EP7 魔法少女は目覚めない

「壱湖!壱湖、早く来て!」

 その声はけたたましく響く警報と一緒に、壱湖の耳に届いた。

 一日の終わりである23時ごろ、壱湖は戦闘服を急いで着用し、家を出た。

 扉を開けた瞬間、壱湖は目を疑った。街が燃えているのだ。

 魔法少女が住む郊外の小さなマンションの前には複数人の機関研究員が集まり、慌てるように魔法少女たちの装備を確認していた。

「菊森さん、これは。」

 壱湖は顔見知りの菊森を見つけ、駆け寄った。

 いつも小綺麗にしている菊森の頬にはすすが張り付き、髪の毛はぐしゃぐしゃだ。

「壱湖ちゃん。育った宙人4体が突如機関に降り立ったの、地上にある施設はほぼ全壊よ。」

 いつもの柔らかい話し方とは違いはっきりとした口調で菊森は言った。話しながらも魔法少女たちの装備を確認し、手際よく壱湖の臀部に脚部矯正機器を設置した。

「地下にはまだ侵入してない。たまたま機関に残ってた蝶華と梅雨が応戦してる。」

 話している間に用意の終わった魔法少女たちは脚部矯正機器を利用して飛ぶように機関へ向かっていく。

「本当に、宙人は機関を狙ってるんだ。」

 研究員たちに装備の最終確認をされながら、壱湖は小さくつぶやいた。菊森はそれが聞こえたのか聞こえなかったのか「行ってらっしゃい。」と、壱湖の背を優しくたたいた。

 マンション前にいる研究員たちへのあいさつもほどほどに、壱湖も飛び立つように機関へと出発すると、後を追うようにしほりが壱湖の隣に並んだ。

「しほり。」

「壱湖、壱湖は機関についたら地下へ行って。壱湖の分は私が戦う。壱湖は舞衣の拘束具を外しに行ってほしい。」

 いつもおっとりと話すしほりからは想像できないような凛とした話し方だった。しほりの目にはめらめらとした火が映っていていた。

「このままじゃ舞衣が危ない。だから、お願い。」

 と、しほりは言い残すと身体をねじらせて移動スピードを上げ、壱湖を置いて機関へと向かった。

 壱湖は他の魔法少女に遅れて機関のあった場所へたどり着くと、絶句した。当たりは燃え上がり、大きくそびえたっていた清潔感のある機関がごっそりと消えてなくなっていたのだ。壱湖はしほりに言われたた通りまっすぐ地下へと降りるべく辺りを見渡した。降りるまでに激しい戦闘音が耳に響いたが、壱湖は戦いが視界に入らないように必死にエレベーターのあった場所を探した。戦う皆を見れば自分も加勢せずにはいられないからだ。エレベーター跡地はシェルターのように閉じられていたが壱湖はそれをこじ開け、地下へと潜入した。

 壁を伝って地下へと降りる。上を見ると、こじ開けたシェルターの隙間から火の光がちらちらと見えた。

 舞衣のいる地下廊下へ着いた。壱湖は真っ先に舞衣のいる部屋に入るとそこにはいつもと変わらない舞衣が丸まるようにして眠っていた。

「おい、おい!」

 壱湖は舞衣を揺さぶると舞衣は目を擦って起き上がった。

「地上に育った宙人が複数降り立った。地上施設は壊滅だ。ここから逃げよう。」

 壱湖は言いながら、舞衣を拘束している鎖をねじ切ろうとした。壱湖も筋力増強等の投与実験はされており、しほりほどではないものの地上のシェルターを素手で破壊できるほどには力があった。

