第5話 俺たちは

 作戦決行の次の日の放課後。

 俺は例の階段下へは向かわず、教室の自分の机で突っ伏していた。

 やってしまった。

 先輩に注意された事。

 人の良心を利用する事。

 どうやら、俺は未だ無知のままらしい。俺という人間はおよそ一ヶ月では変われないと痛感した。

 もしかしたら、癖になっているのかもしれない。

 その方が圧倒的に楽になるから。


『怒ると思いますよ?』


 ふと、小町が言っていた事が頭の中で何度も浮かんできた。

 先輩はこんな俺を見て、本当に怒るのだろうか。

 ただ呆れるだけだと思うが。

 本当に俺に務まるんですか、先輩。

 ……考えていてもしょうがない。小町があそこで待っているだろう。

 俺は、自分の鞄を持って、階段下に向かった。


「な!?」


 階段下には大勢の男子生徒が押し寄せていた。

 昨日見た生徒もいれば、新しい男子生徒もいる。

 それよりも数だ。昨日の二倍近くいる。


「ナランデクダサイィィ」


 小さく小町の声が聞こえた。男子生徒のガヤガヤ声で聞き取りにくいが、唯一の女性の声だ、聴き間違えるはずがない。


「くそ!」


 襲われていないだろうか。

 大勢いるため、さすがにそれは無いと信じたいが。

 ちくしょう!

 こうなったのも俺のせいだ。

 やり方を間違ったせいだ。

 俺は魑魅魍魎をかき分けて、階段下に向かおうとしたが中々進ませてくれない。


「すいません、通してください!」

「おい! 押すなよ! 俺が先だぞ!」

「すいません、すいません」


 力ずくで突き進んで、少々痛い思いをして。

 やっとの事でやっとの事で辿り着いた。


「あ、先輩!」


 彼女はやけに嬉しそうに、俺を呼んだ。

 よかった。何もされていないみたいだ。

 

「大丈夫!?」


 俺は思わず彼女の肩を掴んだ。


「うわっ」


 彼女は体に触れられた事で少々驚いた顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「大丈夫って、大丈夫ないですよぉ!」

「え!?」


 平静を装っているが、やはり何かされたのだろうか!?


