれた。

「これからよろしくね。えっと、名前は……」

「清原しいなです!」

「そうか、シイナだね。危険な旅になるけど、僕たちが守るから後方えんは頼むよ」

「無事に、面接しゆうりようだね。良かった良かった」

「ありがとうございます!」

 フォルテとクリスの言葉に、しいなはホッと胸をで下ろしたものの、ドキドキした気持ちは収まらないままだった。なにしろ、ここはあこがれの《ユグドラシル・サーガ》の世界であり、どこかにはつこいのあの人がいるはずなのだ。

 ヴァルドロイ。しいなの最愛の魔法剣士だ。

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