 しかし、舞衣を拘束する鎖はどうにも壊れない。

「そうか、もう来たのか。」

 舞衣は鎖と格闘する壱湖を余所に、寝ぼけたような顔で天井を見上げた。

「おい、これどうやって外すんだ。」

「外れないよ。…しほりくらいの怪力があればわからないけど。君くらいのドーピングじゃ。」

「ここももう危ない。」

「危ないだろうね。」

 舞衣の拘束具を千切ろうとした壱湖の両手は血がにじんでいた。

 どうする、どうする。壱湖の頭の中で言葉が反芻する。

「隣の部屋にいる、10番なら、これを外せるんじゃ、ないか。」

 壱湖のぽつりとつぶやき、踵を返して隣の部屋へ行こうと考えた。すると、大きな爆音とともに舞衣の部屋の扉が吹き飛んだ。

 慌てて壱湖が振り返ると、そこには少女が一人立っていた。

「…誰。」

 壱湖はその子を見た覚えがなかったが、舞衣が壱湖を引き寄せ「成人した宙人だ。」と耳元で言った。

「これが宙人?」と、壱湖は思ったが、大きく潤んだ瞳は濃いピンク色をしており、宙人のコアを彷彿とさせた。

 まだ舞衣の拘束具は外れていない。何とかこの場を凌いで逃げ出さねばならないと壱湖は考えていた。

「ヨチのできる魔法少女を差し出せ。」

 壱湖の目の前に立ちふさがっている"宙人の少女"は言った。壱湖は宙人が人語を介するのを見たのは初めてだった。

「差し出したところでお前らが壊した施設、殺した人たちはもどらない。交渉にもならないよ。」

 壱湖はそういって、武器の大判扇子を取り出した。壱湖は【催眠能力】を持っていた。これまで対峙した宙人はみな知能を持っていなかったで聞いたことはなかったが、目の前の宙人は言葉を話し、自分意思で動いているように壱湖は見えた。