「見てください! 昨日よりもたくさん来てくれました!」

「何もされてない!?」

「え? あぁ、そういえばジュースとかもらいました。ほら」


 彼女の指差す方向には、にびっしりと並べられたお菓子やジュースがあった。


「知らない人から物をもらっちゃだめって言われてるので、あそこに置いときました!」

「あ、あぁ……」


 彼女の呑気な言葉に、力が抜けてしまった。

 焦りと心配から解放された俺は、何だか呼吸が荒くなってきたのを感じた。それに頭からだんだんと血が下がっている気がする。


「あれ?」


 遂には体がふらつき始めた。


「先輩!?」


 俺は倒れる前に机に体重をかけた。


「ごめん、大丈夫。安心したら何か脱力しちゃって……はは」

「大丈夫ですか!?」


 彼女にこんなに眉をひそめさせてしまうとは。

 申し訳ない気持ちと情けなさでいっぱいだ。


「小町、保健室まで担ぎますか!? こう見えても力持ち何です!!」

「いや、大丈……」

「運びます!」

「え」


 気づいた時には、体を浮遊感が襲っていた。

 と、同時に優しく包まれたような錯覚に陥った。


「先輩、首持ってください!」

「あ、はい」

「通ります! どいてくださーい!」


 男子生徒のざわざわが聞こえる。

 そりゃ、ざわつくだろう。美少女が知らない男子生徒を「お姫様抱っこ」しているのだから。

 男子生徒は驚きながらもだんだんと 道を開ける。


「ありがとうございます!」

「あ、あの……俺ほんとに」

「走ります! 捕まってくださーい!」

「聞いてる!?」


 抵抗しようにも、動いた途端バランスを崩して彼女が転びかねないので下手に動けない。

 俺はそのまま、廊下を走る小町に揺られるしかなかった。






「はは……なるほどね。びっくりしたよ、いきなり女の子が君を抱っこしてきて」


 ソファに座っている俺、養護教諭に状況を説明した。

 小町は、それを落ち着かない様子で見ている。


「先輩は大丈夫なんですか!? 不治の病じゃ!?」


 小町は本気でそう思っているようで、保健室に着いた時からこのままだ。


「大丈夫。状況を聞いた感じ、ちょっとふらついただけだと思うよ。病気じゃない。安心して」

「本当ですか? 本当に本当?」

「はは、本当だよ」

「……よかったぁ」


 小町は胸に手を当てて、安心したのか息を吐いた。


「それにしても、男子生徒がたくさん集まるなんて小町さんは人気者なんだねぇ」

「えぇ! 小町が人気者ですか!? よっしゃあ!」


 小町は綺麗なガッツポーズを決めた。

 養護教諭の言葉には、俺も反論はない。

 小町の人気はまだごく一部であり、しかも外見で得たものだが。


「元気でいいね、小町さんは。そういえば、この時間に敬也君と一緒にいたという事はやっぱり君も写真部なのかい?」

「え? 写真部?」

「先生」

「はは、冗談冗談。君はカウンセリング部だったね」


 ったく、この先生は変なところでふざけてくるからな。

 まぁ、でもこれもいい機会か。


「なんだ冗談かぁ!」

「いや、冗談じゃない」

「え?」

 

