十九
夢はおばあさんの家の前で、道に落ちた小石のように力無く立ち尽くしていました。呼吸する事さえ忘れ、友達を失った悲しみの中へ沈み込んでしまっているのです。
呼吸を戻した夢は歩き出し、玄関のドアを開けました。
「夢か」
夢が顔を上げると、玄関の上がり框にケンジが座っていました。
午前中に行われた葬式にはみんなで参加しました。おばあさんが疲れてしまわないようにと思い、ケンジと夢はおばあさんと一緒に先に帰りました。おばあさんとケンジはそのまま家に居てもらい、夢は葬式の片付けをしに斎場へ行っていました。
「ありがとう」
夢がそう言うとケンジは立ち上がり、静かに話し出しました。
「なあ、夢」
ケンジは、重い視線を落としうつむいている夢を優しく見つめました。
「オッカは大丈夫やけど、夢は心配やから頼むってミゲロに言われた」
表情が崩れた夢は両唇を噛み、涙をぽろぽろと流しました。夢の、押し殺してももれてくる泣き声だけが、音のない玄関に響きました。
ケンジは浅く深呼吸し、視線を遠くへ向け、そしてまた夢を見つめました。
「夢。元気出せとは言わん」
ケンジはうつむき、そしてまた夢を見つめました。
「また笑ってくれ。あいつが先に行った事、それを受け入れた後の笑顔を見せてくれ。じゃないと、自分の事でこんなに悲しんどう夢に何もしてやれんあいつがつらそうや」
夢は目元を何度も何度も拭うのですが、瞳から溢れる涙は止みませんでした。
ケンジは、泣いて小さくなった夢の背中を、落ち着くようにとそっと撫でました。
「夢。もし自分やったらどう思う」
夢は袖口を強く目元に当て、泣き声を呼吸に変え、ケンジの言葉に心を向けました。
「もし自分がおらんなって、大切な人がずっとずっと泣いて苦しそうにしとったら」
ケンジは言葉が詰まりました。少し間をおいて小さな呼吸をし、また話し始めました。
「夢は声もかけられへん、触れる事も出来ひん。相手は一人で真っ暗なとこおって、泣いてんのを見る事しか出来へんねん。夢やったら、つらくないか?」
すると夢の心の中に、一人ぼっちになった母の姿が浮かんできました。夢の胸の奥にズキズキズキと悲しみが刺さり、新しい熱い涙が溢れてきました。夢は、振り絞るように頷きました。ケンジは頬笑み、温かい目で夢を見つめました。
「今でもあいつの幸せを願うんやったら、夢には出来る事はようさんあるはずや」
「うん」
夢は呼吸をし、あるだけの力で、自分を包む悲しみを照らせる光を探しました。前向きになれそうな光を見つけ、暗くなり、また見つけ、また暗くなり、そうやって少しずつ心に未来を見せてゆきました。未来を見るということは、ミゲロの居ない世界を受け入れるという事です。前を向けば悲しみがあり、その悲しみから逃げずに向き合い、天国に居る幸せそうなミゲロを想い。夢の中にそんな世界が広がって行きました。
心のこもったケンジの言葉が、夢の胸の奥で温かな気持ちになりました。
夢は両袖でゴシゴシと頬を拭うと、鼻から息を吸い、しわくちゃな笑顔をケンジに向けました。
「うん」
それは、夢の素敵な返事でした。
そしてケンジもまた、そんな夢の笑顔に元気を貰いました。
「きっと、これからも、泣くと思う。けど、私頑張るわ」
「おう、頑張ろな」
ケンジは夢の背中にポンポンと優しく触れました。
夢に笑顔を向けたケンジは玄関の扉を開け、みんなの居る斎場へと歩き出しました。
夢は深呼吸を一つして、靴を脱ぎ、玄関を上がりました。玄関から部屋に続く廊下に入ると、時が止まったかのような重い無音が満ちていました。外の音も聞こえず、人の音も聞こえません。夢は廊下を少し歩き、部屋に掛かる暖簾の前で足を止めました。暖簾は半分開いていて、おばあさんの居る部屋の中が見えました。ベッドの上部は起き上がっていて、おばあさんは座った状態になっていました。部屋の中から人工呼吸器の動く音が聞こえました。
シュー、シュー、シュー。人工呼吸器の音が鳴っています。
シュー、シュー、シュー。おばあさんの呼吸の間隔は、少し短くなっていました。
夢はつい、暖簾の陰に隠れてしまいました。
おばあさんの瞳から、ぽろぽろぽろぽろと涙がこぼれていました。涙で呼吸が整わなくなり、それに反応した人工呼吸器が不規則に呼気と吸気を繰り返していました。回路から聞こえる呼吸の音が、今のおばあさんの涙の声なのです。
夢は目蓋を閉じました。また溢れ出しそうになった悲しみを、今だけ、ミゲロの笑顔で蓋をしました。今、夢の前に居るのは、うつむきながら涙を流すおばあさんです。下を向いてしまったおばあさんの頭は自力では戻せないので、夢が起こして上げなければいけません。
「よし、行こう」夢がそう呟いた瞬間、玄関の扉の開く音が聞こえました。
「夢」
おばあさんの家に来たのはオッカでした。
思いもしなかったオッカの姿に、夢は頬に一筋の涙を流しました。
「オッカさん」
オッカは頬笑むと、夢の頬に残る涙を親指で優しく拭いました。
「さっきより大丈夫そうだ。あいつも意外に役に立つんだ」
「ケンちゃん?」
オッカが笑顔で頷くと、夢の頬から笑みがこぼれました。
「行こうかい、夢。あたしらなら大丈夫さ。姉さんをとびっきりの笑顔にできるのさ」
オッカの言葉に夢はキラキラとした笑顔で頷きました。
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