試練の夏

第13話 異変

 

 文芸部の部室となった元カウンセリングルームで、椅子に座り、天井を眺めていた。

 俺は今、これまでの人生で一番と言っていい程、精神的に疲弊している。


「先輩! 何かあったら小町に行ってください! 何でもやります!」


 小町は夏が近づくにつれ、だんだんおかしくなっていった。

 まず、俺にべったりとくっつくようになった。

 例として、腕に抱きついてくるなどのボディタッチが圧倒的に増えた。

 そのせいか、周りの人間が俺と小町をカップル認定してしまい、嫉妬の目が毎日俺を突き刺してくる。

 もう、他人の視線が怖い。

 また、小町は何かと俺のお世話をしようとしてくるようになった。

 まるで、おままごとの母親と赤ん坊みたいに。やりすぎと思うくらいだ。

 そんな小町はさらに、俺の言う事を聞かなくなった。

 やめてほしい、そんな俺の頼みを聞こうとしない。

 彼女は「お姉ちゃん」との約束を無下にするくらい、ある種の我儘状態になっている。

 そして、極め付けは俺の事を異常に知ろうとしてくるようになった。

 食べ物は何が嫌い? 好きな人はいるの? 一人の時は何してるの?

 連日質問攻めだ。さすがに面倒くさい。

 やんわりと流しているが、それもまた小町の好奇心を刺激する。

 何で秘密なの? 恥ずかしい事なの? もしかしてえっちな事なの?

 疲れる。出てくる感想はそれだけだ。

 先輩の言った通りだった。これは、なかなか付き合うのに骨が折れる。

 しかし、こうなる事は知っていたため、心の準備は出来ていた。

 そのため、気持ち的にはまだ余裕がある。まさか、すっかり先輩の予言通りになるとは思っていなかったが。

 そう。ここまでは先輩の手紙にあった事だ。

 俺は、手紙に書いていなかった新しい問題に一番苦労していた。

 それは、俺のありもしない悪い噂が学校中を駆け巡っている事である。

 中学校ではいじめの主犯者だったとか、ヤリ捨ての常習犯だとか、俺が出来るはずもない事をペラペラと皆が口にしている。

 よくそんな根も歯もない噂を信じれるものだと思う。いや、信じてはいないのかもしれない。

 噂を口にする奴のほとんどは面白がっているだけか、悪口を言いたいだけなのだろう。

 しかも、俺が見る限り、何故か男子よりも女子の方が多い。

 一部の男子が俺を気に食わないのは分かるが、何故女子が俺に攻撃してくるのかが分からなかった。

 兎にも角にも、小町の暴走問題に付随してきたそれが、一番きつい。

 丸裸で戦場に放り込まれた気分だ。


「……じゃあ、コンビニで何か買ってきてちょうだい」


 俺は財布から千円札を出し、小町に渡した。

 真夏が近づき、暑くなってきた季節である。

 喉も乾いたし、ジュースとかアイスでも買ってこさせよう。

 初めて小町にお使いさせるのは少し心配だが、まぁ、これも将来に向けた練習と思えばいい。

 

「了解です!」


 小町は敬礼のポーズをとった後、千円札を受け取ってるんるんと嬉しそうに部室を出ていった。


「はぁ……」


 一時の解放だ。

 この時間に少しでも好きな事をしよう。

 俺は、そう思い校則で持ち込みを禁止されている漫画を鞄から取り出した。


「あ! ななやんいっけねんだー」


 隣で読書をしていたギャルがこちらの違法行為に気づき、そう言った。


「いいんだよ。少しくらい」


 俺の心は荒んでいた。

 前まで一つも破ったことなどなかった校則を、最近は息をするように破っている。

 悪い事をすると、俺が噂通りの人間になる気がして楽なのだ。

 善人なのに悪く言われるよりも、悪人だから悪く言われる方が心の負担は少ない。


「……大丈夫なん? 最近」


 ギャルは本を閉じて、テーブルに置いた。

 