 混乱させる能力でしか利用したことはなかったが、魅了させる催眠を使ってみようと壱湖は考え、優しく扇子を宙人に向かって揺らした。

 宙人は壱湖の一連の動きを見ると「催眠か。」とつぶやき、ゆっくり壱湖と舞衣に近付いた。

「無駄だ。私たちは思念というものがない。」

 そういって、宙人は壱湖に向かって手をかざした。壱湖はどうしてか身体が動かず、その場に硬直していた。

 宙人の手の平からリボン状の筋肉組織が飛び出した。壱湖は硬直したままで、あっという間にしばりつけられてしまった。

「…ぐ。」

 首をぎりぎりと締め付けられ、壱湖は一瞬で意識が飛びそうだった。

「答えてもらおう。予知能力のある魔法少女はどこだ。」

 壱湖は「この宙人は舞衣に予知能力が伴っていることを知らないのだ。」と気が付き、何とか自分に巻き付いた筋肉組織を外そうともがいた。

「答える気はないか。」

 宙人のは目を伏せた。長いまつ毛が白い頬に影を落とす。

「じゃあ地上の魔法少女たちと同じ、肉塊にしてやろう。」

 そういって、宙人が力を入れた瞬間。壱湖に絡まっていた筋肉組織は緩まり、地面へと落ちた。

 拘束されている舞衣の手には小さな短剣が握られている。

「ぼくを無視して話を進めるなよ。」

 舞衣はにっこりと、胡坐をかいてそういった。壱湖は「舞衣が短剣で自分を助けた」と理解するのに少し時間が必要だった。

 壱湖からみて舞衣は少し離れた場所で胡坐をかいている。

「君の探している魔法少女はぼく。どうぞ首を斬るなりバラバラにするなりしておくれよ。」

 にこにことをした表情を全く崩すことなく、舞衣は言った。

 宙人は返事もなく、舞衣に向かってリボン状の筋肉組織を飛ばすようにして攻撃を仕掛けた。舞衣は拘束具を鳴らしながら、ゆらゆらとその攻撃を避けた。

「ああ、邪魔だった鎖が外れたよ。助かった。ありがとう。」

 舞衣と壁を繋いでいた鎖はいつの間にか切れていた。宙人の攻撃が辺り砕けたのだ。

 宙人は黙ったままじっと舞衣を見つめている。壱湖はその間に強力にねむくなる催眠剤を扇子に仕込み宙人の顔にめがけて噴出させた。

 勢いよく扇子をたたいたので、音に反応した宙人は壱湖に向かって攻撃を繰り出してきたが壱湖は寸でのところで避け、勢いよく廊下へ飛び出た。

 後ろ手に宙人を確認すると、頭がぐらりと揺れ、催眠が効いているようだった。

「舞衣!」

 壱湖のその声を聞き、舞衣も部屋から脱出した。そして、壱湖の腰にしがみつくようにした。

 そのまま舞衣をぶら下げるようにして、壱湖は地上へと飛び出た。そこは血の海になっており、壱湖は慌ててあたりの瓦礫をどかし、他の魔法少女を探した。

 舞衣はぼんやりと辺りを見渡していて「壱湖、あっち。」と、小さく指を差した。

 舞衣の指さした方を見ると、そこには大きな岩の瓦礫に張り付けにされた宙人がいた。コアは完全に破壊され、撃沈しているようだ。

 真っ青な髪の毛をしている、可憐な少女の見た目をしており、切りっぱなしのようなおかっぱ頭がまるで人間がそこで死んでいるようだと壱湖は思った。

「…壱湖、壱湖か?」

 その大きな瓦礫の裏には清水がいた。そして隣には蝶華が。

「清水さん…!蝶華…!」

「壱湖ちゃん、舞衣…。」

 二人の前には、しほりがぐったりと横たわっており、頭部から激しく出血をしているようだった。

「…しほり。」

 舞衣は小走りにしほりに駆け寄ると、しほりの血でぬめった頭部を優しくなでた。

「死んだ?」

 舞衣の率直な質問に蝶華は淡々と「まだ死んでない。治療は可能よ。」と、答えた。

「今は出血をかろうじて止めてる。完治させるためには、誰かにこの傷を移動させなきゃいけない・。」

 あちこち傷まみれの蝶華は思いつめたように言った。

「どういうこと?」

 壱湖が聞くと、蝶華はしほりに応急処置を施しながら言った。

「私の治癒能力は、ただ治すだけじゃない。治すのには時間が必要でしょ。それを人にうつすだけ…ってこと。」

 壱湖はその言葉を理解できず、頷きもせずに横たわったしほりのことを見つめた。

「誰かが犠牲になれば、しほりは助かるってことだよ。クローン体。」

 舞衣はそういって壱湖の肩をたたいた。壱湖は舞衣を見ると、舞衣はいつもにこんまり顔でなく、真剣そうにしほりを見ていた。

「ぼくにキズを移して。」

「…それは。」

「ぼくはクローン体だから平気さ。本体達はもっと奥深い地下で眠ってる。宙人の狙いはそこ。囮になれるほど頑丈でもないし強くもない。ここで使っておくれ。」

 蝶華はゆっくり頷くと壱湖のほうを見た。

「いまから、しほりの頭部の傷を舞衣に移すわ。壱湖ちゃんは舞衣に移った瞬間に傷口をバリアで覆って。」

 壱湖は軽く頷いたが「蝶華の応急処置能力のほうが私のバリアより有用じゃないの。」と聞いた。

「傷の移し渡しを行うと、数分動けなくなるの。お願い。」

 壱湖は自分自身もクローン体であることを考え「私にキズを移してくれ」とどうして自分は言えないんだろう。と思った。

「じゃあ行くわよ。」

 そういって、蝶華はしほりのおでこに手を当て力を込めているようだった。蝶華の手元が淡く光ったかとおもうと、しほりの傷口をずるりと引きずり出した。

 そして宙に浮いた傷を、ゆっくりと舞衣の頭部に移動させた。壱湖は舞衣の頭部にキズが移動したと同時程に傷口にバリアを張ったが、舞衣の頭部からは勢いよく血があふれた。

 隣で見つめていた清水は自分の白衣を破り、舞衣の頭部に巻き、同時に応急処置を施した。

「…傷ってこんな痛かったんだな。」