 俺の言葉に混乱したのか、小町は瞳を一周させた。恐らく考えているのだろう。


「……どういうことなんですか?」


 ついに考える事を諦めた小町は俺に答えを求めてきた。


「……カウンセリング部っていうのが、幻の部活っていうのは知っているよね?」

「はい」

「という事は、俺はどこの部活にも所属していないことになる。でも、この高校では生徒は必ず何かの部活に入らなくちゃいけないんだ」

「ふむふむ」

「そこで、俺みたいなのが入りたいのが帰宅部なんだが、生憎この高校に帰宅部はない」

「それでそれで?」

「それで、幽霊部活で有名な写真部に籍だけ置いて、カウンセリング部として活動している訳だ」

「……んー……………………は! なるほどです!」


 どうやら、理解してもらえたようだ。


「という事は、先輩は写真部なんですね!」

「違う」

「え? でも、今写真部に所属してるって」

「違うぞ。俺は写真部に籍を置いているだけだ」

「それって、写真部なんじゃ……?」

「全く違うぞ小町。俺はカウンセリング部だ」

「んんんー……何だか分からなくなりました」


 小町は、顔をしかめて頭を抱えた。

 そう、俺はカウンセリング部。断じて写真部ではない。

 これだけは、自身を持たなければならない。

 これだけは、譲れない。


「ははは。まぁ、とりあえず明日まで提出の入部届は写真部に出せばいいんだよ。小町さんはカウンセリング部希望でしょ?」

「……分かりました?」


 小町は理解はしたが、謎を謎のままにしてしまって頭がこんがらがってしまったようだ。


「ちなみに、部集会もあるから集まる時は写真部の部室に行くんだぞ」

「なるほど。なるほど?」

「まぁ、俺が小町を迎えに行くから、教室で待っててくれ」

「分かりました!」


 小町はビシッと敬礼のポーズをとった。


  ・

  ・

  ・


 次の日の部集会。

 今日は色々大変だった。

 昨日小町が俺を抱えて走り回ったせいである。

 生徒達が、教室でも廊下でも、休憩中も、俺を見てヒソヒソと話をしていた。

 だいぶ噂が立っているようである。

 結局空気に耐えられなくなり、放課後になると俺は逃げるように小町を迎えに行った。

 そして、俺と小町は今写真部の部室に来ていた。

 写真部の部室と言っても、美術部の活動場所、すなわち美術室の一角を借りているだけである。写真部に部室などない。

 今は部集会のため、仕切りを使って空間の半分を使わせてもらっている。

 各々椅子だけを並べているため、学年で座っているところを分けられるとかはない。そのため、俺と小町は隣同士で座っている。


「集まったか」


 写真部の部長は、なぜか不機嫌そうに呟いた。


「さて、今年もこの時がやってきたな。そう、写真部の部集会だ」


 写真部部長はメガネをクイっと上げて、そう言った。

 始まるぞ。今年も。


「諸君らについて知るために、まずはお互いに自己紹介でもしようか」


 写真部部長は咳払いをしてから、大きく息を吸った。


「私の名前は……とでも思ったか愚か者共がぁっっっ!!」


 とてつもない大声を出した写真部部長。

 それに驚いたのか、小町がビクッと肩を上げた。

 恐らく、他の一年生も同じだろう。これに驚かないのは、俺のようなか、余程の鈍感だけだ。


「写真部うるさいでーす」


 仕切りの向こうから、美術部の一人が棒読みで言った。彼女もこれは毎度毎度の事なのでもう慣れてしまったのだろう。


「諸君らに覚えてもらう名などない! お互いの自己紹介も必要ない! なぜならば!」


 写真部部長は大きく息を吸う。

 これを見た小町は身構えた。

 またあれが来るのだろうと。


「ふぅ」


 がくっ。

 小町は写真部部長が息を吐いたのを見て、体勢を崩した。


「なぜならばぁっっ!!」


 いきなり大声を出した写真部部長に、油断していた小町は勢いよく椅子から転げ落ちた。


「写真部うるさいでーす」


 横から美術部。


「大丈夫か?」 


 俺は立ち上がって倒れた小町の椅子を立て、彼女に手を差し伸べた。


「は、はい……?」


 びっくりし過ぎたのか、目が見開いている。

 小町は俺の手を何とか掴み、立ち上がってから椅子に戻った。

 ちなみに、写真部部長は生徒達の体勢が立て直るまで待っている。

 そして、全員が椅子に座ると話を続けた。


「もう一度言おう。なぜならばぁっっ!!」


 今度は小町も耐性がついたのか、少し肩を震わせただけだった。


「写真部うるさいでーす」


 横から美術部。


「諸君らは、写真を撮らない! この場をコミュニティの場としない! 和気藹々と楽しまない! この場で青春をしない! 故に!」


 写真部部長は勢いよく前に出した手をそのままに、数秒固まる。そして、今までの威勢が嘘かのように、しゅん……と肩を落とした。


「故に、私は一人ぼっちだ……」


 写真部部長は、ぼそりと、声を漏らした。


「お前達が、お前達みたいなのが、こぞってこの部活に入るから……! 写真部は廃れていくんだぁ! お前らのせいだ! 全部お前らのせいだ!」


 写真部部長は、子供のように地団駄を踏み始めた。


「写真部うるさいでーす」


 横から(以下略)。


「何でなんだ。私は煌びやかな青春を夢見ていたのに。皆と写真について語り合い『愉快な仲間達だ』と、呆れてみたかったのに! 現状は部室すらない幽霊部活……」


 写真部部長は、拳を強く握りしめて悔しそうにしている。

 

「なのにお前ぇっ!」


 写真部部長は、すごい剣幕で俺を指差した。

 ちなみに去年この人に指差されていたのは先輩である。


「七町敬也! なぜお前らには部室があるのだ! おかしい! 非常におかしい! 理不尽だ! 不公平だ! 不平等だ!」


 写真部部長の言葉に小町はあたふたして、俺と写真部部長を目で行ったり来たりしていた。


「寄越せぇ! お前らの部室を寄越せぇ! 今のお前は丸腰だ! あのいけ好かない野郎がいないんだからなぁ! さぁ、寄越せ! 公式部活の我々の前で何か言いたいことでもあるかなぁ!?」

「無くなりました」

「は?」


 写真部部長は、思ったような答えが返って来なくて動揺したのか、目を泳がせている。


「無くなっ……た?」

「はい」

「いつ」

「新学期が始まってすぐに」

「すぐに?」

「はい」

「本当に?」

「はい」


 写真部部長は呆気に取られているが、数秒後、ハッと我に返ってから笑い出した。


「グハハハハハハハハ! 無くなったか! ギャハハハハハハハ! ざまあみろ! 天罰だ! 天罰が降ったんだ! こんなに喜ばしい事があるだろうか!? いや、ないなぁ! ゲハゲハゲハゲハゲハゲハ!」


 下品な笑い声を響かせる写真部部長。

 一部の生徒なんてもう席を外している。


「ゲハゲハゲハゲハゲハ……ゲハ……。そうか、無くなったのか……」


 写真部部長は急に落ち込み始める。

 

「今日のところは……解散……」


 こうして、部集会は唐突に終わりを告げたのだった。

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