変化の秋

第21話 褒められたくて

 秋になって、小町に変化が現れた。

 それは、痩せた事だ。

 食欲の秋だというのに逆に痩せたのは何故なのか。

 それは、夏休みに海に行った帰り道での事だった。

 俺と小町は、帰り道を歩いている時。

 小町が、急に俺の袖を掴んで止まったのだ。

 俺は少し驚いたが、落ち着いて後ろを向いた。


『どうした小町。トイレか?』


 小町は首を横に振った。

 確かにその時、彼女に尿意を催している感じはしなかった。

 だからこそ、分からなかった。

 何故急に立ち止まったのか。


『先輩。小町、今日先輩がサレンちゃんの体を触っていたの見ました』

『うぇ!?』


 サレンという名前が誰だか分からなかったが、俺が体を触ったのはギャルAだった。

 ということはギャルA、サレンの体を無意味に触っていた瞬間を見られていたのだろうか。

 そう思った。

 確かに、あの時小町は俺の方を見ていた。何をしていたかは見えていたのだろう。

 だとしたら、弁解しなければと思い、口を開けた瞬間だった。


『小町、それについて何も聞きませんでした』

『え?』

『それに、最初に海に着いた時にミサちゃんと何か喋ってるのも見たけど、それについても聞きませんでした』


 何が言いたいのだろうか。

 そう思っていたら、小町は袖を掴む力を強めた。


『だから、だから。偉いと思わないのかなぁって思っただけです』


 その時、小町の行動の意味を理解した。

 彼女は褒めてもらいたいのだ。

 いつも頑張っているけど、今日も頑張ったよ、偉い? そう言っているのだ。

 俺は何だか無性に小町を撫でたくなり、小町の頭に手を置こうとした。

 だが、それは直前でやめた。先輩の手紙を思い出したのだ。

 手紙には、小町が褒めてほしいと間接的に言ってきても褒めてはいけない、という旨の文が書いてあった。

 

『先輩?』


 撫でられる準備万端で、頭を傾けていた小町が上目遣いで俺を見てきた。

 褒めてくれないの? と言わんばかりの悲しい目をしていた。


『そ、そうだなぁ』


 なんて言えばいいか迷った。 

 褒めてあげたいが、ダメと言われている。それは彼女のためにはならないと。

 俺は、考えたが何も思いつず、だんだん焦ってしまっていた。


『こ、小町! 今日のみんなの水着すごかったな!』


 そして、話題変更という強硬手段に出る事にした。

 だが、パッと思いついたのがギャル三人組の際どい水着の事だったため、とても気持ち悪い話題を提供してしまった。

 俺が直視できたのは、小学生のスク水姿みたいだった山茶花と、水着の上にTシャツを着ていた小町だけだ。

 そう、俺はちょっとしか見ていないのにその事が頭にこびりついていたのだ。

 

『え? 水着? あぁ、ミサちゃん達のえっちな水着ですか?』

『そ、そうそう! まさかあんなに露出するとは思わなんだ! ガハハハ!」


 もうどうにでもなれとやけくそになっていた俺は最低な発言をして、下品な笑い声をあげた。


『でも小町、ああいうの憧れます』

『そうか! 着てみるといいんじゃないか!?』

『へ!? む、無理ですよぉ! 小町、太って……なんでもないです』

『太ってるぅ? 痩せればいい! 痩せるのは大変な事だけどな!』


 思考を停止していた俺は、小町への失礼発言にも気づかずに痩せるという事を提案した。

 

『大変!? 今、大変って言いました!?』


 小町は俺の失礼発言よりも、そこが気になったみたいで、そう聞き返してきた。

 俺は、もう一度言うが思考をロックしていた。

 だから。


『あぁ、大変だ! ランニングして、筋トレして、食事制限して! これが出来る人はすごいよなぁ! 俺には真似できないよ!」

『小町痩せます!』

『あぁ、いいんじゃないかぁ?』

『はい! ここから走って帰ります!』

『おう! 頑張れ!』

『はい!』


 小町が走り去っていくのを俺は笑顔で見送った。

 そして、我に帰ると、一言。


『小町? 痩せるって言った?』


 小町は次の日には変わり始めていた。

 朝迎えに行ったら、走りに行って帰ってこないと言われ、頑張って捜索をしたのを覚えている。

 結局小町宅に戻ったら、家の前で準備万端の小町が立っていた。

 食事もお重箱見たいな弁当箱から、可愛らしいウサギの小さな二段弁当に変わった。

 放課後も目の前で筋トレをやり出したり、コンビニによってもお菓子も買わなかったり、目に見えた努力をし始めた。

 聞けば、夜に筋トレ、寝る前もストレッチとかなりストイックにやっていたそうだ。

 そして、二ヶ月経った現在。

 前まで俺の中での印象は「丸くて可愛い感じ」だったのだが、今は「すらりとしてるけど、出るとこ出てる(もちろんいい意味で)」になった。

 何だか身長も伸びた気がする。五センチくらいだろうか。

 脅威のスピードである。成長痛を発症しないか心配になるほどだ。


「先輩?」

「ど、どうした?」


 顔にも筋肉がついたのか、何だかキリッとした顔立ちになった気がする小町。

 それは、どことなく先輩を思い出させる顔だちで、見る度に少しドキッとしてしまう。


「いや、なんでぼーっとしてるのかなって?」

「え、あぁ。ちょっと考え事をな」

「もう、先輩が考え事している間に、ほら。小町、もう食べ終わっちゃいましたよ?」

「そ、そうか。じゃ、寝てるか?」

「またまたぁ! 食べた後に眠っちゃうと太るんですよ? いつも言ってるじゃないですかぁ!」

「だ、だったな。はは」


 俺は、白米を流し込むようにかき込んだ。

 おかずも、米が口に残っているというのに詰め込んでいく。

 それを、お茶で流し込んで完食した。


「あ! 先輩! 早食いは太っちゃうんですよ!」

「あはは、すまんすまん。待ってると思って」


 もちろん違う。

 自分を見失わないようにするためだ。

 