 叫び声一つ挙げなかった舞衣は笑いながらそう言った。

「そのまま、清水さんとここで安静にしていて。今救急用品が手元にないの。医療棟の全て、人ごと溶けてしまって。」

 蝶華は状況を説明すると、舞衣を抱き立ち上がった。

「壱湖ちゃん、これから機関の地下最深部に行くわ。」

 と、蝶華は言った。

「しほり、担げる?」


 壱湖はしほりを担いで、蝶華と清水、そして眠ったように動かないしほりと舞衣を連れて山林にやってきた。

 機関のすぐ隣に広がる雑木林だが、入ってしばらくすると清水がしゃがみこみ地面をこじ開けた。そこは地下へ続くシェルターの入り口だという。

「宙人は4匹降り立って、2匹は討伐済み。もう2匹は散り散りになって機関の地下に入り込んでる。」

 蝶華はそう説明し、壱湖より先にシェルターに入り込んだ。壱湖もそれに続いた。

「さっき、青い毛髪の宙人が張り付けられていたけど。」

「討伐したうちの1匹ね。もう1匹は恋夏ちゃんが殺したわ。」

「…みんなは。」

「ほとんど殉職ね。けど、みんなクローン体。これから、本当のみんなの元へ行くわよ。」

 かつかつとした蝶華のパンプスの音がシェルター内に響く。しばらく下っていくと、簡易的なエレベーターが突き当りに出てきた。

 電気で動いているものではなく、鎖で繋がっている部分がむき出して非常にレトロな作りになっていた。

 蝶華と壱湖は舞衣としほりを抱えてエレベーターに乗り込んだ。清水は「見張りをする。」と、言ってエレベーターには乗らなかった。

 清水の手には機関銃が握られていた。

 ガシャガシャと大きな音を立ててエレベーターは下っていく。

「この前、菫、10番と話してみてどうだった?不思議な子だったでしょ。」

 蝶華は壱湖に微笑んで言った。蝶華の身体中傷だらけで返り血をあちこちに浴びており、外での戦闘の悲惨さを壱湖は感じた。

「舞衣を、産んだんだって。」

「ああ、産んでたわね。」

「ああって…。」

 蝶華は愉快そうに笑うと「5歳だなんて信じられないわよね。」と、舞衣を見た。

 舞衣は確かに細く小さいが、いくら小さく見積もっても小学校高学年ほどには見える。

「菫はそんなに頭がよくないから、舞衣みたいに化学の力でクローンを作ることはできなかった。けど、彼女の神通力は許容範囲を超えてるわ。まるで魔法よ。」

 蝶華が言い終わると同時に、エレベーターはシェルターの最奥の地下へとたどり着いた。


 エレベーターを降りると、あまりにも広く、明るい部屋へ出た。

 だだっ広く清潔感のありすぎる機械的な部屋。艶のある真っ白な天井、床、壁。

 蝶華はかつかつとパンプスを鳴らし、進んでいく。壱湖も後に続いた。

 しばらく歩くと、だんだんと壁が狭まり、少し広い廊下程のサイズになった。

 壁にはうっすらの切れ目があり、そこは部屋に繋がる扉のようだった。

 蝶華が扉の真ん中に手を当てると、まるでプロジェクションマッピングのような柄が扉に浮かび上がった。

 手の平に集中するような円形が出たり、三角が出てきたり、ちかちかと青く模様めいて扉は点滅する。

 数秒ほど待っていると扉上部に『Authentication completed』と表示され、しゅるりとほぼ無音で、扉が開いた。

 扉の中は薄暗く、細長い部屋だった。まるで絵に描いたようなクローン研究の部屋だと壱湖は思った。

 部屋の両脇には5人づつ、少女たちが培養液に漬けられている。全員魔法少女としての衣装を身にまとい、眠っているようだった。

『4』『10』と印付けられたケースには誰も入っていなかった。

 蝶華は優しく舞衣を床に寝かした。壱湖も倣ってしほりを舞衣の隣に寝かす。

「これからどうするんですか。」

 壱湖は蝶華の隣に縋るように並んだ。蝶華はいつもの微笑みが崩れたように考え込んでいた。

「この部屋だけは死守しなくてはいけない。それは、わかるわね。」

 蝶華の言葉に、壱湖は頷いた。

「みんなを起こすの?」

 壱湖と蝶華はその声を聞いて勢いよく振り返った。

 そこには魔法少女10番上拾石菫が音もなくたっていた。

「…どうして、ここに。」

 壱湖は菫の白無垢がピンクに染まっているのに気が付いた。

 菫は右手には宙人の首があった。髪をわしづかみにするようにして、ぼたぼたと宙人の首の断面からは濃いピンク色の液体が流れ出ている。

「壱湖、宙人をあの階に置いて逃げるなんてひどいじゃない。私がいたのに。」

 さして怒った様子でもない菫はそういって、顔の前に足れている打ち覆いを外した。

「息がしにくいったらありゃしないわ。」

 菫が歩くたびに、人間の音ではない。機械の軋むような音が聞こえる。

 どうして、部屋に入ってきたことに気が付かなかったのだろうか。

「みんなを解放してあげるの?」

 舞衣とそっくりな顔で、菫はにぱっと壱湖と蝶華に微笑みかけた。

「そうね、解放。と言っていいのかわからないけど。」

 蝶華はそういって、部屋の中央に置かれた複雑そうな機械に手を掛けた。

 大きなキーボードのような形をしていて、どのボタンも無記名だ。

 ふと、壱湖は不安になって蝶華に話しかけた。

「ねえ、オリジナルが、起きたら。私たちクローンはどうなるの。」

「溶けて肉に戻るだけよ。」

 答えたのは蝶華ではなく菫だった。菫を見るとにんまりとした表情で壱湖を見ており、口はぐにゃりと弧を描いている。

「溶け、」

「アナタたちクローンは、オリジナルからの栄養供給って、いうのかしら、つながりで今稼働しているの。仕組みはいまいちわからないけど、舞衣からの報告書にはそう書いてあった気がするわ。」