「悪いが、大丈夫じゃないとしてもそれをあんたに相談しようとは思わない」

「やっば。 カッコつけすぎてさぶい」 


 ギャル、西井美咲(ミサ)は、そう言ったものの笑う事はしなかった。

 彼女なりの配慮なのだろう。

 西井美咲は、あの手紙を渡した日から小町と俺に絡むようになった。

 それは遡ること二ヶ月前。

 先輩からの手紙を渡してきたあの日、彼女は自分も小町のお世話がしたいと俺に頼んできた。

 もちろん断った。得体の知れない人間を小町に関わらせる訳にはいかなかったからだ。

 それに、彼女は何度聞いても小町の世話をしたい理由を話そうとしなかった。

 それでは、俺が信用しないのも当たり前だろう。

 しかもこいつは、俺から部室を取り上げた文芸部の内の一人だ。いい印象は持っていなかった。

 だが、断ったというのにめげずに何度も頼んでくる西井美咲に根負けして、俺が一緒にいる時は小町に近づいていいという事にしてしまった。

 それ以来、こうして付き合いをしている。何故か小町も西井美咲には懐いているので、まぁ結果オーライであった。

 西井美咲は、四月から現在の六月まで徐々に共に過ごす頻度が増え、遂にはほとんど毎日俺達と過ごしている。

 西井美咲に友達のギャルの事はいいのかと聞くと、ギャル達は理解してくれてると彼女は話した。

 随分、理解のある友達だと思った。俺だったら、友達が自分と過ごしてくれなくなったら確実に、寂しい。

 何だか引っかかったが、西井美咲とはあまり仲良くしたくないので、それ以上の質問は控えた。

 そういえば、彼女と関わるようになって、一つだけいい事があった。

 部室を週に二回だけ、火曜日と日曜日に使えるようになった事だ。

 理由は、文芸部の部室が変わった事による活動形態の変化にある。

 文芸部が元々使っていた畳の部室は、今使っている部室もとい倉庫よりも圧倒的に広かった。

 各々の部員が自分のスペースを取り、活動に勤しんでいたらしい。

 しかし、カウンセリング部が使っていた部室は自分のスペースを取れる程広くない。

 自分だけのスペースを持つ事に慣れてしまっていた文芸部員には、一人の活動をするにはどうも落ち着けなくて集中出来ない空間らしい。

 そのため彼らが考えたのは、部室を部員達でローテーションする事だった。

 部室を各曜日で一人ずつ使う事で、それなりに狭い部室でも集中ができるとの事だった。

 五人の部員達は自分が使う曜日をそれぞれ決めて、月、火、水、木、金、と各々が活動している。

 そして土曜日に全員が集まり、一人では出来ない活動をするらしい。

 火曜日に割り当てられた西井美咲は、自分が部室を使うときにこうして俺たちを招いてくれている。というか、俺がそうさせた。

 文芸部の活動形態を知った俺は、後付けで西井美咲が小町に関わるための条件に加えたのだ。

 ちなみに、日曜日は文芸部の活動が休みのため勝手に使っている。

 こうして、古巣に帰ってきた俺は、計画として徐々に徐々にこいつらから部室を取り返そうと前まで画策していた。

 だが、小町の件で俺はそんな事を考える暇がなくなっている。

 しかも、カウンセリング部の復活に費やそうとしていた二ヶ月はそのせいであっという間に過ぎ去り、現状は部室を週二回使えるようになっただけという事態だ。

 そんな感じで問題は山積みだが、今はとりあえず小町の事を最優先にしている。

 しかし、今だけはそれを考えないでいたい。

 俺は、漫画を開いて自分の世界に没頭する事にした。

 その時だった。

 突然勢いよくドアが開けられた。


「ガハハハハハッ! 来てやったぞ! 被写体はどこだぁ!?」


 一瞬小町がもう帰ってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 奴だ。


「いません」


 俺は、乱入者の質問に答えた。


「いないぃ? 馬鹿言え! どこかに隠しているな!? 私に分かるぞ!!」


 写真部部長は、そう言ってテーブルの下を覗いた。


「……そうか、いないか」


 なんでそこで判断するのか。

 

「ならば待たせてもらうっ!」


 写真部部長は、そう言って近くにあった椅子に乱暴に座った。


「ちょっと? 毎度言うけどここってうちらの部室なんすケド?」

「私は写真部部長だぞ? ちょっとくらいいいではないか!」


 写真部部長の権限があっても、この部室に入る理由にはならないと思うが?

 毎度勢いでどうにかしようとする。

 チビのくせに威勢だけはいいからな。


「まぁ、いいけどさ。うるさくしないでよ?」

「任せろ! 私はこう見えても郷に従う人間だ!」

「はいはい」


 写真部部長は、どこで知ったのか火曜日と日曜日に小町を撮りにここへ来る。

 絵になる小町を被写体と呼び撮りまくるためだ。

 もはや写真部部長はそれしか撮っていないではないだろうか。

 美しいと感じたものは撮り続けなきゃ気が済まないらしい。

 写真部部長は、去年もこんな感じで部室に乱入してきた。

 先輩はそれを軽くあしらっていたが、それでもめげないで先輩を撮り続けていた。

 部室にはいつもの四人の内、三人が集まった。

 他の二人がいると、小町の暴走力も分散するため、俺的には楽なのだ。

 西井美咲が本の続きを読み始め、写真部部長がカメラをいじり始めた。

 俺もその流れに乗り、小町の帰りを待つ事にするのだった。

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