「もう! ゆっくり食べててください! そういう時、小町は本読んでますから!」


 小町は持ってきていた本を俺に見せた。

 そう、小町は読書もするようになった。

 夏休みのあの日から西井美咲以外の文芸部も小町に絡むようになり、彼女に何かと本を薦めていた。

 最初こそ嫌がっていた小町だが、だんだんと面白さに目覚めていったのか、今では携帯するほどにハマっている。


「そうだな! ちょ、ちょっとトイレ!」


 俺は逃げるようにその場から去った。


「いってらっしゃーい!」


 小町の呑気な声とは正反対に俺は内心、とても焦っていた。

 いや、焦りとは違う。この気持ちはなんだろう。

 小町が変わった姿を見ると、嬉しいはずなのに、辛い。

 俺は無人のトイレに着くなり、個室に入って鍵を閉め、洋式トイレの蓋の上に座った。

 俺は考える。

 小町が積極的に運動を始めてから、目に見えて物理的な成長が始まった。

 精神面での成長はまだ分からないが、着々と進んでいるのは確かだろう。

 多少ぽっちゃり気味でも美少女だったのに、今となっては先輩を超えるかもしれないくらいに美しい。

 徐々に変わっていく姿を見ていたためあまり気が付かなかったが、俯瞰してみると、とてつもない変わりようである。

 思えば小町はこの二ヶ月間、妥協という事を一切している様子がなかった。

 本能に忠実な彼女がここまで頑張れるなんて、ちょっと驚きである。

 どうやら、小町は暴れる本能を気持ちで超えるくらい頑張れる人らしい。

 食事、睡眠、性行為。

 人間の持つ欲求の代表的なものだ。

 小町は前の時点では、この内の二つにとても忠実だった。

 食事の後の眠気に抗えないのだ。

 今はどうだ。

 痩せるためだからと言って、あそこまで強かった欲求を抑えられるものなのか?

 そんな事を考えていると、個室の外から声が聞こえてきた。どうやら誰か来たようである。


「一年の笹原小町、やばくね?」

「なんか、印象変わったよな。スポーティーって言う感じ?」

「健康的なあの体、まじエロいわ」

「前も良かったけどさ、より深みが増したよな。まさにボンッキュッボン」

「それなぁ。いつも近くにいる彼氏、まじ羨ましい」

「あれ、彼氏じゃねぇらしいよ。付きまとってるだけみたいな?」

「は、まじ? キッショ」


 男子達は誰かが個室にいる事に気づいていないらしい。

 ここは穏便に済ますためにも、彼らが出ていくのを待とう。

 あまり、長く居ると小町に心配されてしまうし、さっさと出ていって欲しいものだ。


「はー、高嶺の花だわ、まじ。届かねー!」

「でもさ、なんか女子が言ってたけど、ヤリマンらしいよ」


 今なんて言った?


「は!? まじ!? じゃあ一発頼んでみようかなぁ」


 小町がそんな風に噂されてるなんて初耳だぞ?


「一発千円らしい」


 そんなはずないだろ。小町はほとんど俺と一緒にいるんだ。そんな事やる暇ない。


「いいのか!? 安くね!? やっぱヤリマンなだけあるわ」


 落ち着け。今出ていったら、面倒くさいことになる。襟首掴んで聞き出したいところだが、そんなことしたら小町が悲しむ。

 それだけはダメだ。


「でもさ、あいつがいて邪魔じゃね?」

「一人のところを狙うのよ。わかってねーなぁ?」


 俺はそれを聞いて個室の扉を勢いよく開けた。


「「うぉ!?」」


 急ぐ先、それは小町の元だ。

 俺がいなくなった事により、誰かに接触されかもしれない。

 純粋な小町のことだ。余程怪しい人でない限り、ついて来いと言われたらついていくに決まっている。

 人気のない場所に連れて行かれても何も疑わないだろう。

 まずい。

 逃げたいからという理由で離れるんじゃなかった。

 ようやく中庭に戻ってくると、小町が誰かと話しているのが見えた。

 男子二人組だ。


「ストーー─プッ!!」


 俺は叫びながら小町とその獣達に走った。


「あ、せんぱーい! まも君としろ君ですよ!」

「へ?」


 急ブレーキ。


「まも君としろ君?」


 俺は呼吸を整えながら、男子生徒の顔を見た。


「何だぁ! そんな急いでぇ! 俺に会いに来たのかぁ!?」

「なわけないだろバカ」


 それは、文芸部の黒髪、黒田守と茶髪の茶屋真白だった。


「はぁ、はぁ、良かった……」


 三人は同時に首を傾げた。

 今回は良かったが、もう狙われないとは限らない。

 これからは、なるべく離れない、俺はそう誓った。

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