 蝶華はそれを知っていたようで、ぽたぽたと脂汗をキーボードに落としている。

「けどこれだけは言える。クローンのアナタたちはオリジナルの8割ほどの能力しか利用できない。今現在、育ち切った宙人が2体残っていて、用意していた大量のクローンは機関と共に溶けた。もう、オリジナルを戦わせるしか道はないわ。」

 壱湖は違和感を覚えた。残っている宙人が、2体だというのだ。

 菫は壱湖が残してきた宙人の首をもってここへやってきた。地上で2体殲滅し、地下に2体残留していたというのなら、残りは1体のはずだ。

 壱湖の瞳を菫は覗き込み「壱湖はかしこいよね。」と笑った。

「残りの宙人は確実に2体。これは偽りのない事実。」

 そういって、菫はキシキシと機械の擦れる音を鳴らし、蝶華の傍らに寄り添った。

「蝶華、消えるのが怖いの?世界を捨てて、ここから逃げる?オリジナルを殺して、自分が、」

 蝶華はつらつらと話す菫の口を優しく覆った。

「大丈夫。そんなこと、しないわ。」

 蝶華はにっこりと菫に微笑んでいるものの、ひどい汗だった。

「壱湖ちゃん、ごめんね。」

 蝶華はそういって、目の前の機械の操作を始めた。さっきまで、指でキーボードをなぞるだけだった蝶華は、操作が分からないのではなく、ただ、死ぬのが怖かっただけだ。

 壱湖はそんな蝶華を静かに見つめていた。蝶華の操作が完了すれば、同時に自分はここで絶命する。生を受けた時点で死を望まれていたのだ。

「壱湖、何か音、聞こえない?」

 冷や汗でべとべとになった壱湖を菫は覗き込んで言った。これから肉塊となる相手だというのに菫はひどく無邪気に話しかけた。

「…音?」

「ほら、ぐちゃ、ぐちゃ。って。」

 にこにこと菫は話し、壱湖の手を引いた。

 壱湖は力なく菫に引きずられ、扉を出た。

 すると、エレベーター前に誰かが倒れているのを見つけ、壱湖は血が逆流する感覚を覚えた。

「し、清水さん!」

 壱湖はそう叫んで、何メートルも離れ倒れている清水に駆け寄った。

 清水は無理くり起き上がると「こっちにくるな!」と叫んだ。「下がれ!」と何度も清水は叫ぶ。清水の腹は大きく割れ、あたりは血の海になっていた。壱湖はそんな清水の剣幕に驚き、その場に立ち止まった。すると、エレベーターの隙間からするりと人が、入り込んできた。

 宙人だった。

 宙人はゆらゆらと歩みを進め、少女の顔面は大きな口に変貌し、がぶりと清水の首を噛みちぎった。

 壱湖は声の出ない叫びをあげた。菫は「あらあら」とその様子を見ていた。

「壱湖ちゃん、どうする?宙人、入ってきたなあ。」

 菫は微笑んで、壱湖の背中をとんっと押すと無邪気に笑い、オリジナルたちのいる部屋へと入った。

「壱湖ちゃん、この部屋に入れたらあかんよ。入れたら。世界が終わるよ。」

 壱湖はとりあえず、廊下の入り口部分に分厚いバリアを張った。バリアを張るという行為はひどく力を消耗するので数分しか持たないが、蝶華がオリジナルを起こすまで持てばいい。

「あはは、死にたくないってないてたのに。可哀想。可哀想。」

 菫は愉快そうにそういうと「蝶華頑張れ~!」と気合のない声を上げていた。

 壱湖の貼ったバリアに宙人は激しく飛びついた。真っ赤な毛髪を振り乱し、儚げな少女の顔面が盛り上がるようにしてオオカミのような風貌に変化した。

 大きな遠吠えを一つあげると、壱湖の貼ったバリアをガツガツと宙人は"喰って"いった。

 壱湖は肩から腕が震えた。これまで出会ったどの宙人よりも恐ろしいと壱湖は思った。血走った眼に、血管の浮いた四肢。まるで、それのどれもが狂った人間のようだと壱湖は思った。

