三十八
カサカサカサカサ。一枚の紙が風に押され、歩道の上を駆けて行きました。シルバーカーの座面に腰を掛けていた夢が手を伸ばしたのですが届きませんでした。
「行っちゃった」
夢はそのまま丘を下る紙を眺めていると、タタタタタと石畳を蹴る音が聞こえてきました。夢が振り返ると、丘の上から勢いよく走ってくる若い女性がいました。
「もおおおおぉぉ」
そう声を上げながら紙を追いかける女性は夢の前を通り過ぎ、そのまま丘を下って行きました。今日は風が強いので、飛んでゆく紙を追いかける女性も大変そうでした。
春一番が吹いたとの知らせを聞いた時、明日から少しずつ温かくなるのかもと夢は安心していたのですが、どうやらその次の日は寒の戻りが起こりやすくなるそうです。春一番。名前の割りには厳しい現象です。
足の疲れが取れた夢は座面から腰を上げ、シルバーカーのブーレーキを解除すると、またゆっくりと丘を登り始めました。一歩ずつ、一歩ずつ、歩くその足取りは慎重です。
そうして夢が歩いていると、一台の軽トラックが夢の横を通り過ぎ、少し先の路肩で止まりました。
「ケンちゃん?」
その場で立ち止まった夢がトラックを見ていると、車道側の運転席からケンジが降りてきました。ケンジはいつもの作業着と長靴で、夢を見つけると笑顔で駆け寄ってきました。
「夢、おはよう! 上行くんやろ? 乗ってけ!」
思いもしなかったケンジの話に夢はキョトンとしてしまいました。
「丘越えたとこの店の注文が増えてな、行きと帰り時間合わせて一緒に行こ!」
そしてケンジは「ほら」と声を掛け、夢を導こうとトラックの方へ歩き出すような素振りを見せました。ケンジが自分を想ってしてくれている事だと気付いた夢は「うん」と頷くと、トラックに向かって歩き出しました。続けてケンジも夢からほんの少し遅れるようにして歩き出したのですが、それを確認した夢は突然振り向き、細めた目でケンジの顔をジッと凝視しました。
「ケンちゃん嘘付いてない?」
「何がや! 何でや!」
ケンジは大袈裟に声を上げると夢に驚いたような表情を見せました。
「気使ってない? 配達とかホントなのかしら?」
夢は意地悪っぽくそう言うと更に目を細め、そんなケンジを凝視しました。
「使うかいなぁ!」
ケンジはそう断言すると夢にニカッと笑顔を見せ、更に話を続けました。
「んなめんどくさい事するかいな! 嘘? 気使う? わしが?」
話せば話すほどケンジの顔がニヤニヤとした笑みに変わって行ったので、それが可笑しかった夢は思わず笑い出してしまいました。
「ケンちゃんには難しいわ、確かに」
「んん? 何や知らんがアホのニュアンスが入っとったような気がするけど」
ケンジにそう言われた夢はまた笑い出してしまいました。
「うそ! 気のせいだからケンちゃん! でもありがとう。私本当は嬉しいの!」
「そやろ?」
そして二人は笑顔のまま、丘の頂上へと向かって行きました。
いつも笑顔の二人は幼い頃からの親友です。そして今日から夢が丘の頂上へ行く時は、ケンジがトラックで連れて行ってくれることになりました。
トラックはラムネの瓶と二人を乗せて、ゴトゴト、ゴトゴト、石畳の上を走ります。
トラックは二人の笑顔と会話を乗せて、ゴトゴト、ゴトゴト、丘への道を走ります。
それはミロクおばあさんがしてきた事。
それはミロクおばあさんが続けたかった事。
ケンジはおばあさんに変わって続けたかった、ただそれだけなのです。
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