 壱湖の震える手にを後ろから抱きかかえるようにして舞衣が手を重ねてきた。

「壱湖、菫にいじめられたみたいだね。あいつの小うるさい笑い声で起きちゃったよ。」

 舞衣のおでこにはざっくりと深い傷口があり、覆うように清水の白衣で結ばれているが白衣はもう真っ赤で、ぼたぼたと血が顔面に伝っていた。

「舞衣、ごめん。ずっと。」

 壱湖は舞衣のことを心の通ってない肉人形だと思っていた。言いすぎではなく、しほりがいつも舞衣を気にかけているのも気に食わなかったし、実際喋って人の感情をあおるようなことばかり言う舞衣が気に食わなかった。

「いいって、オリジナルに戻った時は、よろしく。」

 そういって、舞衣は強く、壱湖の手を握った。壱湖は、自分の手がずるずると溶け、肉になっていくのを感じていた。それは、舞衣の身体も同じだ。

「オリジナル、起きたみたいだね。」

「突然ぐちゃっと肉に戻るのかと思ったけど、こんな徐々に溶けるんだね。」

「オリジナルの覚醒時間があるからね。」

「痛みが無いのが不思議。」

「ぼくの最後の慈悲だよ。」

 舞衣の言葉と同時に、壱湖のバリアは破られた。壱湖は舞衣を庇うようにしていたが、舞衣はそのまま溶けてしまった。

 宙人は顔をもとの少女の顔に戻し、眉を八の字にした。

「アナタたちは、私たちのことを人間の出来損ないといつも罵倒していましたわね。」

 真っ赤な毛髪は毛先だけふわふわとカールしており、柔らかく揺れた。

「私から見たら、今、溶けて肉となるアナタたちのほうが出来損ない。ですわ。」

 そういって、宙人は壱湖の首を片手でねじ切った。



 目が覚めると、そこは見たことのない部屋だった。

「…壱湖!」

 壱湖は全身に被さるようにする重みに驚いた。辺りを見渡している壱湖にしほりが飛びつき、思い切り抱きしめたのだ。壱湖は自身のあちこちが少しぬめりけのある液体に濡れており無傷、しほりはあちこち傷だらけであることに気が付いた。

「しほり…!そのけがは、」

 壱湖が言い終わる前に魔法少女たちの悲痛な声が聞こえた。

「ちょっとぉ!壱湖!起きたなら扉抑えるの手伝って!」

「でかい宙人がずっと扉殴ってんのよ!」

 千羽耶と梅雨が絶叫するように叫んだ。「しほり!手ェ離すんじゃないわよ!」と梅雨はしほりを睨む。ほりは梅雨の鬼の形相を見ると顔を青ざめさせ、いそいそと壱湖の胸から離れ扉へと戻った。

「い、いまどういう。」

「今ね、恋夏の起床待ち。」

「…お前、だれ。」

「初めまして、茂野壱瑚。ぼくは魔法少女8番、捌幡舞衣。起きたらこの部屋にみんな召集されててね。」

 そういって、舞衣と名乗った少女は立ち上がると、部屋の真ん中の"汚れ"を手にすくった。それはヘドロのような、水で溶かした粘土のような、気味の悪い物質だった。

「忌み数で目が覚めてるのはしほりだけ。恋夏と蝶華はまだ起きてない。」

 舞衣はそういって壱湖の手を引いて無理やり壱湖を立たせた。壱湖はまるで久々に立ったかのような浮遊感を覚えた。

「壱湖、君はまだ背中の傷、完治してないね。」

「あー、この前やったやつだもんな。少しずきずきする。」

「君はもともと補助だけど、今回は補助に徹してもらうよ。」

 にっこりと舞衣は壱湖に微笑みかけた。壱湖は未だ現状がつかめていなかったが、まとめるとこうだ。

 この一室に魔法少女全員がまとめられており、現在絶賛宙人の襲撃中。いつどこでどうしてこの部屋にやってきたか記憶はないが、これが真実のようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女 壱湖は戦わない 大西 憩 @hahotime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